毒親アートフェス主催の人
あなたは他人の苦しみがわかりますか? 私にはわかりません。
想像することはできるけど、それが同じ感情であるわけではない。
理由は、私はあなたではないから。そもそも他人の苦しみは、わかるものではない。
苦しんでいる人が目の前にいるとき、私たちにできることは、必要であれば手助けすることだけ。
「自分のことを他人が知ることはできない」。
この事実の逆は「自分のことを他人は分かってくれる」「自分は他人のことが分かる」です。
こういう世界には、あまり言葉が必要ではないです。なんでって、おもんぱかれば相手の気持ちはわかるから。忖度すれば物事が動くから。似たものどうしが集まるときには、こういう感覚が有効なのかもしれません。
まあ世界に正解はない。
無名人インタビューの役割の一つに「(世の中には認められないかもしれない)その人の物語を記録する」というものがあります。世界が先か他人が先か、自分が先か。
まず何よりも自分の感情があるものでしょう。
今宵の無名人インタビューもよろしくお楽しみくださいませ。(主催:qbc)
今回ご参加いただいたのは 浅色 さんです!
現在:今でも、合っているのか間違っているのかよく分かんないというか、手探りというか。
qbc:今、何をされている方でしょうか?
浅色:Webデザイン、Webコーディング、Webデザイナーとして働いてます。
年一回、毒親アートフェスっていう展示会を募集かけて開いてまして、それとはまた別に、あとりえーる・ぎるどっていう、シェアアトリエ兼貸しスペース、ギャラリースペースを熊本市で運営してますね。
qbc:毒親アートフェスはどれぐらい前からされているんでしょうかね。
浅色:毒親アートフェスを始めたのは2018年からですね。
きっかけは、毒親アートフェスを始める1年前にライターの今一生さんという方を招いて講演会を名古屋で開いたことです。当時はまだ名古屋に住んでいたので。
なぜその方を呼んだのかっていうと、その方は虐待を防止する活動というか訴えというか、ずっと虐待について取材されてきた方だったので、一度お会いしたいと思って。
それで、その方といろんな話をしていくうちに、この活動は継続的にやっていくことが必要かなという考えになりまして。
年1回、僕がデザイナーをしていたのもあって、何かアートに関わる仕事、仕事じゃないけど、アートフェスができたらいいなと思って始まったのが毒親アートフェスですね。
qbc:ライターさんを呼んだ経緯というのを、もうちょっと詳しく教えてもらえますか?
浅色:最初は本当に会って話を聞いてみたいというのが、動機としては大きかったですね。
でも話を聞いたら、やっぱり自分も当事者ですし、集まった方々も確か20名くらい参加されたんですけど、その方たちもすごくお話の内容に共感して。虐待についてやっぱりタブー視みたいな雰囲気が当初あったので、何かやんなきゃいけないっていう思いももちろんありました。
本当に今でも、合っているのか間違っているのかよく分かんないというか、手探りというか。
今一生さんの著作。
qbc:合ってる間違っていると言うと、この活動自体がですか?
浅色:そうですね。もう本当に自信満々で、これが必要なんだぜみたいなことは、ちょっとまだ、そこまでは言えなくて。
qbc:なるほど。この活動自体に対しては、どういう感情をお持ちですか?
浅色:うーん。正直しんどい部分がすごく多いですね。
もちろん活動をやっていく中で、意外と寄付して助けてもらったりしてはいるんですけども、ほぼほぼお金は自分の持ち出しでやってるので。寄付次第にはなりますけれども、半分以上自分の持ち出しで。
一応、毒親アートフェスのサイト上に毎年の収支を載せてたりもするんですけど。
まあ、赤字が続きますね。
収支報告はこちらに掲載されています。
浅色:参加費も500円にしているので。なるたけやっぱり負担をかけたくないって思いもあって。
qbc:冊子は売れてるって感じですか?
浅色:冊子はいっぱい余ってます。冊子も今のところ赤字ではありますね。
qbc:経済的にしんどいけれども、今年も実施するというのはどういう風な気持ちからなんでしょう?
浅色:精神面とか金銭面ではもちろんしんどいんですけど、やっぱり自分も当事者なので、何とかしたいっていう義務感は、もちろんずっとあります。
続けてこれたのは、なんなんでしょうね、それなりの自負があるのかなと思います。
qbc:どういった自負ですか?
浅色:何かしらの虐待防止に関するアクションが取れてることに対して。でもやっぱり果たして正しいのかって迷うこともありますし。
qbc:なるほど。今年のイベントに関しては、作品募集を開始しました、という状態ですかか?
浅色:募集は継続していまして。大体、年の頭くらいにテーマを決めて発表して、会場を選定するのが3月とか4月とかが大体多いですけど。
そこから募集を始めることが多いです。作品が集まるのが、いつも締め切り間近なことが多いですけれど。
qbc:イベント自体ですが、最初から「これをやるべきだ」みたいな自信がおありだったんでしょうかね? 迷いながら進む感じ?
浅色:うーん、難しいな。
最初のうちはわりとハイになっておりましたけどね。自分やるんだ、やるんだぜって言ってSNSへ呼びかけて。思ったより集まらなかったとか、そう思う反面、思ったより集まったと思ったところもあって。
来てくれた方が、用意した感想ノートに感想を書いてくれたりとか、参加者さんからたまにお手紙もらって「こういうアートフェスがあってすごく良かった」っておっしゃってくれたり。こういう感想は、すごい僕自身の救いにはなりますね。
qbc:どういった内容が送られてくるんでしょうか。
浅色:他ではこういうことに参加したことなかったので、この毒親アートフェスがあって、自分も救われたって方がいらっしゃったりとか。
描くこと。このテーマ自体が、そもそも毒親に向き合うことで作品が作られるものなので、すごく辛いって皆さんおっしゃってて。作品を作るときにものすごくフラッシュバックする方もおられるって話も聞いたりはしますし。辛かったけど、作ってよかったっていうことを聞くと、僕もやってよかったなと思いますし。
qbc:はい。
浅色:あとは、最近聞いた話だと、全国的に自助会は、ものすごい数あるんですけど、そういうところは自分の話が受け入れられるのかとか、行って大丈夫なのかとか、人の顔色が気になるっていう方もいらっしゃるんですね。
対面での参加は難しいけれど、毒親アートフェスのサイトをパッと見たときに、ビジュアルを見て、私と同じ人がいるみたいな安心感を覚えて、参加して、続けてほしいって直接お話を聞いたときは、すごい嬉しかったですね。
qbc:ちなみに、普段創作をしていない方も参加されるんですか?
浅色:そうですね。もちろん匿名で募集してるんですけど、中には漫画家さんやデザインをやられているっぽい、プロの方もいらっしゃいましたが。
それとは別に、普段普通の仕事してるけど、ちっちゃい頃から好きで描いてたとか、本当に絵を描くのは初めてとか。写真でも大丈夫なんで、多分趣味で撮られてるんだと思うんですけど、写真を撮ってみた人もいらっしゃいます。特に何か決まった層というのはないですね。
qbc:毎年何点くらい集まりますか?
浅色:大体30点前後ですね。
qbc:なるほど。話をしたりする場所はあるけど、それ以外の方法で気持ちを吐き出す場所がないんですね。
浅色:そうですね、多分、匿名で何も喋らずに、ただ同じ人たちがいる中に参加ができるっていうのも、一つの強みなのかなとは思いました。
qbc:毎年続けて参加する方もいらっしゃるんですか?
浅色:そんな方もいますし、割とメンバーは変わることが多いですね。
qbc:ご自身の中で救いになったというのは、具体的にどんな感じのことでしょうか?
浅色:さっきお伝えしましたけども、こういうアートフェスがあってよかったっていう手紙ないし匿名での書きこみを見たときに、ちょっと続けてかなきゃいけないかなって思うところは少しずつ育ってまして。
qbc:精神的にしんどいというのは、お金の面はわかるんですけど、それ以外にもありますか?
浅色:お金の面もそうですけど、本当にあんまり無いんですけど、ごくたまに心無い意見というか。
以前あったのが、たまたまYahoo!ニュースに掲載されたことがありまして、Yahoo!ニュースって大体どこかの転載なんですけど、コメントで、これくらいなら描けるみたいなことを、書く人っているんですよ。
こういうのを「アート」として言ってるのは。みたいなことを言う人もいて。
それだけちょっと辛いですね。
割と皆さん何かやるときって、集団というか、チームを組んでやることが多いかなと思うんですけど、基本的に1人でやってることが多ったので。今は広報協力として青柳さんという方にご協力をお願いしています。
qbc:チーム制にしていないというのは、何か理由はありますか?
浅色:まず、お金が発生しないこと。
qbc:内容的には、レギュラーで手伝ってくれる方はいらっしゃるんじゃないのかなと思えたんですが。
浅色:なんでしょうね。名古屋にいた頃は割と知り合いが、会場の設営とかというのは手伝ってくれたりはしてましたね。
あとはチラシができたらチラシの配布を皆さんお願いしますという風にお願いしたり。
普段やることとしたら、まず会場の選定から、予算の選定から、チラシのデザインをどうやって作るか、テーマをどう決めるかって、なんか大体僕の中しかないものが多くて。
これはすぐ連絡取れる方じゃないと無理だし。
でもお給料って渡せるほど儲かってないので、そこはすごい一番申し訳ないなと思ってますね。
過去:頭にちらつくんですよね。当時のこと、言われたこと、されたこと。
qbc:子供の頃はどんなお子さんだったんでしょうか?
浅色:やんちゃな子供でしたね。二つ上の兄と八こ下の妹がいまして。
虐待に関しては、殴る蹴る投げ飛ばされる閉じ込められるなどの割と身体的な虐待が多くて。罵声とかも飛んでくるので、精神的な虐待も多かったですね。でも兄と妹に対してやってるところ全く見たことがなくて。
父親からなんですけど。しばらくして大人になってから、やっぱりあれは虐待だったよなっていうのを感じてますね。
qbc:生活としては、子供の生活を過ごされてたんですかね。虐待を受けつつも、友達と遊んだりみたいな。
浅色:そうですね。周りからは全くわかんなかったんじゃないかなと思います。自分も特に言わないですし。
子供って割と、他の方もよく言われるんですけど、うちと違う、なんかうちがおかしいっていうことはあんまり気づかないんですよね。よその家に行って、お菓子を出してもらえたり、優しくしてもらえたりってので、初めて気付いてびっくりするて話を聞いたこともありますし。
うちも、しつけと称されてそういうことされてたので、それが普通だと思ってたんですよね。まあ、割と早い段階から父親を憎んではいましたけれど。
子供らしいことは、確かにやってました。やんちゃだったりしてましたけど。
qbc:外に出て遊ぶなとか、そういうことはなかった?
浅色:拘束されたり、ネグレクトだったりはないです。ただ、酔っ払って帰ったら高確率でやられてましたね。
qbc:なるほど。遊び自体は、どんな遊びをしていましたか?
浅色:家の裏手に崖があるんですけど、崖を登ったり降りたりして。
本当に命綱ないと危ないのにって、今になったら思いますけど。
qbc:外で遊ぶのが中心?
浅色:外で遊んだりとかゲーム。プレステ、64とかゲームを家でやったり、友達の家に行ったりですかね。
qbc:学校での生活は?
浅色:学校、成績は良かったと思います、中学までは。でもあまり行きたくない。
行けば友達はいますし、行ってしまえば何とかなるんですけど、行きたくない病がすごいありましたね。
qbc:何で行きたくなかったんですか?
浅色:行きたくなかったからですかね。
qbc:具体的にこれが嫌いみたいなのがあったわけではなく?
浅色:うーん…何なんでしょうね。誰が嫌いとかはないですし。体育祭みたいなのが面倒くさかったんですけど。行きたくなかったんですよ。
qbc:そうすると、家で何々したいから休むとかではなく。
浅色:ゲームをしたい、という気持ちはありましたけど、ゲームをしたいために休むんじゃなくて、休んで暇だからゲームしてる感じでもありました。
qbc:子供の頃はこれが好きだった、というものはありますか?
浅色:小学生は…何が好きだったんだろう。でもなんか学校行きたくなくて、家で漫画読んだり、ゲームしたり、崖登ったりしてました。
学校休んで崖上ったり、腐ったイモ見つけて投げて遊んだり。
qbc:子供の頃って、周りからどんな子だって言われてました? おとなしい?
浅色:おとなしい子供じゃなかったと思いますけど、聞いたことはないですね。大声出すのはちょっと苦手だったので、すごい田舎だったんですよ。体育祭とかやると、先生がもっと大きな声出るだろうとか煽ってくるんすよ。無理だって思ってやってました。
qbc:学校自体、そんなに好きではなかった?
浅色:うーん…小学校はよくわからないまま休んで。中学校はもうネットに触れちゃったので、もうネットの世界の方が楽しくて。
ネットで触れる人たちって、やっぱり大人なので。当時のYahooチャットだったりとか、大人と接することが多かったりして。周りがすごい子供に見えちゃったりしてて、つまらなくてってのはありましたね。
qbc:家はどうなんでしょう。好き嫌いで言ったら。
浅色:嫌いでしたね。
qbc:それはお父さんが原因?
浅色:主に父親ですね。
qbc:お母さんは?
浅色:お母さんは放任主義でしたね。
qbc:中学校からは、インターネットが好きだった?
浅色:インターネットは好きでしたね。
qbc:高校、その後の進路はどうなってきますか?
浅色:隣の県の私立の学校の、進学コースってとこに行ったんですよ。当時は弁護士とかに憧れて行ったんですけど、全然ついていけなくなって、辛くなって辞めました。
高校を2年の2月に辞めました。
qbc:めっちゃ勉強したいわけじゃなかったんですかね?
浅色:勉強したかったはずなんですけどね。はずなんですけどついていけなくなっちゃって。無理だと思って辞めて。辞めたその年に大検取って。
それで名古屋の方に引越しして、名古屋の専門学校に通ったんですよ。そこのイラストレーション科で、雑誌の挿絵だったりとか、ずっと絵を描いて2年で卒業して。
で、担任の先生に卒業間際に就職どうなってるんですかって聞いたら、みんな案内されてるんですけど、ぼくだけ案内が無くて、年明けてから聞いたら、あ、忘れてたって言われちゃって。
qbc:忘れてた?
浅色:そう、忘れてたって言われちゃって。それで学年主任のところに連れて行かれて、元教え子がいるからって、その会社に受けに行って、受かったかったんですけど。
その会社は、お葬式屋さんで。新卒でお葬儀屋さんに入って、デザインの仕事をするのかなって思ってたら、がっつり営業してました。「おくりびと」って知ってますか。
qbc:はい、もちろん。映画ですね。
浅色:あんな感じのことをやってましたね。半年ぐらい。先輩について。
夜勤もあるし、夜中に電話かかってきて、お客さんとこ行って、何か枕飾りみたいなのを飾り立ててとか。
葬儀場の手配から何からていうのをやったりしてました。でもやりたいことと違うってことで辞めて、そっからはずっとデザインの仕事に関わることをやってます。
qbc:お仕事探しは、どんな風に?
浅色:当時は、リクルートとかDODAとか、ああいう人材紹介サービスとか。またはハロワだったりとか。
qbc:専門学校の頃から1人暮らしだったんですか?
浅色:そうですね。
qbc:じゃあ、お父さんとの関係には距離が置けた感じ?
浅色:一応物理的な距離は置けましたね。やっぱり物理的な距離を置くことは、結構大事かなと思います。
まず、自分の安全が保障される。殴られない蹴られない。虐待された人の中にはやっぱり、それでも親を好きでいたいっていう気持ちが強い人も少なくなくて。だから、虐待されるけれど悪いのは自分なんだって。
でも話を聞くと、そんなわけないのにっていうことがあって。そういうところからすると離れて少し冷静になるっていうのも、必要なんじゃないかなと最近は思うようになりました。
qbc:年をとって、離れて暮らしていくと、虐待の影響というのはどう変化していくのですか?
浅色:お勤めしてた頃は、仕事に一生懸命だったりして、自分の中ですごく回復した、大丈夫だって思ってたんですけど。
ほんと最近になって、それが年をとったからなのか何なのかわからないですけど、やっぱり頭にちらつくんですよね。当時のこと、言われたこと、されたこと。それが原因なのかわかんないですけども、調子が悪くなりすぎる。
なんか本当に起き上がれなくなるようなこともあったりしてってことはあります。
qbc:病院に通われてるんですか。
浅色:行った病院がちょっとハズレだったので、今はちょっと検討中です。
qbc:話がちょっと冒頭に戻るのですが、毒親アートフェスのきっかけになったライターの今一生さんを知ったきっかけってなんだったのでしょうか?
浅色:ほんとにたまたまですね。ツイッターで見掛けて、たまたま相互フォローになって、この人の言ってることに共感できるなと思って。
当時ツイキャスで配信を見たりしてて。言ってることにそうねそうねと思いながら、うちで講演会呼んでみようかって。それがきっかけですかね。
qbc:呼んで講演会、は大きなアクションだと思って。イベントにまでする情熱ってどこから来たのかなと。
浅色:それが2017年だったんですよ。2017年に、そのライターさんが『日本一醜い親への手紙』っていう本の出版費用をクラファンで集めてたんですよね。
で、それを集めるにあたって全国各地で講演会やりましょうっていうところから始まって。それでお安く講演会ができたっていうところもあったので。
qbc:元々、虐待防止に関する活動などはされていたのですか?
浅色:してないです。
qbc:何歳くらいのときにイベントをされたのですか?
浅色:えっと、31歳です。
qbc:なるほど。本当に突然っていう感じ? 例えばインターネットで、別の企画はやったことがあったとかもなく?
浅色:初めての企画です。呼ぼうって思ったきっかけは、配信をずっと見てて、共感出来て、この人と話をしてみたい、この人に会いたいって思ったことで。
呼び始めた当時は、イベントを続けようなんて思ってなかったので。ほんとにそこから始めたって感じですね。
未来:「自分もそれくらいやられてたよ」。そう言われるのは、当事者たちにとって結構辛いんですよ。
qbc:未来についてお伺いします。5年後10年後、あるいは死ぬときに周りからこう思われておきたいとか、死ぬまでにこれをやっておきたいですとか。
未来って、どういうイメージで考えていらっしゃいますか?
浅色:割と、やりたいなって思ったことをやってるところですね、今のところ。
一昨年に熊本に引っ越してきたんですけども、熊本市の方に引っ越したい、そこで仕事をしていきたいって思いがずっとあったんで、それは叶いましたし。
個人的にギャラリーを運営していきたいって思いも、今のあとりえーる・ぎるどっていうシェアアトリエ兼ギャラリーを運営してるので。それも去年突然始めたんですけど、それもそれなりに当時の未来としては叶ってて。
デザイン業の方も、今はフリーランスでやってますので、それも不満があるというわけではなくて。
qbc:はい。
浅色:今は、今やってることを続けていければと思います。本当に生きづらい人たちの、何かちょっとした手助けというか、例えばうちのアトリエに来てちょっと遊んで、なにか心が晴れるようなことがあればいいなと思ってるところもありますので。
コロナだったり、インボイスがうんたらっていうので、来年、再来年、僕が今の事業をやれてるかっていうのは、ちょっと確約できないところがあるから、続けていきたいという気持ちが強いですね。
自分のやりたいと思ったことを今やってます。
qbc:感情面はどうですか? 楽しい嬉しい満足しているとか。
浅色:どうなんでしょうね。これも毒親アートフェスみたいではあるんですけど、やっぱり迷いながらやってますね。
自分が本当にやりたかったことなのかしらとか。
qbc:試行錯誤しながら物事を進めていくのが好きですか?
浅色:好きというか、そうせざるを得なかったですね。
qbc:選ぶ仕事によっては、そんなに考えない仕事もありますよね。サラリーマンの種類にもよりますが、あんまり考えなくてもいい部類のサラリーマンの仕事もありますよね。
浅色:そうですね、サラリーマンだった時期もあります。でも、合いませんでした。
qbc:今、していることが、はっきり良いかどうかわからないって感じですか?
浅色:そうですね。死ぬまでに答えが出たらいいんじゃないかなと思ってます。
qbc:その答えは、欲しい?
浅色:いや、特には。
qbc:なるほど。今、一番していて楽しいことってなんでしょうか?
浅色:うーん、旅行。気晴らしに旅行に行くのが一番楽しいですね。なかなか行けないですけど。
qbc:気晴らしってことは、普段は考えることが多い?
浅色:そうですね。考えること多いですね。
qbc:考えることから逃げてしまうってことは、できそうですか?
浅色:性質的に多分無理です。
qbc:なるほど。旅行に行くと、多少は考えることを止められると。
浅色:そうですね。例えばもう、この日は絶対に仕事はしないとか決めて、平日にぴゃっと朝とか行くとすごい気持ちいいですね。
qbc:そうしたら、とりあえず100万円もらって、1ヶ月働かなくていい、となったら、どうしますか?
浅色:働かないです。働かないけどギャラリーは運営してると思います。
qbc:ギャラリーは好き?
浅色:好きというか、やりたいと思って始めたことではあるので。
qbc:毒親アートフェスはどうですか?
浅色:自分で好きに毒親アートフェスを発表できる場が欲しいって思ったのが始まりだったんですけど。
ちょっといろいろと意味合いも変わってきたので。そうではなくて、何でしょう。
ギャラリー自体も誰かの逃げ場所になってほしいって思いはあったりはするし、繋がってないわけではないんですよ、僕の中では。なんでしょうね。ちょっと言い方が難しいというか。
qbc:今ギャラリーはどういったギャラリーになってるんですかね? 絵を売っているギャラリー?
浅色:代理販売もしてますし、180×180センチの自由に飾れる壁面を二つ用意してまして。今は月1回テーマを決めて自社主催でやったり。レンタルもちろんできますし。あとシェアアトリエなので、自由に来て描いて、それからお話してたりとかはしてますね。
qbc:なるほど。ギャラリーにいると、どんな気持ちになれますか?
浅色:寂しい。人が来ないと寂しいですね、すごい。
qbc:人が来ると?
浅色:人が来るとお話することも多いので、楽しい。
qbc:ギャラリーの、どこが良いんですかね? 人がくるって要素なのか、その作品を飾れるって要素なのか。
浅色:このギャラリー自体にもいろんな意味を持たせてて。熊本でアートに関わる仕事に携わりたいってのももちろんですし、大阪名古屋東京とか、大きなギャラリーさんとかと比べると全く意味合いが違う運営の仕方してると思うんですけど。低料金で貸し出ししてて。
熊本はギャラリーさんもそんなに多くないというか、だんだん無くなっていったりとか、発表の場がなくなったりとかっていうお話もすごい聞いてて。みんなが交流できる場を作りたいとか、気軽に最初に作品の発表ができるお試しの場であったりとか、そういうのができればいいなということも、思いとしてはあります。
qbc:なるほど。
浅色:マンガ県くまもとなんて市は言ってますけど、当事者に寄り添った形のアート発表展ができればなと思ってます。
qbc:もしもの未来という質問をしていまして。当事者の方には聞きにくいのですが、もしも父親からの虐待がなかったら、どういう人生になったと思いますか?
浅色:虐待ということに気づかずに、心無い言葉を当事者に浴びせた可能性は高いなと思ってます。
よくあるのが「自分もそれくらいやられてたよ」。そう言われるのは、当事者たちにとって結構辛いんですよ。自分の苦しみ方が、他の人の物差しで語られることって、二次被害なんですよ。
「私が苦しかったので」「私が辛かったんで」ってのはやっぱり大事にはしていきたいなって思ってるところなので。人によって、やっぱり物差しも違うし。
女性の性被害の苦しみは、(男性からしたら)それはもう想像するしかできないですし。「そんな格好してるからなんだ」みたいなこと言う人もいますけど、(その言葉そのもので)実際にやっぱり相手を傷つけてしまってるので。
だから、その人たちが加害者になりかねないところですね。だって責任なんて取れないですし、加害したからといって。
qbc:そういう心情って、どうわかってもらえばいいのですかね? 毒親アートフェスのような形で表現していくのか。それとも胸の内に秘めておけばいいじゃんってことなんですかね。
浅色:胸の内に秘めざるをえなかったのが、ずっと日本社会だったのかなと思いますし。僕が出来ることは、デザインが出来て、多少Webにも造詣があるので、こういった形で毒親アートフェスもやらしてもらってる。
他にも講演会っていう形でやられる方もいらっしゃったりとか。
厚労省ではもう全部、虐待の統計のデータが出てるんで、それを元に何かいろいろとやられてる方もいらっしゃるみたいで。政治ですね。ちゃんと投票に行くとかですよね。
qbc:人に話したり、表現することで気持ちは楽になったりするものですか?
浅色:楽になる人もいると思いますし、あと時期にもよるんじゃないかなと思います。
qbc:なるほど。ありがとうございます。
それでは最後に、言い残したことがあればお伺いします。
浅色:虐待って言うと、テレビの中だけのことなんじゃないかなみたいに思われる方がすごい多いんですけど、実際はものすごい多いですし、割と身近に起こってます。
実は、自分の隣に住んでた人が虐待だったんじゃないかってケースはすごい多くて。
それを言うことが恥ずかしいみたいな世の中ではなくて、理想はやっぱりみんなでみんなに優しくできるような、みんなが不幸にならないような社会になっていくといいなと、そういう気持ちをずっと持ち続けているので。
それで、クラウドファンディング始めますので、毒親アートフェスの東京・名古屋・大阪で開催できるように、ご協力いただければとてもありがたいです。
qbc:ありがとうございます。
浅色:ありがとうございます。
クラウドファンディングはこちらから!
あとがき
いかがでしたか? 感想はコメント欄に残していってほしい、どうか。
私は今ステップファミリーで、他人の子供と暮らしていて、言葉が通じないって大変だなって思いながら生きてます。元夫もこちらを見ているしね。ただ私は元夫と話したことで、この人のための共同生活でもあるんだなと思いました。
しかも私の立場上というか生き方上、生活の風景をSNSに公開しているところもあり、それを見て私に意見する人たちもいます。じゃあ、それが辛いかというと、ぜんぜん辛くはなくて。
私は昔から配信者もやっていたし匿名掲示板で炎上もしたことがあるし、他人が自分のことをとやかく言ってくるのには慣れている。讒言を言ってしまう気持ちもわかる。私だって、他人を見た瞬間に自分との価値観の違いを感じることは、もちろんある。
むしろ人間は、他人を見たときに自分がその他人と一緒にいて損か得かをとっさに見極めて、損する相手なら攻撃する性質を持ってるんじゃないのかなと思う。だって、損する人と一緒にいたら自分が死んじゃう場合だってあるじゃん。人間の対人感情の根源は、やっぱりそいつと狩りに行ったときに獲物をきちんとちゃんと仕留められるか、危険な目に遭わないか事故を回避できるか、という点なんじゃないかと思う。
だから異物の排除がある。
いやいや、そんな狩猟採集社会の名残なんか現代に持ちこまないでとも思うけど、それにいまだにふりまわされ、社会的病理というかたちで懊悩しているのが私たちなのかもしれないな、なんて思う。
まあ、まあ。いずれにしろ、
「私が苦しかったので」「私が辛かったんで」ってのはやっぱり大事にはしていきたいなって思ってるところなので。人によって、やっぱり物差しも違うし。
という言葉を聞いたときに、このことを記録することができて私は良かったなと思いました。
インタビュー担当:qbc
編集協力:mii
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