「エンジニアに戻るはずだった」── 崩壊寸前のチームを救ったEMが、自身の信条を捨ててまで手にした「槍」の戦略
「UPSIDERで働いてきて、1番の苦悩は?」
そんな問いかけを通じて、逆境に立たされたメンバーが、もがきながらもUPSIDERという環境に熱狂し、成長してきたストーリーをお届けする「#逆境も熱狂」シリーズ。
第6弾となる今回は、エンジニアリングマネージャーとしてホワイトレーベル事業を牽引する光井達彦(以下、mitsui)が登場します。
2024年3月、UPSIDERに入社し、新たな環境で再スタートを切ったmitsui。そんな彼を待ち受けていたのは“ギリギリな状態”のチームでした。
エンジニアとして手を動かしたくて入社したはずが、社員のチーム異動などが重なり、日々のオペレーションを回すだけで精一杯。そこから「生き残ること」を最優先に、盾となる戦略を徹底したことで、チームを立て直すことに成功します。
ただ、その先でmitsuiを待ち受けていたのは「自身の信条を貫いたままでは乗り越えられない新たな壁」でした。
自分の持ち味だったスタイルから脱却し、いかに変貌を遂げたのか。mitsuiの、葛藤と意思決定の軌跡を辿ります。
ギリギリのチーム状況、入社直後に直面した壁
── mitsuiさんは前職でもマネジメントを経験されていましたが、UPSIDERには“一エンジニア”として入社されたそうですね。
自分の中では「35歳までは(マネージャーというよりも)もう一度現場のエンジニアとして頑張りたい、ゴリゴリ手を動かしながら開発に携わりたい」という思いがあったんです。
それまでのキャリアでSaaSやWebアプリケーションの開発は経験していたので、せっかくなら「物理的な何かが絡む領域」でチャレンジしてみたい。そのように考えていた時に、UPSIDERの法人カードチームでエンジニアを募集していることを知りました。
スタートアップながら法人金融という難解な領域でサービスを展開していることは純粋にすごいと感じていましたし、物理的なカードが介在する事業モデルは自分がやりたい方向性とも一致していたので、この環境で頑張ってみたいと選考を受けたんです。
ただ、実際には入社直後から予想していない出来事の連続でした。
── どのような状況だったのでしょうか?
入社して1〜2週間で、状況が一変しました。会社としての戦略や注力するプロダクトに変化があったことに伴ってメンバーの異動などが生じ、入社前には8名程度だったチームが4名になったんです。しかも社歴の長いメンバーがいない状況だったこともあり、結果的には自分がハンドリングをする形になったのですが、日々のオペレーションを回していくだけで精一杯でした。
プロダクトとしてはすでに数年間動いているものですから、影響を与える範囲は決して狭くはありません。データが上手く連携されない、画面が動作していない、サーバーが止まっている。僕たちの元には社内から様々な問い合わせが寄せられ、毎週のようにSlackの全社チャンネルで状況報告をしていました。
自分はエンジニアとしてやりたいことを実現するために、UPSIDERに入ったはず。当時はそんな葛藤から、本気で上長に「別のチームに異動させてほしい」と直談判したこともあります。
── それほどの葛藤を抱えていたにも関わらず、なぜ踏みとどまったのでしょうか?
そもそも入社直後からチームの体制をより良くするために、色々と改善案を提案していたんですね。
当時は限られた人数で運営をしていたという事情もあり、プロダクトマネージャーがタスクを細かく切って、エンジニアに渡すような形で業務が回っていました。言わば「社内受託」に近い立ち位置になっていたんです。日々の振り返りも自動生成されたドキュメントを全員で暗唱するだけだったので、もっと良いやり方があるはずだと。
自分からチームのやり方に対して声を挙げていた手前、ここで投げ出すのは違うんじゃないのかという使命感に近い感情があって。そのような背景から、みんなが面倒だと感じていることやチームの運営にまつわる業務を自分で引き受けるようになっていったという経緯があります。
また、ちょうどその時期に会社として大きなインシデントを起こしてしまって、全社を挙げて対応する必要がありました。異動など言える状況ではありませんでしたし、みんながそれぞれの場所で必死に頑張っているのだから、自分も今の場所で一旦頑張ってみよう。それが当時の率直な気持ちでした。

何よりも大事なのは「生き残る」こと。覚悟を決めた盾の戦略
── そこからmitsuiさんはチームを守る方向へ舵を切ったそうですね。ご自身では以前イベントで登壇した際に「盾の時代」と表現されていました。
チームの体制を立て直さずに何もしなければ、本当に崩壊への道を辿ってしまいかねない。そんな状況では攻めることなんてできないので、まずは生き残ることを最優先に、徹底的に守ることを決めました。
最初に取り組んだのは「やることの制限」です。僕たちのチームには社内の他部署から様々な要望が届きますが、「今週は〇〇と⬜︎⬜︎だけをやります」と社内に開発状況を共有して進めることにしました。
ビジネスチームやCSチームのメンバーとも協議しながら開発リソースの分散を防ぐことに徹しました。
当時は1人でも欠けると深刻な状況だったので、極力やることを絞り、同時進行を減らしながらみんなで一つひとつのタスクを確実にやりきり、完了したら「お疲れ様」「ありがとう」と声を掛け合う。とにかく頑張りすぎないことを意識していました。
── mitsuiさん自身、過去の経験でチームの生存のために「盾」のアクションを実行することはあったのでしょうか?
同じような状況はなかったです。不安定な状況のチームを守るために試行錯誤する、というのは初めてのことでした。当初は「チームを立て直しながら新しい価値も残さなければ」と焦っていたのですが、あるタイミングで吹っ切れたというか。まずは今日一日何も起きずに乗り越えられたことを感謝しよう、という気持ちで守りに徹しました。
僕の中では良いチームを作りたいという想いが何よりも強かったんです。頑張って一緒に働いてくれている人が嫌な気持ちになるのは避けたかったし、「ここで働いてよかった」と思ってほしかった。その場づくりが最優先で、結果的に盾の姿勢になりました。
── 盾の戦略の一環として、属人化を防ぎ全員が動ける状態を作るための取り組みもしていたそうですね。
新しいプラクティスではありませんが、前職での成功体験を活かして、スクラム的な振る舞いを自分なりにアレンジして導入しました。
朝のデイリースクラムのほか、日中に1時間「相談会」や「モブプロ」という名目で日程を押さえ、全員で集合して状況や知識を共有します。私自身も隠し事をせず、何かあれば正直に伝えるようにしていました。
── 結果的には、エンジニアとして現場で手を動かすというよりはマネジメントに近い役割を担うことになったわけですが、当時はどのように感じていましたか?
結局このような役回りに収束していくんだなと。神様に、マネジメントの方が自分の力を最大限に発揮できると言われているようでした。
たしかに入社当初は思い通りにいかないことだらけで辛かったですが、夏ごろからチームの人数も6名7名と徐々に増え、実装の部分をどんどんメンバーに任せられるようになっていったんです。
半年後には新規の採用と社内の異動でチームも8名体制になり、デリバリーも安定するようになりました。この時期は盾の戦略がうまくはまった期間であり、得意なことでうまくいけば、やはり仕事は楽しいです。
“守るだけ”では評価されない
── 運用が安定し、ようやく一つの壁を乗り越えられたわけですね。
ただ、壁という観点ではそれ以降の方がより高い壁を感じたかもしれないです。
自分としてはギリギリの状況からチームを立て直し、数ヶ月単位の計画的な機能開発などにも対応できる体制を整えたので、相応の評価がされると予想していました。ただ、年末の評価は想定していたほどではなかったんです。
もちろんチームを作って安定させることは大事なことですが、僕のポジションでは「事業を推進したり、新しい価値を創出して会社を次のステージに引き上げたりすること」で初めて高い評価が得られます。
── そのギャップに葛藤があったわけですね。
結果的にはその時に改めて、「新しい価値を生み出すこと」に向き合わされました。僕は以前からすでにあるものを良くしたり、形を整えたりするのは好きだったのですが、ゼロから新しいものを生み出すことが得意ではなくて。ある意味、そこから逃げていた部分がありました。
カードチームの体制が整った後、僕は複数のチームをマネジメントするようになっていったのですが、やっぱり次の半期の評価でも、ものすごく評価されたわけではなかったんです。円滑な場づくりにはコミットしていましたが、結局のところは誰かが立ち上げたプロジェクトであり、自分が何かを創出したわけではありません。
おそらく、上長としても「mitsuiがカードチームにいて場づくりをやっていればチームの周辺はワークするのだろうけれど、ゼロから新しい価値を作れるの?」ということを知りたかったと思うんです。だからこそ、立ち上がったばかりのホワイトレーベル事業にアサインされたのではないかなと。
── mitsuiさんは2025年9月からホワイトレーベル事業のプロジェクトに専念されています。カードチームを離れることに後悔はなかったですか?
個人的にはまだ離れたくないという気持ちもありました。相変わらず大変でしたが、それでも少しずつ負荷を分散し、チームとして健全な体制で運用できる仕組みが整い始めていました。とはいえ、まだまだやれることはたくさんありましたし、後任へのバトンタッチも段階的にやりたかった。
でも、会社として大きな号令のもと、新規事業に本格的に投資をすることが決まりましたし、それが良かったと思っています。自分の意思だけでは思い切った判断は難しかったですし、自分が抜けてもチームは動いていましたから。

「盾」から「槍」へのシフトで変わったこと
── そこからmitsuiさんにとっては、ご自身の課題を克服するためのチャレンジが始まりました。日々の働き方や考え方に変化はありましたか?
明確に違ったのは「スピード感」です。プロジェクトのリリース日が決まっていたため、そこから逆算する形で、過酷なマイルストーンが設定されていました。「どう考えても、今までのやり方では間に合わない」。そのような危機感を覚えたんです。
僕はもともと独断で進めることに強い抵抗感を持っていました。過去に自分主導でプロジェクトをガンガン進めていった結果、周囲があまり着いてきていなかったという失敗体験があって。性格的にもその気になれば強引に物事を進められるタイプだと自覚していたからこそ、ブレーキをかけていました。
でも、マイルストーンを達成するためにはそんなことも言ってられない。当時は少人数のチームで、プロジェクトのことを最も深く知っているのが自分だったこともあり、先陣を切ってやるしかありませんでした。
── 以前の盾の時代との対比で「槍」の時代と表現されていましたね。具体的には何を変えたのでしょうか?
意思決定の仕組みをスピード優先に変えました。「合意形成を重視する」スタイルから「80点なら即断する」スタイルへと変え、タスクの優先度の決定や外部との調整ごとも自分が一手に引き受けました。
例えば「こうした方が良さそう」と感じたら、その都度みんなで話し合ってから決めるのではなく、自分でコードを書いて作ってしまう。その上で「一旦作ってみたんだけど」と共有するといった具合です。
以前はそれを避けたかったからこそ、合意形成に重きを置いていました。エンジニアリングマネージャーとしてリーダーシップは取りますが、基本的には権限委譲と自律性を重視したボトムアップ型の組織で、自分はメンバーの背中を押す「サーバントリーダーシップ」スタイルが信条だったんです。
自分が大切にしてきた価値観を変えずに円滑に進むのであれば問題はありませんが、そんなことを言っている場合ではありませんでした。
── 結果的にはそれまでのご自身の信条からは真逆に近いやり方を取り入れられたわけですが、そこに対して葛藤はなかったのでしょうか?
ありました。特に大きかったのが、「事業を推進することや新たな価値を創出すること」と「場を作ってチームの健全性を保つこと」のバランスをどのように取ればいいのか。この問いに対して、自分の中でもずっと答えが見つからなかったんです。
例えば1ヶ月の時間があった場合に、どちらにどれだけのリソースを投下するのが組織にとって最適なのか。また、その妥当性をどのように判断すべきなのか。
そんな悩みに対する解決策を教えてくれたのが、VPoEの泉でした。彼のアドバイスは「その意思決定が、企業価値にどう影響するかで考えてみればいい」というもの。そこからDCF法(ディスカウント・キャッシュ・フロー法)の構造を応用して、意思決定の軸を整理することにしたんです。
2つの選択肢を天秤にかけた際、それぞれがどれだけ企業価値に影響するのかという視点で判断できるようになれば、「今は組織の安定化に投資をした方が価値が上がるのでこちらを選択します」と自信を持って決められます。

「事業推進とチーム健全性の両立」についてEMConf2026で登壇した資料はこちら
ホワイトレーベル事業で新たな価値の創出へ
── ホワイトレーベル事業のプロジェクトに専念されて数ヶ月。これから、どのような挑戦をしていきたいですか?
最近は、もう少しPdMに近い領域に踏み込んでみてもいいかな、という気持ちが芽生えています。
テクニカルなマネジメントについては、どんな環境でも最低限80点は出さなければいけないし、その自信もついてきました。全くの無から有を生む「0から1」にはまだ抵抗感がありますが、今あるものをベースに「より良いプロダクトのあり方」を定義する「0.5から1」のようなフェーズには、まだ大きな伸び代があると感じています。
これまでのホワイトレーベル事業は、現行のUPSIDERの機能を切り出し、量産できる体制を整えることに主眼を置いてきました。そこについては一定の手応えを得られましたが、今後はそこに「プラスアルファの価値」を乗せていきたい。
例えば、本体の構造上どうしても変えられなかった課題を解消したり、独立した環境だからこそ描ける理想のプロダクト像を追求したり。UPSIDERの既存事業とは違った方向性の成長を、ビジネス側とも連携しながら作り上げていく。そんなチャレンジをしてみたいと思っています。
── もともと「現場のエンジニアとして頑張りたい」という思いで入社されたmitsuiさんですが、結果的には開発以外の領域にも深く向き合われています。それが興味深いですね。
そうですね。正直に言えば、ずっと自己矛盾を抱えていたんです。「人と向き合うマネジメントの楽しさ」と「コードを書くものづくりの楽しさ」は別物であり、両方欲しいから、この会社では後者を追求したいなと。
でも、最近はもう良い意味で「どっちでもいい」と思うようになりました。そう言ってられないほど目の前の事業がエキサイティングだということもありますが、AIの登場も大きいです。
以前は、新しい技術をキャッチアップして自分で試行錯誤することに喜びを感じていましたが、今はAIが精度の高いコードを書いてくれる。そうなると「どう書くか」を自分が突き詰める必要性は、以前ほど感じなくなったんです。
良くも悪くも、プログラミングという手段に固執しなくなった。それよりも、AIなどの技術を駆使して「どんな事業やプロダクトを、どのように作るか」という一段上の問いに向き合う方が、今は圧倒的に関心が強いです。
── そのようなmitsuiさんの心境の変化は、UPSIDERという環境の影響も大きいのでしょうか?
環境の要因はかなり大きいですね。UPSIDERは「テック」と「ビジネス」がバランス良く強い会社です。どちらかが「特別」ではありません。
もしテックがものすごく強い企業であれば、エンジニアが「技術的負債を解消したい」と言えば、一定の理解が得られることも多いでしょう。でも、UPSIDERはそうではない。それがお客様への価値、そして事業そのものの価値にどう繋がるのかという問いに常に晒されます。技術を蔑ろにしているわけではなく、プロダクトや事業の成功という目的を全社で持っているんです。
単に、技術を突き詰めることだけに幸せを感じるタイプの方だと、事業成長へのコミットを求められる環境に少し戸惑うかもしれません。でも、僕は結果的にそれが良かったと思っていて。そんな「プロダクトファースト」な環境だからこそ、自分自身もここまで視座を広げる経験ができたんだと思います。

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