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【AOE2DE】文明別メモ(19)エチオピア

苦手文明シリーズ第3弾はエチオピアシバの女王某ゲームで話題だから……というのではない。射手の攻撃速度アップを主軸に、攻囲兵器やラクダ、ユニークユニットのショーテルウォリア等も強力で選択肢が多い。進化時に資源を受け取れるので即座にアップグレードを入れやすいのもメリット。数少ない欠点は騎兵・騎士系統が中~終盤に弱体なこと。
HD時代、2015年のアフリカンキングダム拡張パックでの登場以来、ショーテルウォリアの強化を中心に何度かバランス調整があったが射手/(重)石弓と兵器を主力にする特色は揺るがない。


文明特性と基本戦術

「射手の文明」。時代進化ごとに食料&金を各100と使い勝手のよいボーナスを受け取れる。徒歩射手の攻撃速度+18%が強力なので、領主から全力で射手を出していきたい。散兵に対してはマイクロ勝負を挑むよりは一旦退いて進化を急ぎ、投石機やスコーピオンを添えるのが有力。また、騎士文明に対しては無料アップの長槍が便利だし、血統がないとはいえラクダに城主ユニテクを乗せれば機動力でも渡り合える。兵器のバリエーションが豊富で、帝王ユニテクで範囲ダメージが強化できるのも活用したい。

ユニークユニットと天敵

ユニークユニットのショーテルウォリア(50F30G)は移動速度が1.2*と速く攻撃力の高い歩兵。訓練時間は8秒→ELは4秒でどんどん出せる。EL化コストは900F450Gと安くはないが、訓練時間短縮込みと考えるべき(旧ユニテクの効果)。HPが45(ELで50)と低く基礎防御力も0/0のため、地形に遮られた射程ユニットが天敵。数を溜めやすいので、アリーナで攻城塔と組み合わせての奇襲戦術をたまに見かける。イーグル対策もこれで良い。
*ELグーラムと同じ。重装イーグルが1.15でELイーグルが1.3なのでその中間。

内政面

次の時代に進む際、食料と金をそれぞれ+100獲得。石弓のアップグレードや鉄工所テクに活用するのが定番。また、アリーナの即城主ビルドオーダーでは採掘所不要となる。エンパイアウォーズ等の開始時には付与されない。
これ以外に内政ボーナスはないので、中盤の内政拡大を怠るとジリ貧に。

テクと出せないユニットのメモ

鉄工所テク

鉄工所テクは馬鎧3を除きすべて研究可能。

文明ボーナス

徒歩射手の攻撃速度+18%。すべての戦略はこれを軸に組み立てる。
長槍兵のアップグレードが無料。最初期には帝王進化で自動的に矛までアップグレードしていたという。

チーム ボーナス: 前哨の視界+3、石材コストが不要
通常25W5Sのコストから石が不要になるのは大きい。中盤以降の視界確保に積極的に活用したい。

ユニークテクノロジー

城主ユニテク: 王家の血統(300F300G)
ショーテル ウォリアとらくだ騎兵が騎馬ユニットからのダメージを-3軽減。チーム戦で後衛の時には有用。1vs1でもこれらのユニットを活用していて、かつ相手が騎士やステップランサー等を出してきた時には有効。とはいえ普通に長槍/矛に切り替えれば良いという話である。相手の射程ユニットが多ければ鉄工所テクを優先することになるだろう。
近年のアップデートで内容変更される前はショーテルウォリアの生産時間短縮が主な効果だったが、ELアップグレードに統合された。
帝王ユニテク: ねじり力(1000F600G)
攻城兵器工房ユニットの爆発範囲が拡大。こちらがメインなので、深い森や道などのマップで帝王の兵器合戦になるならば優先して研究したい。
・投石機・大砲……+0.45
・破城槌……+0.5
・スコーピオン……+0.3 (0.1→0.4なので強力)

出せないユニット・使用不可テクノロジー

戦士小屋……ギャンベゾンなし、近衛剣士へのアップグレード不可。
弓小屋……パルティア戦術研究不可だが他は全てフルアップ。砲撃手使用不可
馬小屋……血統なし、近衛騎士アップグレード不可。
兵器小屋……大砲含め全てフルアップで、帝王ユニテクで更に強化される。全文明を通して最強クラス。
聖職者……贖いと活版印刷がないが、通常使用には問題なし。大砲等に対しては自分も兵器を出して対抗可能。
学問所……人力起重機、狭間、砲台等が研究不可。
その他……城壁強化研究不可のため城のHPが上がらない。
内政テク……輪作のみ研究不可
海軍……高速火炎船、重爆破工作船、機動キャノンガリオン船等へのアップグレード不可。カーヴェル船体、サイフォン・焼夷兵器なし。詳細は割愛。

戦績

1vs1であたったときは3戦全敗。チーム戦で相手にエチオピアがいる時の勝率は45.7%。射手と兵器のコンビネーション、あるいはラクダやショーテルでの速攻に翻弄されているようだ。対策は、地味ながらしっかり内政を整えて、自文明のボーナスに応じてユニット数をしっかり出すことだろう。手持ち文明のポルトガルに対して、とりわけアンチ的要素が強いため格好の研究対象。

参考動画

2026年版

キャンペーンシナリオ等

ザグウェ朝の女王、グディト(ヨディト)をモチーフにした全5戦のキャンペーンシナリオがある。他に、フランシスコ・デ・アルメイダ等で登場する、アフリカ東部~インド洋の土着民に割り当てられることも。

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以下はゲームに関係ない内容です。

歴史のうんちく

「エチオピア」という呼称はヘロドトスによるイティオプス(AETHIOPS)という命名、「日に焼けた人々」を意味するギリシア語に由来する。しかしエチオピアが国家概念として成立したのは1900年代に入ってからで、19世紀まではアビシニアと呼称されていた。これは「ハベシュ」すなわち「セム語化したハム族、混血」を意味する言葉に由来し、蔑称のニュアンスがあったため当地の支配層であるアムハラ人はこの呼称を忌み嫌っていたという。近代に入ってショアの王家出身のメネリク2世(在位1889-1913)がソロモン朝を継承してエチオピアを統一、国際的に承認された皇帝位に就いた。この時に初めて上記のヘロドトスの記録から引いたエチオピアという名称を国名として名乗ったが、諸外国からのアビシニアという呼称は1940年代まで残った。

「アイーダ」

オペラ『アイーダ』はヴェルディの作による1871年初演のオペラで、エジプトの若き将軍ラダメスと、囚われの身であるエチオピアの王女で絶世の美女であるアイーダとの悲恋がテーマ。「凱旋行進曲」はイタリア等でサッカーチームの入場曲に使われるなどしてお馴染み。ファラオ時代がモチーフなのでどちらかといえば初代AOEの範疇。"エチオピア軍"がテーベまで侵攻したり、エジプト軍がナパタを経由しての反撃を予定するなどといったストーリーの感じから、アイーダの出身国のモデルはナイル川上流のヌビア王国(現スーダン)ではないかとも思われる。スエズ運河開通(1869)を祝うのが主目的の劇作なのでそれ以外の細かい設定はフワッとしていたのだろう。舞台衣装の演出も中世風から古代ファラオ時代の考証に忠実なものまでバリエーションがある。

アイーダは絶世の美女。重要なことなので2回言いました。動画は1981年のサンフランシスコ・オペラで全盛期のパヴァロッティらによる公演。

アクスム王国の興隆

さてAOE2に目を向けて、グディトの舞台となるアクスム王国は紀元前5世紀頃からその存在が知られている。紅海沿岸近くを拠点として交易で栄えた。別名ソロモン朝ともいわれ起源は古く紀元前10世紀のシバの女王まで遡る。ソロモン王とシバの女王の子であるメネリク1世の血筋を引いていることが、王たちの正当性の根拠の一つであった。一説にはキリスト教国化する過程で古くソロモン王との縁故を強調して王権の正当化に利用した、とも。エチオピア北部にユダヤ系の住民が近代まで一定数まとまって存在したことは事実で、彼らは「メネリク1世が父・ソロモン王と謁見した際にイスラエルから連れ帰った人々の子孫」と称されていた。20世紀後半の革命後に度々迫害を受け、時のイスラエル政府により「救出」されている。

使徒行伝8章には伝道者フィリポによりエチオピアの宦官(あるいは高官)が改宗したエピソードが登場するが、アクスム王国が国家としてキリスト教国になったのは4世紀のコプト派による布教を受けてのことで、ローマ帝国がキリスト教を国教化してからまもない時期。これは当時アラビア半島に進出してサーサーン朝と対立していたため、(東)ローマ帝国の支援を期待してのことだったともいう。その後アクスム王国は気候変動とムスリムの勃興に伴う交易ルートの変化により衰退。サーサーン朝の遠征軍によりイエメンへの支配権を失ったことが大きな打撃となった。

ザグウェ朝……グディトたちの時代

ヨディト(グディト)はザグウェ朝(900頃‐1270)初期の女王。アガウ族の女族長のひとり、という扱いのこともある。キャンペーンシナリオとしては、王女グディトは当時対立していた従兄弟または甥のギダジャン王に追放されて流浪。シナイ半島~アラビア半島に同盟者を求めた後、帰還してギダジャンを討つ。更にアクスム王国のダグナジャン王を打倒して950~960年頃に(一時的に?)滅ぼし、その首都を占拠した……という筋立て。ただしこの時期にアクスム王国が完全に滅亡したわけではなく、その後も200年近く存続したようである。いずれにせよアクスム王国は1137年までにいったん滅亡し、ザグウェ朝がその文化を継承した。ラリベラ王(英語記事)の時代に盛んに築かれた岩窟教会群は世界遺産に登録されており、AOE2でも修道所にエチオピアの固有グラがある由来となっている。

岩盤を直下に彫り進めることで建造された教会のひとつ。

ソロモン朝の再興~近代エチオピア史

13世紀後半に至ってイクノ・アムラク(在位1270-85)がアムハラ人貴族と正教会の支援をうけてザグウェ朝を滅ぼしソロモン朝を再興。ソロモン王に始まる系譜が改めて捏造整備されたのはこの時代のことである。東部の交易ルート沿いに成立したムスリム国家、イファト・スルタン国(1285-1415)やアダル・スルタン国(1415-1559)とは協力関係にあったが、しばしば戦争も行われた。戦時にはそれぞれの背後にいるキリスト教世界とオスマン帝国の支援を受け、代理戦争の様相を呈した。19世紀なかばに至ってテオドロス2世(在位1855-68)とその後継者たちが長い群雄割拠時代を終わらせ、近代化に成功。19世紀末のイタリアの侵攻を撃退、20世紀に入って近代憲法を制定したが、ついに第二次世界大戦前夜の1936年にファシストイタリアの植民地化している(HOI系ゲームでおなじみ)。しかしイタリアが他戦線でも退潮する中、英国の支援を受けて早くも5年後には皇帝ハイレ・セラシエ1世が帰還し、帝政が復活したのだった。

戦後は、当初連邦制を敷いていたエリトリアを併合したことによる関係悪化や気候変動による食糧不足など、順調とは言えない治世の末、1974年のクーデターで皇帝ハイレ・セラシエ1世は退位、翌年に帝政は廃止された。特に1970年代80年代の干魃による飢餓は深刻で、それぞれ数十万人~百万人以上が犠牲になったという。後者の被害は広く報道され、1985年にウィ・アー・ザ・ワールドライヴエイドといったチャリティーコンサートが企画されたことでも有名。1991年にエリトリアが独立して現在の国境線が確立。1995年には選挙を実施して軍事政権民主化が達成されたが、その後も度々、国内外で紛争が起きている。隣国ソマリアの情勢が安定せず難民が流入する他、近年は北部の分離独立運動を背景に内戦状態となるなど、現代エチオピアの未来は明るいとはいえないのだった。



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