北斗の拳に思う、「今日より明日」が遠くなった理由
リメイク版の北斗の拳 見ましたか?
今回もやっぱり出てきましたね種籾の爺さん。
北斗の拳の時代設定なんて 言わずもがなな気がするけど
荒れ果てた世界で、食べるものもなく、水もなく、人々が今日を生きることだけで精一杯の世界。
そんな中で この種籾を! って
今日よりも、明日なんじゃ!! って言ってた あの爺さん
今食べれば、とりあえず今日の空腹は少しだけ満たされるかもしれない。
でも、その種を土に植えて、実らせることができれば、いつか人々が食べ物を奪い合わなくてもいい時代が来るかもしれない。
今日より明日。
僕の世代はこの言葉で生きてきたような気がする。
バブルが終わった頃に物心ついて、就職氷河期真っ只中のなかで20代を進んできた。デフレスパイラル時代と言えるかもしれない。
たぶん僕たち40代以降の世代には、
この言葉が響く人が多いんじゃないかと思う。
今は大変でも、いつか良くなる。
今は報われなくても、続けていれば何かにつながる。
雨がやまない日はない。
明日のために、今日を生きる。
でも最近、ふと思う。
この「今日より明日」という言葉は、
今の若い人たちにも同じように響くの?
まぁ 響かないなーって思ったからこの記事を書いてるんだけど(笑)
その種、本当に実るんですか。
実ったとして、それは自分たちの口に入るんですか。
実る前に、また誰かに奪われるんじゃないですか。
そもそも、明日は本当に今日より良くなるんですか。
そんなふうに聞こえているんじゃないかな?
J-popの流行りの歌詞から見る 爺さんの影
僕は音楽の専門家でもないし、経済の専門家でもない。
政治や教育について、ちゃんと研究したり勉強したわけじゃないけど
なんとなくそう感じる J-popの歌詞ってその時代を表しているよねー
昔の歌には、もっと真っ直ぐな応援があったように思う。
90年代には、ZARDの「負けないで」という言葉がそのまま人の背中を押していたし
99年 世紀末だけど Mr.Childrenの「終わりなき旅」には、まだ先へ進むことに意味があるという感覚があった。
00年代には、DREAMS COME TRUEの「何度でも」この歌詞すごいよね
何度失敗しても、もう一度立ち上がる。次の一回で何かが変わるかもしれない。
それはまさに、やまない雨はない、という感覚に近い。
もちろん当時だって、みんなが明るい未来を信じていたわけじゃなかったし
なんだったら信じたくて無理やり明るくしてた感があった。かもしれない
それが10年代に続くのかも・・。
バブルは崩壊していたし、就職氷河期もあったし、不況もあった。
それでも、歌の中にはまだ「前へ進めば何かがある」という空気が残っていたのかな
ところが10年代になると、その応援の形が少し変わった気がする。
震災があり、日常が当たり前ではない、今日の延長線に明日があるわけじゃない。ってことを気付かされたと言うか・・
その後に流れていた歌は、「負けるな」「走れ」「立ち上がれ」というような直接的な応援というよりは 明るく行こうよ。ってまるで
昭和30年代の戦後の日本のような雰囲気だったかも。
「恋するフォーチュンクッキー」は、未来を語るというより、とりあえずみんなで少しだけ踊る。
星野源の「SUN」は、遠くの成功というより、今日の朝に差し込む光のように聴こえる。
サカナクションの「新宝島」は、どこか懐かしいポップカルチャーの匂いをまといながら、それでも次へ向かおうとしていた。
10年代のJ-popは、「明日はきっと良くなる」と大きな声では言わなくなった。代わりに、「今日をなんとか越えよう」と言っていたのかもしれない。
そして20年代ぐらいからは、空気はさらに変わったと思う。
最近だから記憶が新しいのかもしれないけど・・。
YOASOBIの「夜に駆ける」や、Adoの「うっせぇわ」のような曲が強く届いた時代。
そこにあるのは、単純な応援じゃなくて
頑張れと言われても、きれいごとに聞こえるしなー
ちゃんとしろと言われても、そんなことは分かってる
でも、分かっていてもしんどい。
そんな声が、音楽の中に強く出てきたように感じる。
昔の応援歌は、未来に向かって背中を押していた。
今の歌は、立ち止まっている人の隣に座っているように思う。
どちらが良いとか悪いとかじゃなくて
ただ、時代の空気は変わったんだなーと改めて思う。
かもしれないに期待できません。
昔は、明日を信じるための材料がもう少しあった。
頑張れば給料が上がるかもしれない。
経験を積めば立場ができるかもしれない。
家を持てるかもしれない。
家族を持てるかもしれない。
少なくとも、今日より明日は少しずつ良くなるかもしれない。
でも今は、その「かもしれない」がずいぶん弱くなってしまった。
物価は上がるけど給料は思ったほど上がらないよね
NISAに突っ込んで投資もするけど不安は尽きないし
将来の年金も不安だし結婚も、子育ても、家を持つことも、
昔よりずっと遠いものに見えるのかもしれない。
SNSを開けば、誰かの成功も、誰かの失敗も、誰かの怒りも、誰かの絶望も、すぐに目に入ってくる。
最近は地震も多いし気温や気候異常みたいなものも多く感じる。
明日を信じる前に、明日が壊れる可能性ばかりが見えてしまう。
そんな時代に、「今は大変でも、いつか報われるから頑張ろう」と言われても、簡単には頷けないのだと思う。
爺さんの種籾はやっぱり食べるわけにはいかない。
明日を信じられない若者が増えたのではなく、明日を信じるための根拠を、社会が渡せなくなったのかな?でもみんなが社会の一構成要素でもあるし・・。
種籾の爺さんは、種を信じていたのではなくて。種が実る未来を信じていた。今、失われているのは種そのものではなく、その未来への信用なのだと思う。
もちろん、だからといって、今日を全部食べ尽くしてしまえばいいとは思わない。
種籾を全部食べてしまえば、本当に明日は来なくなる。
今日がしんどいからといって、明日の分まで使い切ってしまえば、明日はさらに痩せていく。
明日を信じろ、と簡単には言えない。
でも、明日なんて信じられないと全部諦めてしまうのも違う。
たぶん必要なのは、大きな未来を信じることではないのかもしれない。
社会が良くなったり
景気が良くなったりして
人生がいつか報われる。ってそんな大きな言葉は、もう今は信じがたいのかもしれないね。
でも、来月の自分が少しだけ困らないように
隣にいる誰かの明日を、少しだけ楽にすることはできる。
今日の自分が、小さな種をひとつだけ植えることはできる。
北斗の拳の種籾の爺さんが守っていたのは、米ではなく未来だった。
今日より明日。
その言葉をもう一度信じるには、まず、信じられるだけの小さな明日を、自分たちで作るしかないのだと思う。
