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最終的に生き残ることはできるんだろうと思う人

足に何かひもがひっかかって転んだ。それで足を折ってしまった。
それがきっかけになって、なんにもやる気を失ってしまった。怖いね。転ばぬ先の杖だね。
おそろしいおそろしい。とかいう私qbcも、うつ病をわずらったのは30手前くらいのころでしょうか。
バチバチのベンチャー入って、うおおー。やるきマジで出してこの会社を上場させるぞ人生きたーって感じだったんですが、喜び勇んで残業を続けているうちに、ある日会社に行くの辞めて病院に行ったんですね。なんかもう、考えると頭がしびれるようになっちゃって。
今から振り返るとわかるんですが、なんていうか人間、休まず働くなんてことはできないので、ほんと、誰か休ませてあげてくださいね、わかってる人は!
楽しくても、働き続けていたら、ぶっ倒れちゃんうんだから!
休め休め休め!
と思う2024年7月18日16時55分に書く無名人インタビュー836回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは Aizack さんです!

年齢:30代前半
性別:男性
職業:無職(社会復帰のため準備中)


現在:でも最終的に私の目的は、生き残ることだと思ってますんで、今は苦しいターンだけど、諦めずにこの先、どっかで抜けると思って、歯を食いしばってます。

qbc:
今、何をしている人でしょうか?

Aizack:
今はですね、病気を抱えていて、そのリハビリをしているところで、社会復帰に向けて準備中です。ちょっとお仕事が、要するにできていないので。今は生活保護っていう形で、社会福祉のサポートを受けながら、復帰の準備中って感じですね。

qbc:
どれぐらい、そういう状況なんですか?

Aizack:
病気とリハビリに関して言うと、病気はメンタルのところで、5年ぐらい。今のリハビリに関して言うと、1年半ぐらいがそんな状況で。生活保護に入ったのは、今年の3月からですね。そんな感じで、ずっとなかなかここ5年ぐらいは、うまくいかずにやってきた中で、ようやく復帰のための下準備ができはじめたみたいな感じで。

なかなかね、こういう、一般的に生活保護の立場の人がメディアに出てるときって、そんな綺麗な人いるんですかみたいな人とか、そんな悲惨な人いるんですかみたいなののどっちかなんで、そのどっちでもない人もいるよっていう、いろんな人もいるんだよっていうのが分かっていただければいいんじゃねえかな、というので、最近noteを書いたりしてるようなところです。

qbc:
何のご病気なんでしょうかね?

Aizack:
メンタルに関して言うと、鬱病から始まって、そこから糖尿病を患いまして。今リハビリを受けているところは、腰のヘルニアからくる慢性腰痛で、ちょっと一時期ヘルニアがひどくなりすぎて、家の中でも歩けないぐらいまで行ってしまったので、今は杖を突きながらなんとか歩けるぐらいにはなったっていう感じですね。なんていうんですかね、階段を一段ずつ、コロコロコロコロって踏み外してるような感じです。

qbc:
今は、どんなお気持ちで過ごされていますか?

Aizack:
気持ちは毎日ちょっとずつ変動して、良いときと悪いときとはかなりあります。悪いときはそれこそ、いわゆる鬱みたいな病気を持っているので、もうね、どうなってもいいやって、解放されたいなっていうときもあれば、今日みたいに人と話してみたいなっていうのもだいぶあるので、いろいろ上下しながら。でも最終的に私の目的は、生き残ることだと思ってますんで、今は苦しいターンだけど、諦めずにこの先、どっかで抜けると思って、歯を食いしばってます。

qbc:
喜怒哀楽で言うと、どんな状態のことが多いですかね?

Aizack:
えっと、喜怒哀楽か。考えたことなかった。基本的に最近は「哀」と「楽」を行ったり来たりするようなところで。たまになんていうんですかね、生活保護の制度だったり、いろんなことで信じられないようなことがあって、ちょっと「怒」が入ってきたりっていう感じで。ネガティブも多少ありつつ、半分ぐらいが安定してる感じですかね。

qbc:
怒るっていうのは、何に対してですか?

Aizack:
ここ最近だとあれですね、生活保護って、制度の中にちょっと不思議なものがまだまだいろいろ残っていて、障害者の方に関しては「加算」っていうのがあるんですね。生活保護費は最低これだけ、ただ障害者の方は健常者の方よりも病気のこともあるからつらいだろうってことで、プラスアルファしましょうと。

ただその中でも、身体障害者と精神障害者で微妙にちょっと違いがあって。身体障害者はクラスでいうと1級から3級までは対象に入りますが、精神障害者は、1級と2級は入るけど、3級は加算の対象に入りません、っていうことを最近知って。

あれっ、何が違うんだろうって。私、たまたまこの場合、精神3級だったんです。鬱病で手帳をもらってるので。なので、ここの3級と2級の違いがあるのかが分からないっていうのとかは、ちょっとそんな馬鹿な、っていうのだとか。

あとは「収入認定」っていう制度があるんですけど、生活保護って基本的にはその地区といろんな条件で決まった値段のうち、「あなたの足りない生活費を補填してあげますよ」って制度なので、一定以上の収入を何かしらで得た場合は、役所に報告して、「多く払った分は返してね」っていう制度があるんです。

qbc:
はいはい。

Aizack:
これがなかなか厄介で、意図してないものだとか、ちょっとたまたまのタイミングで入っちゃった収入で、役所からもらえるお金が上下する月が出るんですね、この結果。私の場合はちょっと最近だと、バイクを所持してたのを、生活保護に入るにあたって、車は所持できませんということで、売ってくださいと言われました。

だからバイクを売って、その売却したお金が入ってきたら、次の月に、「あなたはバイクを売却したお金が手元にあるんでしょ、だから今月はその分を引きますね」っていうことで、8割ぐらい保護費がなくなったんですね。

もちろん、持ってるお金は変わらないんですけど、使いすぎた結果なくなるとかじゃなくて、いろんな支払いの関係ってフロー(流れ)で、今じゃないと困るみたいなタイミングがどうしてもあって。そのたびに、もともと精神的にあまり良くない状態なので、ちょっと荒れるというか、そういうアップダウンは多少あります。

そういうのがどちらかというとネガティブな方なんですけど、それが今まであったことですかね。ただ基本的にはそんなこと言いながらも、それ以外の普段の生活費は基本的に送ってもらえてるのは、生活保護の制度があるおかげなので、感謝してやっていけてるつもりです。自分の中では。

なかなかね、パッと言われても、処理できる方もいないと思うんで、難しいことをしてるなっていう、申し訳ないなっていう思いはあるんですけど。今喋ってること、質問に合ってますか?

qbc:
大丈夫ですよ。
喜怒哀楽のうち、楽しいことってどんな感じですか?

Aizack:
最近は、本を読むことが増えてきてですね。本の中でも「当事者研究」っていうキーワードが入ったものを図書館で借りてきて、読んだりだとか、記事見つけたりとかっていう、そういうのがだんだん楽しくなってきましたね。それまではどっちかっていうと、体が動かないのでゲーム中心だったんですけど。ゲームはもうずっと無駄にやってますね、体動く動かない関係なく。

そうだな、当事者研究の本を読みはじめたのはあれなんですよ。今こんな感じで私が、客観的にも主観的にもつらい状況にある、その元になっている原因も、私自身が抱えてた生きづらさがそれなりにありましたと。途中まではうまくいってたけど、ある程度からうまくいかなくなった中で、「それって何でなんだろう」という疑問は、自分の中にずっとあって。それって私のせいだったのかと。

どちらかというと、体調崩した最初の頃は、私が悪いんだ、社会なのか会社なのか、そういう人間関係に適応できなかった私が悪いんだ、だったんですけど。だんだん落ち着いて考えていったときに、駄目だったら駄目で、何かうまいことやる方法ないかっていう風に考え直すと、いろんなものが見えるようになってきて。

その中で最近、「当事者研究」ってキーワードと出会って。それは研究者の人がやる研究じゃなくて、生きづらさを抱えている人たちが、自分の「生きづらい」と抱えている問題を、自分の人生の中でどうやったらうまいことクリアしていけるだろうっていうのを、プロの研究者じゃないアマチュアの人たちがやっていいっていう考え方、方法なんですね。

それを聞いて、私はちょっと救われた気がして。アマチュアだし、大学院とか行ってないし、研究者のことは何も知らないんだけど、自分自身のことを考える時間は今、山ほどあるので、そのことを考えて言葉にして文字にして、話をしていく中で、自分ってどういう人でどういうところが苦手で、どういう部分をうまいことやっていったら、今の社会に適応できるだろう、もそうですし。

今の社会をどう変えていったら、僕みたいな人たちが適応することができるんだろうって考える、そういう思考実験的なこともできるっていうんで、すごく救われたっていうところがあって。最近はそういう本ばっかり触れてますね。

qbc:
なるほど。ご趣味は何がありますか?

Aizack:
ずっと昔からやってるのがアニメ見ることだったり、ゲームをすることだったり、読書もそうですね。あとはですね、その時々によってやってることがもう、こっから先はもうまちまちで。落語を聞いてる時期もありましたし、ジャズ聴いてる時期もありましたし、あとはなんだろう、英語だった時期もありましたし。なんか行ったり来たりし続けてるので、今挙げた中で後ろから三つ目以降ぐらいは、その時々で変わってて。

今はもうその中でも比較的負担の少ない、ゲームとアニメ見るのと、本を読むのと。最近はあれですね、noteを書くようになったのが、面白くなってきたので書いてます。そんな感じですね。

qbc:
性格は、人からなんて言われてます?

Aizack:
性格は、人当たりはいいとか、明るいだとか真面目だとかっていうキーワードは割と出てくるかなとは思いますね。とはいえこれがまた難しいのが、私は比較的人と会ってるとき、特に仕事をしてるときの態度だったりっていうのは、人当たりの良い感じに擬態してるので。なんていうんですか、好かれる会社員であろうと。

割とその、私の思ってる自分とは違う感想が返ってくることは多くて。私をよく知ってる人からは、人が嫌いだとか闇が深いだとか、そういった言葉が出てくることもあるので。ちょっと二面性みたいなのは十分にありますね。

qbc:
自分ではどんな性格だと思いますか?

Aizack:
これがですね、私もよく分からなくて。それが知りたいから当事者研究したいっていうのがあるんですよ。私、自分自身が一番分からなくて。他の人って見えるから、なんとなくこうだなっていうのは分かりやすいんですけど、自分だけが全然分かんないです。

なんとなく今までの経験上分かることでいえば、比較的テンションが高いときと低いときの差が大きいことと、行動力があるときはですね、そのエネルギーの多い少ないとちょっと重なって、行動力があるときだけはちょっと他から信じられないようなことを平気でやってしまったり、っていうことがエピソードとしてはあるので。

そういう、なんていうんですかね、ちょっと激しいような部分と静かなような部分は、両面持ってるんだろうなとは思うぐらいですかね。あんまりその、こういう人だっていうのも、自分でうまくラベリングできなくて、分からないっていうのが、最初の感想ではあります。これで回答になってますか?

qbc:
そうですね。
身近な人からは、どんな性格だって言われますか?

Aizack:
それも、先ほどお話した中にちょっと出てきた、あんまり人間が好きじゃないっていう部分だったり、闇深いっていうのが何を指してるか分かんないですけど、考えることが好きなので、それに関することはよく言われてるんだろうな。その辺も闇深いって言われることなのかな。まあ、根っからの明るい人間ではないっていう表現はされますね。なので、そういう性格なんじゃないかなと思います。

過去:今の性格というか二面性というか、後ろにもう1人自分がいて監視してるような、そういう生き方を子ども時代の途中からしていったような感じですかね。

qbc:
子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

Aizack:
子どもの頃は、今とは全然違って、すごくシンプルな生き方をしてたなと思っていて。楽しいと思ったことをやって、嫌だと思ったことはやらなくてっていうだけでやってたんですけど、割とトラブルメーカーで。いろんなところで直情的に動くので、トラブルを起こしてて。それで、ある種、そのまんまじゃいけないよっていうのをすごく言われてたのが、子ども時代には多かったかな。

そういうトラブルを起こしたあたりで父親だったり母親だったりに言われたのが、「後ろにもう1人、自分を監視する自分を持ちなさい」っていうのと。「あなた以外の周りの人は、あなたにレッテルを貼って、レッテルを見てからしか判断してくれないから、あなたが本当に思ってることよりもレッテルが優先される。だから、ひどいレッテルが貼られないように、賢く生きれるようになりなさい」ってのはよく言われていて。

その頃からだんだんと、今の性格というか二面性というか、後ろにもう1人自分がいて監視してるような、そういう生き方を子ども時代の途中からしていったような感じですかね。

qbc:
うんうん。

Aizack:
小中はそんな感じで、高校には途中で行けなくなりまして、不登校から退学して。近くの大学に心理学教室っていうところがあって、大学の先生と大学院の院生の方ですかね、その方たちが、高校行けてない私の相談相手だったり、カウンセリングみたいなことをしてくれるところにしばらく通っていて、それを通して、大学っていいところだなって思って、大学行きたくなったんですよ。

ただ高校は出てないし、やめちゃった後だったので、高卒認定――昔の言葉で言うと大検ですね、名前変わっちゃったんで、今は高認っていうんですけど、それを取ってから大学に入り直しました。19歳のときに大学へ入り直して、そっから卒業までって感じですかね。子ども時代が大体19ぐらいまでのことなら、大学入るまでぐらいがざっくりとそんな感じです。

qbc:
レッテルを貼られないようにと言われたのは、何歳ぐらいの頃だったんですか?

Aizack:
小学校の3年生とか、それぐらいだったんじゃないかなと思います。割と早い時期から言われてましたね。

qbc:
ほんとちっちゃい頃には、どんな遊びをされてました?

Aizack:
外遊びが多かったですね。僕がいたところだと、サッカーがすごい強い子どものチームがあって。同級生同士が遊ぶとなると、大体サッカーだったんで、入れてもらうんですけど。もちろんね、クラブ入ってる子はうまくて、僕は下手なんでボール回ってこないとか、そういうときに癇癪が出て、ワーッて1人でキレて、めちゃくちゃになったりとか。あとはイライラして、試合だと一発退場されるような危険なスライディングして、とかっていうのがあったんで、そういうのとかが、割とさっきのレッテル貼りとかってところで、ちょっとつながってくる話かなと。なので、サッカーとかで外遊びが多かったですね。あの頃は。

qbc:
なるほど。大学生活はどんな感じだったんですか?

Aizack:
大学生活は楽しかったです。もう素直に。高校へ行けなくてっていうところからのコンプレックスと、人付き合いが上手じゃないって勝手に思ってたところから、大学に行ってみたいとなって、自分が合わないと思ってた、日本人ばっかりの大学はまずいと思ったんで、半分ぐらい留学生がいる大学に行ったんですよ。立命館アジア太平洋大学っていう、大分県の別府にある大学なんですけど。

その大学が、それこそ半分ぐらい留学生で。私がたまたま奨学金と、海外から来た留学生のシェアルームの寮に入る権利を、入試の点数で取れたので、そこに入るってことで、ウガンダから来たルームメイトと2人で1年間生活して。他の部屋にも、いろんな国から来てるとか、日本からもいろんなところから来てる人たちっていう人たちと1年生活してみたりだとか。

あとは、フィリピンのマニラっていう都市に10ヶ月間交換留学行ったりだとか、大学卒業前もちょっと休学して1人で就職活動をして、その費用をアルバイトで稼いだりとか、いろいろやってきたんで、トータルでいうと大学はすごく楽しかったですね。心残りがあるとすると、論文を書けなかったってことがあるぐらいですか。それ以外は100点ですね。

qbc:
論文が書けなかったっていうのは?

Aizack:
私の大学は、ゼミが全員分用意できてない大学で。かつ、私の留学時期が3年生の途中から4年生の半分ぐらいまでだったので、留学に受かった時点で、最初からゼミに入れないことが確定しちゃったんですよ。たまたま。で、大学自体も別に論文書かなくてもいいよって、単位取れたらそのまま卒業できるよって大学だったので、当時は別にいいやと思って出ちゃったんですけど。

今になっていろいろ考えたり、物事調べようだとかってやったときに、1人で何かを進めて完遂する力はやっぱり欲しかったし。今じゃないですけど、自分が先々いろんなことやってみたいと思ったときに、大学院行きたいなと思ったときに、論文書いてないのが結構なネックになってしまっていて、もったいないことしたなっていうのはちょっと思ってます。

生活保護から大学院って、めちゃくちゃ距離遠いように自分で感じながらも、できたらかっこいいよなと思って、そこはなんか、人生の目標みたいに置いてるとこありますね。

qbc:
大学を卒業した後はどうされたんですか?

Aizack:
卒業した後はですね、都内の会社に入って、ITの会社でシステムエンジニアをしてました。そこがですね、いわゆる「SIer」って言われるジャンルの職種で。

自分たちの会社でWebサイトを作って、他のところからお金を取ってっていう感じじゃなくて、システムを作りたいっていう会社のところに、自分たちのいるメンバーを派遣したりだとか、メンバー足りませんっていう会社があれば、うちがそのメンバー連れてきますよ、プロジェクトをお助けしますよっていう、ある種の傭兵部隊みたいなお仕事をする会社で。

そういう部門にいたので、お客さん先にずっと通って、お客さん先にあるデスクで、お客さん先がやっているプロジェクトを進めるための要員として働く、っていう感じで勤めてました。

qbc:
お仕事自体はどうだったんですか?

Aizack:
仕事はですね、楽しかったですし、いろいろ難しいことはありましたけど、特に後半は上司に恵まれたので、いい会社でいい勉強させてもらったなっていう思いは強かったです。私の体さえもうちょっと丈夫だったら、多分今もあの会社にいるんだろうなって思うぐらいには思い入れがあります。

qbc:
お仕事は、どんなことをされてたんですか?

Aizack:
私が主にやったのは、いろんな会社が自分たちの製品とかサービスとかを新しく作るので、そこのWebサイトを作りますっていうので、受注したお仕事のWebサイト作りとか。デザインは別のチームがいるんですけど、そのデザインしたものを動かすために、裏側でプログラムを書かなきゃいけないんですね。プログラムで、こういう動きにしなきゃいけないとか、ページはこういう風な形からこう動いてとかっていうところの設計と、実際にプログラム書くのと、プログラムがちゃんと動くのかっていうテストをしたりとかっていうのが多かったですね。

qbc:
その後で、鬱病になったということですかね?

Aizack:
そうです。そのお客さん先に行ってる途中で、体が耐えられなくなって、病院行ったら、鬱病ですよって。「即日診断書発行できるけどどうする?」って言われたんで、それでお願いしますっていう感じで。

qbc:
ご自身では、どういう状況だったと思いますか?

Aizack:
仕事がかなり大変だった時期で、プロジェクトが私1人だけっていう状態になって。お客さん先に行ってるときって、私の上司と私がセットで入ったりしてたんですけど、その当時はセット売りされた中で、なんかバラバラに分けられちゃって。

お客さん先のチームに私1人でやらなきゃいけない、上司は全然違う仕事やってる、っていうときで、忙しくてうまく回らなくなってきて、自分のことを理解できる人がいない、かつそこがタイミング悪く、コロナでもないのにリモートをしてたんですよ。

qbc:
はい。

Aizack:
私だけ東京で、チームの他の人たちが横浜の事業所にいて仕事をするんですけど、なかなかうまくいかない。そんな中で、身内の不幸があったり、その前から私がずっと抱えていた体調不良とかが全部重なりすぎて、もう回らなくなって、先輩にも上司にもどうにかちょっと変えていただきたいっていうのは何度か進言したんですが、「せっかく馴染んできたとこなんだから、うちの会社としてちょっとそれはないわ」って言われちゃったときにもう切れちゃって、すぐ病院に電話して予約して、鬱病と診断されて、次の日に鬱病で診断書もらったんでお休みしますっていう。

qbc:
切れちゃったっていうのは、どういう状態でしょう?

Aizack:
なんていうか緊張の糸というか、もうずっと張り詰めて張り詰めて張り詰めて、ここが限界っていうところが、プツンって切れちゃったという。切れたっていうよりも、心が折れたっていう方が伝わりやすい表現かもしれない。

qbc:
激怒したっていう意味ではなく?

Aizack:
っていうよりはもう、支えにしてたものがなくなっちゃったっていう。この先輩、この上司だったら、身内だし、最終的な助けになってくれるんじゃないかと思って、私なりの最後のSOSが無碍にされたわけじゃないですけど、いろんな条件の中での判断として、「それはないよ」って言われたときに、逃げ場がなくなっちゃって。もう私としてはこれ以上、会社に対して遠慮して、私が頑張らなくても、代わりはいつでもいるんですもんねっていうことで、病院行きますって。

元からもうある程度、精神的にまずいのはわかってたので。病院に行く半年ぐらい前に、ストレスチェックとかっていうのがあったんですけど、もう真っ赤な状態で返ってきて、今すぐ産業医と面談しなさいみたいな感じだったんですけど、このクソ忙しいときにできるかよっていうんで無視してたんですよ。それはもう会社の上司も知ってるだろうって思ってたので。その上で、そう言われるんだったら、もう私はいらないよねって勝手に私が思っちゃった。実際その当時、その方がどう思ってたかはわからないんですけど。

qbc:
それは何歳の頃でした?

Aizack:
会社行って3年目だったんで、27か8かですね。それぐらいです。

qbc:
その出来事を今振り返ってみて、シンプルにどう思われます?

Aizack:
もっとうまいこと、他に相談するだとかっていうのはあったんだろうなとは思いつつ、ただ環境がどうしても、壊れるにして壊れたとは思ってますね。当時の状況はどうやっても、今の私でも多分つらかったとは思うので。私だったら何回やっても、あの場面でどっかで壊れてます。他の人だったらわからないけどって感じですね

そういう、業種的に難しいところがあって、自分の会社じゃないところに毎日通って、自分の会社じゃないところにいて、仕事する相手は同僚じゃなくてお客様なんですよね。だからお客様のところに常にいて、見張られてるわけじゃないですけど、何か私がいらないことをすると、「あそこの会社の人が何かしら変なことした」ってことになるので、会社の看板をある種、変な背負い方をしなきゃいけない。

ただそれが、上司と部下で2人セットでいる部分はまだギリギリ良かったんですけど、1人にされちゃったことで、私にそこまでの自覚と能力と自信とかないときに切り離されちゃったので、そこはどうしても難しくて、自分がどこの会社の誰なのかが分かんないままっていう環境だったのが一番つらかったですかね。そこが、その環境だけはちょっとどうにもならなかったかな。ちょっと話がずれましたけど、そんな感じでした。

qbc:
その後は、どういう生活になりますかね?

Aizack:
そこから、休職をすることになるんですね。まず、鬱病で診断書を出してもらって、会社の規定で休職は半年間あったので、その半年間はお休みしてくださいと。お休みしてる途中に体力も回復してきて、いろんなことがやりたくなった時期に、ちょうど「42 Tokyo」っていうエンジニアの学校を、DMM.comさんっていう大手の会社がフランスから呼び込んできて、第1回試験やります、っていうのがあったんで、そこに行ってみて。試験が1ヶ月ぐらいあって、その1ヶ月の試験を突破したら、お金はかからないから、いつでも好きなだけ勉強していいよっていうところがあったんで、行ってみたいと思って受けてみたりだとか。

他でも「リワークプログラム」っていう、精神科の人がやってるプログラムで、社会復帰のための練習をしてみるみたいなことをやってみたりして、半年間過ごして、それで復帰したんですけど。先生からは大丈夫かって言われたのに無理して復帰して、案の定うまくいかなくて、最終的には復帰してから3ヶ月ぐらいで辞めさせてくださいって言って、退社しましたね。

qbc:
エンジニアの会社を退社したと。

Aizack:
そうですね。最初の会社を辞めちゃって、そっからはアルバイトをなんとか見つけて仕事をしたりだとか、人づてでお仕事を見つけて契約社員で入ってみたりしたんですけど、やっぱり根本の鬱があんまりコントロールできていないので、鬱の波の上下があって。仕事してて、だんだんだんだん波が下がってくると、うまく相手の言葉が受け取れなくなったり、傷つきやすくなったりっていうことになって。

ちょっと話は逸れますけど。鬱病って精神の病気っていうんですけど、本当は脳の病気で、脳がうまく動かないか動きすぎる病気っていう風に私は理解してるんですね。いろんな精神科の先生と話したり、調べたりする中で。脳がオーバーヒートを起こしてるときに、何やっても無駄だっていうのが私の中にはあるのに、仕事が入っちゃってるとやらなきゃいけないじゃないですか。それで、実際に結果が出ないんですよ、もちろん。それで結果が出ないと上司だったりチームからは心配されたり、結果が出てないぞって言われたりするんですけど、その状態の私は何やっても駄目なんですよ。

qbc:
うんうん。

Aizack:
そういうことを何回か続けながら、1人でなんとかやろうっていうので、あんまり社会福祉みたいなサポートは受けずに、去年の2023年の2月ぐらいまではお仕事をしてました。そこから腰をやっちゃって歩けなくなったので、リハビリをしはじめて。

お金が尽きたのが今年の2月で、生活保護に3月に入って。ようやく5月ぐらいからお金とリハビリの準備が整ってきはじめて、だんだん体も気持ちも落ち着いてきて、上向きになってきて、これから7月8月と社会復帰に向けた訓練、就労移行支援っていう社会福祉事業があって、民間がやってるとこなんですけど、そこに通えるかもしれないっていうことで、今準備をしているようなところですね。

qbc:
糖尿病にはどうしてなったんでしょう?

Aizack:
これはもう鬱病プラス、元々私が肥満だったので、そこのダブルパンチですね。医者からはある程度の割合で遺伝だけど生活習慣が重なりやすいっていうのと、鬱病をやると、生活習慣がめちゃくちゃになるから、糖尿になりやすいから気をつけてっていうのは、発覚前から言われてたんですけど、どうしようもなくなっちゃって、病院行ったら一発アウトっていう感じでした。

最初はなんかの体調不良で内科に行って、血圧とか血糖値とか血液検査してもらったら、血糖500とかっていう数字が出て。健康な人は100いくつとかなんですよ。5倍の数字が出たんで、あなたは即入院か何かしないと死ぬよって言われて、大きな病院行って治療を始めて。

当時は、いわゆるインシュリンっていう、お腹にシュッて注射器とかやってたんですけど、その薬ももう卒業して、今は飲み薬だけでなんとかしながら体重を落としてやっていけば大丈夫だよっていう、血糖も管理はできるようになってきたので、糖尿病は正直あんまり今問題ないかなっていうのを先生と話しながら、体重はどうにかしてくださいね、肥満をどうにかしましょうっていう感じになりました。

qbc:
好きな食べ物はなんですか?

Aizack:
唐揚げです。

qbc:
唐揚げの、どの部分が好きとかありますか?

Aizack:
そうですね、もも肉とかいいですね。鶏もも。一時期、唐揚げ好き好きっていうよくわかんない団体で、「日本唐揚協会」っていうのがあるんですけど、そこの会員になってみたりとかっていうのをするぐらい、唐揚げ好きでした。

qbc:
鬱病になった時、ご家族のフォローはありましたか?

Aizack:
えっとですね、そこがちょっと家族的にもトラブルというか、ちょうどそのときに、父が亡くなったんですよ。

qbc:
27歳のときに。

Aizack:
ええ。私も仕事が大変で、でも家族のフォローしなきゃっていうんで、定期的に帰ったりとかして、そのときって私がどっちかっつうと家族をフォローする側だったんですね。フォローされる側じゃなくてフォローしなきゃ、そのとき父はもう仕事はしてなかったですけど、精神的支柱だった父が亡くなったんだから、長男である私が、他の家族の前でもしっかり気丈にやらなきゃっていってやってたんですけど。

東京と地元行ったり来たりしてるうちに、もうだんだんつらくなってきて、最終的に折れちゃって、そっから逆に私がケアしてもらう側になって、お金だったり、電話で話をしてもらって聞いてもらったりとかっていうんで、たくさんサポートしてもらって、それでなんとか、そのおかげで今まで生きてきた、じゃなかったら危なかったっていうのは何度もありました。

qbc:
今は、ご家族との関係はどうなんですか?

Aizack:
今は私が生活保護に入っているので、家族へのお金の負担はなくなってますというか、むしろ生活保護って、生計を分けなきゃいけないから、お金を負担しちゃ駄目なんで。それまでは、家族からお金を送ってもらって助けてもらってたんですけど、さすがにちょっと限界だっていうことで、生計を別にしようってことで、別世帯として私が生活保護に入り、家族は家族で生活を、という。

ただ向こうも向こうでいろいろトラブルを抱えていて、私もこんな感じでトラブルを抱えているので、お互いに助け合ってっていう感じで。私ができること、それこそ元々IT系の仕事をしてたから、IT系のものは詳しいんで、こういうことやりたいんだけど、なんかできないって言われたのは相談に乗って、できるよ、こういうサービス登録したり、こうしてあげるよとかっていうのを教えたりとかできるので、そういうのをやったり。普段の話を聞いてもらったり、向こうも介護したりしてるので、その話を私が聞いたりとかっていう、そんな感じでお互い支え合ってるという。

qbc:
友人や恋人、人間関係はどうですか?

Aizack:
友人はですね、少ないですけどいるにはいて。たまに大学時代の友人、会社入ってからの同期が一番多いですが、そもそもそんなに友人が多いタイプではないので、週に1回2回話をしてもらうか、普段通りの話をするって感じですね。

1人だけ、すごい私がしんどいから話聞いてあげるよってやってくれてる友人がいて、その人とは週に1回、お互い飽きるぐらいまでの時間を電話つないで、とりとめのない話をするっていうのはやってもらって、すごく助けてもらってます。

qbc:
ここまで、人生を振り返っていただいて、どう思いました?

Aizack:
そうですね。まあ、なんとかなったんだなと。大変なことは一通り経験してきましたけど、意外となんとかなるんだなっていうのが正直なところですよね。まあね、もっと楽に生きる方法なり、生きれる環境なりあった方が、いいなとは思いますし、私みたいな人を増やしちゃいけないなっていうのは思うので。もし自分がもっと楽になって落ち着いて、助けられる立場になったら、そこは精力的に何かしらをやっていきたいって思う程度には、苦労してきたので。減らしたいですね、こういう人は。私で最後で十分です。

qbc:
人生の転換点って、どこにあると思います?

Aizack:
転換点、考えたことないっすね。なんだろうな。一つは間違いなく高校に行けなかったときですね。そこから大学に行くまでの間、ここでまず大きく変わってますね。多分、やめる前の高校に通いつづけてたら大学に行ってない。次が、多分大学の休学中に、1人で就職活動したタイミングだと思うんですけど、それがなければ、そもそも東京に来てないんですよ。私、人が多いの駄目なので、東京に行きたいっていうのはなかったんです。ただ、たまたま受かった会社が東京にしかなかったので、来ちゃったってだけで。

その後は、鬱になってからは転換点がいっぱいありすぎて、どれかわかんないんですが、一番大きいのはやっぱり、最近生活保護に入ったタイミングなんだろうなと思って。なんともならなくなって、ある種のプライドを捨てて、助けを求めてみたんですね。そしたらなんとかなっちゃったので。そういう意味では、そこの三つはちょっと大きかったのかもしれないですね。

qbc:
高校行けなかったり大学を休学したりっていうのは、どんな理由だったんですか?

Aizack:
高校はですね、人間関係がうまくいかなかったのと、方向が合わなかった。あとは通学がちょっと、距離が13キロぐらいあって、自転車で通わなきゃいけない高校だったんですね。あんまり近くなくて。その上、学校の雰囲気もあんまり合わないっていうのとかがあって、それでだんだん体調崩して。

それこそ多分、最初の鬱って、そこの可能性があるんですよ。ただ診断的には鬱ってよりも、よくあれですね、学校行く前の時間にお腹痛いってトイレ入っちゃうみたいなの、あるじゃないですか。あれのひどいやつで。私の場合はもう、朝食で食べたものが家を出る前の時間には、全部もうお腹下して出ちゃう。食べてなくても、もうなんでも出る、水飲んでも全部そのまま、もう入ってそのまま出ちゃうみたいなのがひどすぎて、学校行けなくなって不登校っていうので。

qbc:
なるほど。

Aizack:
大学の休学は、そのときも多分鬱っぽいんですよね。留学先で私が描いてた留学プランだったり、私は留学でこうしたいという気持ちと、私自身があまりにずれていたことが分かって。留学先にフィリピンという国を選んだのも、ある種、これから発展を目指してる、勢いのある国を見たいっていうのと、貧富の差っていうのがすごくあるので、そこでサポートする側、NPOとかの人たちって何やってるんだろうとかっていうのを見たいと思って行ったんですけど。

行ってみて、やり出してから分かったのが、私、その人たちにそんなに興味が持てなかった。話したいことも聞きたいこともなかったっていうのを、向こうに行ってみて分かったんですよ。そこで、苦しむことになって。当時、留学の奨学金を東京の会社からもらっていて、どんなことをしたかレポートしてねって言われたのがプレッシャーになっちゃって、もう何も書けませんって泣きついて、なんでもいいからいいよっていうのが自分の中でもう許せなくなった。それでもちろん授業も通えなくなるっていう時期が、留学後半にあったんですね。それで、ぐちゃぐちゃになって帰ってきました。

もうそんな状況で大学戻れないんで、休学しようかっつって、1年間休学して。最初の何ヶ月かである程度落ち着いてきたんで、今までできなかったこと、卒業後のことも考えなきゃいけないから、お金貯めなきゃいけないとか、免許取らなきゃいけないとかっていうのをやっていって、就職活動の時期になったら、そこの貯めたお金を使いながらいろんなとこ行って、就職活動してたっていう感じです。

未来:自分が世話できるようになったら動物とかと一緒に暮らせるようになれば、もうちょっと長くその子のために頑張ろうかなってやれるようになれば、自分も一人前になったかなと思えるかもしれませんね。

qbc:
未来について、5年10年30年40年、最後自分が死にますというところまでイメージして、今どんな未来を思い描けますか?

Aizack:
直近5年ぐらいは、まずはいわゆる社会復帰っていうのを目指したいなと。今は体の、全然うまくいうことをきかない部分を治すリハビリをして、だんだん良くなっていって体力がついて、まずは働けるようになるのが最初の5年ぐらい。働けるようになって、安定して働いて、経済的な自立を目指すっていうのが一番、この5年でやらなきゃいけないこと。

ただそれだけだと、また仕事がうまくいかないとガタッと崩れちゃうので、プラスアルファで精神的に自立するためにも、なんかあったらここに助けを求めればいいやっていう依存先をたくさん増やそうと思ってるのがあって。

それが最近読みだした、当事者研究っていうのを研究してる熊谷先生っていう東大の先生がいらっしゃるんですけど、この方によると、自立っていうのは、お金を稼いで一つの生活をするだけじゃなくて、大事なのはそこの自立じゃないんだと、依存先を増やすことだよと。なんかあったときに、ここだったら助けてくれるっていうのを増やさないと、結局お金だけ稼いでても壊れちゃうし、なんかあったときにどうにもならなくなるし、自分だけでできないんじゃ困る、っていうお話をされていて。

それがまさに、私が当時駄目になったとき、鬱病になったときの状況がそういう感じだったので、そういう仕事と友達関係以外のいろんなコミュニティを増やさなきゃっていうのが、向こう5年10年以降もこっから先、ずっと出てくる私の課題かなとは思ってて、そこら辺を特に短い期間は考えてますね。

qbc:
なるほど。

Aizack:
もうちょっと長く、10年とかになってくると、今の私の苦しみだったりっていうのは、私だけの固有のものではあるんだけれども、似たものを持ってる人、まるっきり同じじゃなくてもちょっと形が違うだけで、持ってる人はいると思うんです。それこそnoteで書き出してから見るようになって、やっぱり発達障害の方だったり鬱病の方だったりっていうのがいっぱい出てくるんで、やっぱり一定数いる。

そういう人たちを楽にするためにはどういうことをしなきゃいけないんだろう、何を考えていけばいいんだろう、どういう活動をしていったらいいんだろう、どうやったら自分の周りを良くできるんだろうっていうのを、なんとなくがむしゃらに動くんじゃなくて、理論だったり、実践だったりの中でつけていきたい。そのためにはやっぱりちゃんと学ばなきゃいけないなっていうのが私の中にあって、10年ぐらいの単位になってくると、大学だったり大学院だったりっていうところで、ちゃんとそこの力をつけて、実践に結び付けたいなとは思ってるようなところですかね。

一旦10年ぐらいはそれぐらいで見えるんですけど、それ以上先は、正直私は全然見えてなくて。っていうのも、自分の隣に誰かがいるって、家族だったり、友達、恋人だったりっていうときに、恋人のことを言及しなかったのも、恋人がいたこともないし、誰かが隣にいるっていうのは、私があまり想像できないので。

そこの想像ができない以上、あんまり長いスパンのことを考えられないというか、そのときになったらいずれあるんでしょうけど、10代の頃から自分のことだけで手一杯だったので、なかなか自分以外の方が自分のテリトリーにいると、その方によっかからなきゃいけないというか、依存しなきゃいけない生き方になっちゃうっていうのがあるから、迷惑をかける。そうなるとやっぱり、自分はそういう話にできないなっていうんで、なかなかそういう部分、あまり長期のことは考えられないですね。

どっかで、それこそ5年10年ぐらいの先の中で、人間はあれですけど自分が世話できるようになったら動物とかと一緒に暮らせるようになれば、もうちょっと長くその子のために頑張ろうかなってやれるようになれば、自分も一人前になったかなと思えるかもしれませんね。

qbc:
ありがとうございます。
好きなゲームって何だったんですか?

Aizack:
基本的にはプレイステーションとかのRPGだったりアクションゲームとか、最近だったら「Ghost of Tsushima」っていう、何年か前に出たゲームですね。鎌倉時代ぐらいの、いわゆる元寇ですね、モンゴルが日本に攻めてきたときの対馬を舞台にしたゲームをずっとやってて。それとか、小島秀夫さんのゲームなんかが好きで、メタルギアソリッドとか、最近だと、デスストランディング。そういうちょっとなんていうか、ストーリー性の強いゲームが今までは多くて。

ちょっと最近腰痛めてからそういうのができなくなってきたので、スマートフォンのゲームに移行してきて、この何年かはスマートフォン向けのゲームで、有名なタイトルですね、ウマ娘だったり、ブルーアーカイブだったり、Fate/Grand Orderだったりっていう、有名どころを一通り押さえて。最近あれですね、ゼンレスゾーンゼロ、ゼンゼロっていうゲームを始めて、スペックが足りなくてこれは駄目だなってなってる感じ。

とにかくゲームは昔から好きで、いろんなハードで遊んで、新しいもの出たら触りたくてっていう感じで。今はねちょっと経済的に難しいんで、無料ゲームばっかりですけど、生活的にもうちょっと自立できたら、やっぱり大きなスクリーンで、派手なゲームをまた遊べるような生活したいなとは思ってます。

qbc:
もしもの未来の質問というのをしていて。もしもメンタルが鋼のようにしなやかで強かったら、今何をしてると思いますか?

Aizack:
メンタルが鋼でしなやか。難しいな、全く想像つかない。ちょっとした言葉遊びみたいになっちゃうんですけど、そのもしも自体が、もうそのときって多分私じゃないんですよね。別人になっちゃうんで、今の私だと想像できない生き方を多分してるんだろうなと思っていて、多分もう高校ぐらいの頃から違うんですよ、下手すると、僕が通った高校と違うところに行ってる。大学行かずにそのまま就職してたかもしれないっていう。その無数に選択肢がある中で、何を選んだか全く想像できない。

私が私である理由は、この弱さはもう仕方ないものとして受け入れた上で、そのもろくて、あんまり強くないメンタルがあってこその私なので、多分そこで鋼でしなやかなメンタルを持ったAizackは、もう全く別人すぎて、想像つかないのが正直なところですね。

もう1回、私が同じ生活を1からやれって言われるのも嫌ですけど、かといって、私が敷いてきた今の生活のレールは、そこの中身が変わっちゃうと、私じゃない気がします。質問への回答として本来意図してるものでないとは思うんですけど、そんな感じです。

qbc:
何をしてるのが一番好きですか?

Aizack:
好きなことですね。具体的なものというよりは、自分が何かに熱中して、没頭してるときが好きです。ゲームでも本でも、一時期はプログラミングが好きで、なんでもよかったんですけど、これは楽しい楽しい楽しいって言って、もう周りの音が聞こえなくなるぐらい集中しすぎて、気がついたら夜ですみたいな、そういう時間が楽しいです。

ただこれって難しくて、体を壊す要因にもなるので、ここら辺のコントロールはこれから先の私の課題だし、適度な集中で、ワーッて楽しめるものをうまいことやっていかないとっていうところですかね。ただ、あれはやっぱり忘れられないですね。ある種、ドーパミンがドバドバ出てるみたいな感じでした。

qbc:
最後の質問はですね、最後に残した言葉っていうことで、遺言でもいいし、読者向けメッセージでもインタビューの感想でも、最後に言い残したことがあればお伺いしております。

Aizack:
私自身と、このインタビューが文字化されたときに読む方へ向けてになるんですけど。苦しい状況の中でも皆さん頑張ってらっしゃると思うので、その頑張りは認めてあげてほしいですね。その上で、がむしゃらに手を伸ばせば、他に誰か助けてくれる方がいて、その方をうまいこと見つけて、そうすることができれば、どうしようもないってとこからは逃げれる可能性はそれなりにあるはずなんです。だからそこは諦めずに、手を伸ばし続けるっていうのは、やっていただけると、最終的に生き残ることはできるんだろうと。諦めないで欲しいなと私は思います。以上です。

qbc:
ありがとうございます。

あとがき

私は戦う!

【インタビュー・編集・あとがき:qbc】

【編集:なずなはな】

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