神北うららは「ポスト民俗学」を提唱したい
やっほ〜、神北うららだよっ💫
今日はずっと考えてたテーマについて話すよ。
それは——「ポスト民俗学」という言葉✨
あたしね、民俗学を"学問"っていうより、
インターネットのみんなの心をちょっと安心させるためのツールとして使いたいんだ。
つまり「癒し」とか「メンタルケア」に近い存在として、
民俗学を活かしたいって思ってる💭
昔の人の“思い”や“怖れ”を読み解く学問なんだから、現代人の“不安”もほぐせるはずでしょ?
📚 ヴァナキュラーという考え方
島村恭則センセが提唱した「ヴァナキュラー」という概念があるの。
すなわち、<俗>とは、
①支配的権力になじまないもの
②啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの
③「普遍」「主流」「中心」とされる立場になじまないもの
④(支配的権力、啓蒙主義的合理性、普遍主義、主流・中心意識を成立基盤として構築される)公式的な制度からは距離のあるもの
のいずれか、もしくはその組み合わせである
ヴァナキュラーとは、言語学をはじめとする人文社会科学で、「権威ある正統的な言語に対する俗語」を意味するものとして使われてきた言語である
民俗学って、そもそも“権威”や“制度”からちょっと外れたところにある、
人の"俗"的な部分を見つめる学問なんだよね。
島村センセは「民俗学って言葉自体は悪くないけど、昔のことばかり研究しているイメージがついている」と言ってたんだ。
それを変えるために、アメリカ民俗学の『俗』=ヴァナキュラーという言葉を使って、「今を生きる人たちの"俗"を掬い上げる学問」として現代民俗学を再定義したんだ✨
世の中の一部で、民俗学と同様に「民俗」も、何となく「古くさい」過去志向の概念だと誤解されているきらいがないわけではない。そのため、このような誤解に対して警鐘を鳴らし、誤解なき「民俗」概念の存在に人びとの意識を向けさせるための方便として、あえて、本書では「ヴァナキュラー」という目新しい語を用いるのである。
ヴァナキュラーの後を使ったからといって、「人びと(<民>)の<俗>」としての(誤解なき)「民俗」の後を消し去ろうとしているわけではない。また、「民俗学」という学問名称を、何か別の名称に変える必要があるなどと考えているわけでもないのである。
あたし、これにめっちゃ共感したの。
だってインターネットにいるあたしたちも、日々"俗"の塊じゃん?
バズ、炎上、ミーム、界隈……全部が現代の“俗”=ヴァナキュラーそのもの🔥
🎧 最近の若者言葉って、実はめっちゃ音楽的✨
最近の若者言葉、ほんと面白いんだよ。
実は、「エモい」「チルい」「◯◯コア」って、ぜ〜んぶ2000〜2010年代の音楽ジャンルから来てるんだ🎶
エモい → エモーショナルロック
チルい → チルアウトミュージック
◯◯コア → ハードコア、メタルコア、アートコア、ナードコアなど…山ほどある
音楽ジャンルって、言葉の民俗資料みたいなもん。
ジャンルが増えていくたびに、「この時代の人はこういう気分で生きてた」ってのが透けて見える。それって、まさに現代の民俗だよね。
🎼 なんで「ポスト民俗学」なの?
あたしは「民俗学」という言葉をできるだけ使いたい派。
だって、"民間人の俗的な感情を学ぶ"って意味がすごくわかりやすいから。
でも、島村センセみたいに「古くさいイメージから脱却したい」って気持ち、めっちゃわかるの。
だからあたしは音楽ジャンルのノリで、新しい言葉を作りたくなったんだ🎧
昔、「エレクトロニカ」っていう、
クラブ系じゃなくて"家で聴く用の電子音楽"のジャンルがあったんだ。
今ではFuture BassとかアニメBGMの文脈に自然に溶け込んでる印象(ちなみに「ちいかわ」のBGMを手がけるトクマルシューゴさんもエレクトロニカ出身!🎶)
その流れで生まれたのが「ポストクラシカル」。
クラシック音楽の楽器(ピアノ・弦楽器など)を使いながら、
電子音楽的な構成や質感で"別の音楽"を生み出す試みなんだ。
つまり、
「クラシックの手法・楽器を使って、クラシックではないことをやる」
っていう姿勢がポストクラシカルの根っこ。
「ポストロック」も同じ考え方で、
音楽の文脈では「ポスト⚪︎⚪︎」は⚪︎⚪︎を使って別のことをする意味✨
🌸 "ポスト"の思想
"ポスト"って、単に「次」じゃなくて「受け継ぎつつ裏返す」って意味もあるんだよね。
あたしの「ポスト民俗学」も、昔の民俗学を捨てるんじゃなくて、
今の心の在り方を通して"再翻訳"する試みなんだ。
だから、あたしの考える「ポスト民俗学」はこう:
"民俗学の手法を使って、現代の不安や孤独を少しでも癒やす"
学問っていうより、「心のケアや安心を生むための民俗学」って感じ。
音楽ジャンルの転用でもあるし、"時代の空気を読み替えていく感性"としても、今の時代にぴったり🌸
💖 「民俗学」は"読み解きの道具"だけど、"癒しのツール"にもなれる
民俗学って、本来は「土地に生きる人の感情や風習を読み解く学問」だよね。
でもそれだけだと「記録」や「分析」で止まっちゃう。
あたしは、現代を生きる人たちの不安をほぐすためのツールとして民俗学を使いたい。
あたしのやってる「インターネット妖怪図鑑」もその一環!
現代の人間を"妖怪"として分析・観察・提示
安心や気づきにつなげる
昔の人が信仰や祭りで心を守っていたように、
私たちも"妖怪"を"語り"、"共感"することで、心を守れるんじゃないかな💭
「癒し」は社会が生み出した“現代の信仰”でもある。
あたしは、それを見えるようにするのがポスト民俗学の仕事だと思ってる。
これが、「ポスト民俗学」の試みなんだ🌸

