見出し画像

『ヤンキー多発地帯・足立区のたたかう書店員』第6棚

第6棚「表紙を捨てろ?」


「いらっしゃいませ」
「かしこまりました」
「少々お待ちくださいませ」
「申し訳ございません」
「ありがとうございました」
今朝も出勤して、エプロンを付けたら「五つの挨拶」の復唱を元気に行う。
接客業のアルバイト経験がある人だったらよくご存じの「五つの挨拶」だ。
本来、集団行動が嫌いで、あまのじゃくな性格の私なので、こういった毎朝恒例の「上から強制的に言わされてる感」「訓練感」満載の行動は「ケッ」と吐き捨てて絶対にやらない。20代の頃は確かに拒否してアウトローを気取っていた気もする。
だが、50代にもなれば、何でも面白くなってくる。率先してやりたい。
それに、一人暮らしでコンビニ店員ぐらいにしか会わない生活をしていると声を発することが減ってくる。人間、突然声を出そうとしても意外に出ないものである。出ても声がかすれて恥ずかしい感じになりがち。夜道で危険な目に遭遇しても咄嗟には「助けてー!」という声が出ないと同じだ。これは、常に声を出す練習をしておかなければならない。喉を開いておくのだ。
「あ、ごめんなさい!」
その割に、お客様とぶつかりそうになって咄嗟に出る言葉は「ごめんなさい」である。
すると、オタク店長に注意された。
「そこは『申し訳ございません』ですよ。いつも魚住さんは大きなミスは回避していますが、ちょこちょこと、後で問題になりそうなことをしでかしてます。クレームを受けないこと自体がもはや奇跡です。いいですか、単に運がいいだけですからね」
なるほど、これは驚きだ。
私は神妙な面持ちで腕を組んだ。
今まで自分は運の悪い人間だと思い込んでいたが、実は、大問題や大クレームは回避しているという強運の持ち主だったのか。目から鱗だ!
おまけに、ヘレン・ケラーと同じ「奇跡の人」という称号までいただいて、有難い限りである。
本を愛していないひどい客やヤンキーに対して、毎日のように「表情だけで」ケンカ売っているのが、オタク店長にはバレている。
しかし、オタク店長は本気では怒っていないだろう。それに、他のアルバイトよりも私には言いやすいらしいというのがわかっているので、あまり気にしてはいない。
いい歳のおばさんが「てへぺろ」って顔をしながら、レジカウンター内で本のカバーを折る作業に精を出す。
書店員の仕事内容のうち、よく知られているのが、購入された「本にカバーをつける」仕事だ。
書店の顔となる表紙カバーは、書店特製だ。大量に印刷されて、本部より入荷される。そして、サイズごとに書棚の下にある引き出しに格納されるが、その時はまだ一枚の紙。書店名やイラストなどが印刷された紙にすぎない。
それを書店員が本のサイズごとに折って、「書店の顔」に仕上げていくのだ。
慢性的に人手不足で、アルバイト全員多忙な状態でも、「カバーを折る」作業は接客の合間にせっせと励んでいる。紙の上下(天地)を折って、それを重ねて、レジカウンター下に積んでおく。一番折る枚数が多いのが、ツン先輩だ。
「カバーおかけしますか?」
「お願いします」
慣れない頃は、お客様の前でカバーをかけるのが恥ずかしくて非常に緊張した。顔は真剣そのもの。
でも、心の中では「見ないで〜!」「(できたら呼ぶから)どこか行っててー!」といつも大汗かいている。
それでいうと、カウンター対面式の寿司屋の大将は手元を見られてやりにくくないのだろうか、と余計な心配をする。彼らは料理人かつパフォーマーなのかもしれない。書店員もカバーをつける時はパフォーマーなのだろうか。
表紙カバーの中で一番多く用意しておくサイズは「文庫本」用。それから、コミックスサイズ、四六判サイズなど。本のサイズは、それぞれ統一されているので、それに合わせればカバーもだいたいピッタリだ。たまに、ものすごくぶ厚い文庫本もあるが、天地サイズが合っていればギリギリ入る。
その中でも、折っておいた文庫本サイズのカバーに絶対に入らない統一規格外がある。ほんの一センチ弱程度なのにどうしてもサイズが違う文庫本レーベル。
それは……ハヤカワSF文庫!
伝説の文庫本レーベル。
編集者でもある私がそこを諦めてはいけない。
「ハヤカワSF文庫」用の書店カバーを折っておけば良いのだ。自発的に何枚も用意して……これで、SF好きもひと安心。
SFマニアっぽいお客様が買うと、ついニコニコしてしまう不審な書店員だ。
(カバーのサイズもピッタリ合ったし、気持ちいい!)
たまにA4判ほどの写真集を買うお客様から「カバーを付けてください」と頼まれることがある。これはかなり予想外のサイズでついアタフタしてしまう。プレゼント用の包装紙を折って、表紙カバーにするのだ。
「カバーをかける」「カバーをつける」ことの意味を考えてみよう。
①「表紙が汚れないように」保護の意味合い。
②「何を読んで(見て)いるか知られたくない」隠す意味合い。
③「書店のカバーが好きで集めている」コレクションの意味合い。
概ね、①か②の理由が多いと思われる。
もちろん、不要な人も多いが、それは当然選択の自由があるだろう。そのあたりは自分も客として書店に行ったらその日の気分で付けてもらったり、不要だったりするので大した問題ではない。カバー一つ取ってもいろんなことを考えてしまう。やはり本に関連することはどういうことでも興味深い。
ところが、書店員としてではなく、編集者としての私の脳天を鈍器で殴打するような出来事が起こった。
別に、ブックスあだち無双店に荒ぶるヤンキーが金属バットを持って現れ、大暴れしたわけではない。
何気ない日常の一コマである。
レジカウンター内にいたのは嵐リーダーと私だ。時間は作業が少し落ち着いた午後四時頃。店内は閑散としている。少し雨の匂いがした。
時代小説の文庫本を手にし、70代の男性客がレジカウンターに現れた。
「いらっしゃいませ」
その男性は少し放るように文庫本を置いた。
(あれ?)
「カバーおかけしますか?」
「カバーなんていらん! 表紙も取って捨てておけ!」
男性が放つ「命令」はイライラと私に突き刺さってくる。何故、そんなに怒っているのか。何があったか知らないが、他人に当たる人間とは会話したくない。
「お客様、表紙をわざわざ剥がして捨てるんですか?」
「うるさい! 表紙なんか邪魔なんだ。捨てろと言ったら捨てろ!」
(カッチーン!)
じじい、今、何と言いやがった?
本の顔である表紙カバーを剥がして、書店員に捨てさせる?
本の表紙は大事なんだぞ。出版社が書籍制作を下請けに丸投げしても、中身は編集してなくても、表紙の制作だけは決して下請けにはやらせないものなんだぞ。表紙には本の内容を表すマーケティングのすべてが詰められているものなのだ。本屋に来て、本を選ぶ時にはまず何を見る? 表紙だろう? 文章を書く仕事をしてきたが、本屋に来て平積みしてある本を見てインスピレーションを感じたり、購買意欲がそそられるのは長い文章じゃない。イラストや写真、装丁、デザインだ。
そう! ビジュアルだ! 音楽のレコードやCDを買う時に「ジャケ買い」するように本にも「表紙買い」がある。「タイトルが素敵」とか「タイトルが気になって」ということもあるが、それも「表紙が良い!」という気持ちの中に含まれている。そこには、制作側の血と汗と涙と残業と徹夜と休日出勤と「エー! お父さん! 今度の日曜日、遊園地に連れて行ってくれるって言ってたのに嘘つき!」「編集長! 子どもが熱を出して、保育園から迎えに来いって電話があったので、この仕事は自宅作業して明日までにデータを送りますから!」なんて、クリエイターたちの嘆きと叫びも詰まっているのに。
新品の本! 新刊の! 真新しい! 表紙カバーをゴミ箱に捨てておけ、だと?
信じられない!
だいたい、自分が会社員だった頃はどれだけ偉かったか知らないが、見ず知らずの書店員にその軍人みたいな命令口調は何なんだ?
常連だろうが、年長者だろうが、許さない。
もし、本当に表紙カバーがいらないにしても、書店員に捨てさせるなんて卑怯者だ。持ち帰って、自分の家で、自分の手で捨てればいいじゃないか。
罰が当たれ! これから一生、トイレットペーパーが自分の時に「切れていた!」という罰が当たれ!
「はい、かしこまりました」
(はっ!)
嵐リーダーの冷静な接客で我に返った。
私が脳内で怒りを大放出させている間に、嵐リーダーは男性客の指示通りに表紙カバーを剥がしてゴミ箱に捨ててしまった。男性客ももういない。
私の怒りのオーラを感じ取ったのか、オタク店長がため息をついた。
(やばい……)
私は本当に接客業に向いていない。
だが、やっぱりこればっかりはどうしても承服できない。
長年、編集者をしてきて、本や雑誌を作ってきた人間だから。
何よりも、本やマンガに救われた子どもだから……。
——どんな本でも、表紙カバーだけでも……捨てるなんてできないのだ。

(第6棚「表紙を捨てろ?」了)

いいなと思ったら応援しよう!

魚住 陽向 = 東京キャスケット舎 星の数ほどいるクリエイターの中から私を見つけて、読んでくれて、ありがとう。一人暮らしで、還暦を超えたクリエイター。まだ何も成し遂げていません。でも、将来の目標ができました。そのためにこれから芸大生(通信教育部)になります。「才能」なんてこれから創り出してみます(笑)。