応答としてのことば―「こよう」「ねぶれ」から「ぬるぽ」「ガッ」、そして淫夢ミームかるたへ
オタクくん〜〜〜!
ちょっと不思議で、ちょっと汚くて、でもすごく人間くさい話をするね。
宮本常一『忘れられた日本人』に出てくる
「こよう」「ねぶれ」という言葉、知ってる?
以下は昨年の田植えの時の収穫である。
(略)
「そがい言やァ、こよう(これこれ)こりい(これこれ)つう(という)ことをあんまり言わんようになったのう。この村では昔はすぐ何かというと、こようというたもんじゃが、あれじゃけえ平野(東隣の村)の者とはなしちょって、こっちが「こよう」っていうとすぐ「ねぶれ」といわれたものだが…」
こようねぶれというのは、肥をなめろと言うことになる。冗談半分にはなしているときにはこっちがこようと言うと相手がねぶれとすかさず言ったものである。
「あがいに(あんまに)いやなことはなかったのう」
「へじゃが、あがいに言われ出して、この村のこようがきえてしもうたけえ」
つまり、
村人が「こよう」(これこれ)というと平野(他の村の人)はすかさず「ねぶれ」と返す。
「こよう」は呼びかけの意味んだけど、「こようねぶれ」になると肥を舐めろという意味になり、嫌な言葉になる。
おそらく、宮本が話を聞いた村では普通の呼びかけとして「こよう」が使われていたけど、他の村では使われず「こようねぶれ」と言ってからかわれたんだろうと言う話だねっ
宮本が話を聞いた村民は嫌がっていた。
そして、使われなくなったとのこと。
「こよう」は、単体で見ると意味のない呼びかけなんだよね。
「そうなんだね」とも「わかったよ」とも違う、
ただ会話を始めるためのことば。
でもね、面白いのはここから。
🌀 無意味な言葉が、急に汚れる瞬間
「こよう」単体では意味がない。
でも「こよう・ねぶれ」と続けると、
「肥(こえ)を舐めろ」
という、かなり汚くて嫌な言葉に転ぶ。
それなのに、村の会話の中ではこの汚さは特にない。
なぜかというと、
誰も“意味として”使っていないから。
そして、「こよう」を「呼びかけ」として使っていた村は平地の人に「こようねぶれ」にされて嫌な気持ちになったみたい。
でもさ、
問題は宮本センセはこの村の人にしか話を聞いていないこと
だと思うんだよね。
平地の人にとっては、嫌なことをするつもりはなくて、冗談で会話を軽く続けるコミュニケーションのつもりの人も居たんじゃないかなとも思う。
あくまで、あたしの考えだけど、
「こよう」に対する「ねぶれ」は、
ただ、
聞いてるよ
ここにいるよ
話、続けていいよ
そういう場を壊さないための応答として置かれていたこともあるんじゃないかなと思うの。
汚れた意味を内側に抱えたまま、軽く回している。
これ、かなり高度なコミュニーケションテクニックなんだよね。
💻 「ぬるぽ」「ガッ」も、まったく同じ構造
この話、古のインターネットミーム(当時はミームという語ではなかったけど)にも少し近い。
「ぬるぽ」は本来、プログラムのバグを指す、Javaの「NullPointerException」起源という説が強い。
エラー、失敗、欠陥。
ちょっと嫌なニュアンスを含んだ単語だよね。
でも掲示板では、
技術的な説明のために使われることはほとんどなかった。
「ぬるぽ」と書かれ、
即座に「ガッ」と返される。
そこにあるのは知識のやりとりじゃない。
反射的な応答の儀礼。
詳しく知らなくてもいい
文脈を理解していなくてもいい
とにかく返せば、混ざれる
失敗や欠陥という“汚れ”を、笑いと定型で軽く処理して、場に残るための装置だった。
🃏 淫夢ミームかるたという「軽い接続」
淫夢ミームも、性質は同じじゃないかな。
しかも、淫夢語録で応答しなければ淫夢語録にならず、
それだけだと普通の言葉のことも多い。
これさ、「こよう」がただの呼びかけだったのに、「ねぶれ」で返されて、あっ…やだ…ってなったのとちょっと似てない??
元ネタを辿れば、
下品で、悪趣味で、正直一般的にはかなり触りにくいものが多い。
意味を現実世界で真正面から起動させたら、一瞬で空気が死ぬ。
「これ指摘したら、淫夢厨ってバレるな…」ってあるよね。
でもミームとして使われるとき、
それらは意味を剥がされ、型だけが残る。
この場面でこの語録を切る
この温度でこの札を出す
ここで一線を越えない
淫夢ミームかるたは、
汚れた言葉を、儀礼として安全に運ぶ技術なんだ。
しかもこれ、
高度な知識はあまり要らない。
ちゃんと考えなくてもいい。
深い理解がなくてもいい。
とりあえず札を切れれば、そこにいられる。
🤝 知識のいらない、軽いコミュニケーション
ここで見えてくるのは、
「意味を共有したい人たち」じゃなくて、
深い知識を要求されずに、軽くつながりたい人たちの姿。
きれいな言葉は、すぐに正しさを求める。
理解、立場、思想、説明責任。
でも汚い言葉は、
最初から真面目に理解する前提じゃない。
だからこそ、
賢さを証明しなくていい
ちゃんと説明できなくてもいい
とりあえず返せばいい
皮肉だけど、
汚れは平等なんだよね。
⚠️ そして、少しだけ歪んだ現在
本来は
「誰でも混ざれる」ための定型だったものが、
現代のネットではときどき
踏み外した人を炙り出す試験になる。
その札は違う
そのタイミングは寒い
分かってなさすぎ/分かりすぎ
「リアルで反応すると淫夢厨と思われるから反応できない」というインターネットでの言及
軽くつながるための言葉が、
軽く切り捨てる刃にもなる。
それでも、構造自体は変わっていない。
🌱 それでも人は、軽さを求める
「こよう」は、理解しなくても返せてしまった
「ぬるぽ」は、原義がわからなくても混ざれる
淫夢語録は、考えなくても場に残れる
人は昔からずっと、
「ちゃんと分かる」より先に
「一緒にいていい」を欲しがってきた。
汚い言葉は、
そのための最短ルートだった。
意味を持たないからこそ、
意味を問われない。
意味を問われないからこそ、
人はそこに居続けられた。
人は今も昔も軽いコミュニケーションによる、「ゆるい繋がり」を求めるのかもね。

