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守られるだけの“か弱い”女の子なんて、まっぴらごめんだった

子どもがAlexaに頼んで歌を流していた。どんどん関連曲に移り変わり、なぜだか昔のアニメソングのターンになったらしい。食器を洗いながら何となく聞いていると、懐かしい曲が流れ始めた。

乙女のポリシー。

セーラームーンの、確かエンディングだった歌だ。

わたしはセーラームーンRから最後までアニメを見ていた世代で、それはもう、ものすごく好きだった。小1から小2に上がる前、父の仕事の都合で愛知から大阪へ引っ越すことになったとき、母に「おおさかでも、セーラームーンはやってる?」と聞いたくらい、わたしにとって大切な存在だった。

昔から、わたしは負けん気が強い。「守られるだけのお姫様」の物語には、あまり興味を惹かれてこなかったように思う。「女の子だから」という理由で軽んじられることも、逆に許されることも嫌だった。その理由が「筋肉量が違う」など、どうしようもない差異として納得できるものであれば、「それはそうだな」と理解できる。女でなければ難しいこと、男でなければ難しいことは、生物学上どうしたって存在する。それはわかる。

ただ、「女だから支えなければ」「男だからリードしなければ」といったジェンダーロールに関するものに対しては、「なんで?」の気持ちが強かった。

親から何か言い聞かされて育ったわけではないと思う。だから、どこからこの「女だからって舐めるな」みたいな強い我が生まれたのか、よくわかっていなかった。生まれついた性格なのかもしれないな、と思っていたのだ。

偶然、流れてきた「乙女のポリシー」。うろ覚えの歌詞を口ずさみながら、ふと「ああ、幼いころにセーラームーンを見ていたことが、人格形成に何か影響を与えてくれていたのかな」と思い至った。

戦う女の子。タキシード仮面という存在はいるものの、セーラームーンはただ守られるヒロインではなかった。当時のわたしが見よう見まねで書いていた物語じみたものの中には、明らかにセーラームーンに影響を受けた戦う女の子が出てくる。

一方的に庇護される存在になりたくはない。守ってもらう、支えてもらうことだけに甘んじたくはない。守られるなら守りたい、支えてもらったら、同じだけ支えになりたい。昔から、その価値観、考え方はずっと変わらない。

そんな自分のことが、わたしは結構気に入っている。お世辞にも頑強な心身を持ち合わせているタイプではないけれど、これからも“ピッと凛々しく”いたいと思った。

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卯岡若菜 お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。