四十八文字の話『フ』② -3「復刻本❗」 著者「前波仲尾」 書籍『復原された古事記』
皆さん、今回はこのシリーズのテーマである前波仲尾氏の著作『復原された古事記』について紹介させて頂きます。
前回のブログの最後に前波氏が古代支那研究の過程で発見した事実を下記の様に述べました。
◎支那前漢時代に書かれた歴史書【史記】( しき )
……この【史記】以前に書かれている古代支那史書は【中国語】ではなく【外国語】で書かれている❗
そして、その外国語とは「スメル語」( シュメール語 ) 及び「チュルク語」( 古代トルコ語 ) である。……
……太古から支那だけに限らず、それこそ大陸中からの影響を受けてきた日本。では、これらの外国語と全く無縁なのか?いや、そんなはずはない……
……例えば太古から伝わる【日本神話】はこれらの外国語で書かれているのではないか?……
これらの仮定に基づいて調査、研究を行い、纏められたのが『復原された古事記』です。

〇「国譲り」神話
「古事記」は皆さんもご存知の通り、原文は「漢字」で表記されています。

国宝「古事記」
どうやって作成されたかと言うと、「古事記」を書いた作者が、神話や昔話を伝える「口伝者」が発する「発音」、つまり「音」を聞き分けて、その「音」に音読みが該当する「漢字」をそのまま表記した、との事です。
◎例えば「口伝者」が「サン」と発音すれば、「三」(サン)とか、「山」( サン ) などの漢字を当てて記述する事です。
という事は、「古事記」はあくまで「音」、その「音」に当てられた【漢字の羅列】に過ぎず、それを見ただけでは、何の意味が有るのか、話の前後が繋がらない、何の脈絡もない「漢字台帳」と言えるかもしれません。
前波氏は、以前のブログで述べた様にその「古事記」の原文、漢字の「音」自体に焦点を当て、その「音」に当たる「スメル語」を明確にし、そこから日本語の訳を書きました。
ここで改めて前波仲尾氏『復原された古事記』」の内容を少し述べさせて頂きます。
場面は「国譲り」のシーンです。

描いている図
左側が出雲「大國主神」( オオクニヌシ )
右側が使者「建御雷神」( タケミカヅチ )
前波氏はまず「古事記の原文」である「漢字」と、その「音」を記します。
◎古事記の漢字原文 ➡️ その漢字の「音」
1「十掬剣 抜而」➡️「タチカゲン ナギンテ」
2「逆刺而 波穂」➡️「サカシサジテ ナムノブ」
3「逆刺 立而」 ➡️「サカシ ツキタ」
4「趺座 其剣前」 ➡️「アグムラ ジジンサジ」
その後、この漢字原文の「音」と同じ「音」に該当する「スメル語」を選び出し、選び出された「スメル語」を日本語に訳します。
◎上記漢字の音 ➡️
その漢字の音に合ったスメル語の日本語訳
1「タチカゲン ナギンテ」
➡️「船で押し寄せ 城を取囲み」
2「サカシサジ ナムノブ」
➡️「諸城の一帯に攻め上がり 生け捕りに」
3「サカシ ツキタ」
➡️「王子を討ち取る 一緒に」
4「アグムラ サキジジンサジ」
➡️ 「剣の鋭さにものをいわせて」
どうですか?
「スメル語」での日本語訳でこんなにも意味の通る文章となるんですよ❗️
これで翻訳していけば「古事記」全文がスッキリと記されていくと思われます。
ですが、皆さん。
今、日本語訳した部分。
改めて読むと、正に「戦争状態❗」を表してませんかね?
もしこれが真実を語っているならば、我々が聞いてきた「国譲りの神話」である
……「国譲り」は平和な話し合いで中で解決した……
との「神話」とは甚だ違う内容となります。
では私達が知っている「日本神話」とは何だったのでしょうか?
〇「日本神話」で記されている神々の「御名前」や地名等を「スメル語」で解説していきます。(勿論、『復元された古事記』からの抜粋です)
次にこの復刻本『復元された古事記』で語られている「日本神話」での単語 ( 神々の御名前や地名等 ) などを述べていきます。
◎「漢字」➡️その漢字の「音」に合ったスメル語
➡️該当したスメル語の「日本語訳」
・「天」 ➡️ アマ ( Am )
➡️ アム地方、又はアム河
・「高天原」( タカアマハラ )
➡️ タガ ( tig ) アム ( Am ) バラ ( barra )
➡️ ( アム ) 河の彼方の神国

「アラル海」に流れ着く河が「アム河」
◎高天原 ( タカアマハラ ) の神々の御名
・【天照大御神】( アマテラスオオミカミ )
➡️ アマ ( Am ) テル ( til )、オ ( u ) - ウミ ( um )
➡️ 「アムの地」で全力を尽くす。国の生成。

・【須佐之男】( スサノヲ )
➡️ ス ( su ) サノ ( sun ) ヲ ( uru )
➡️ 毛深い 身体中 男

・【建御雷】( タケミカヅチ )
※「国譲り」で「出雲」に派遣された来た使者
➡️ タケ ( Tag ) ミガ ( mug ) ツヂ ( tud )
➡️ 娶る ( めとる ) 浅黒 ( 黒人種 ) 生まれた

右側の剣の先に座る「建御雷」ですが
「国譲り」がスメル語での翻訳の通りならば
こんな場面は有り得ません。
◎「出雲」の神々の御名
・【大國主】( オオクニヌシ )
➡️ オク ( Ug ) - ニノ ( nun ) ウシ ( ush )
➡️ 大衆の王
又は
➡️ヲ ( Ug ) クグ ( gug ) ウシ ( ush )
➡️ 付属国 黒人の王
🌸「黒人の王」……これは「大いなる黒人」「黒人の棟梁」の意味であり、今でも「大國主大神」の別称として伝わっている「大黒様」となります。
🌸どうして「黒人」なのか?
それは後程述べますが、南インド地方に住む「トラヴィタ人」(黒人種)が関係してます。

・【事代 ( 主 ) 】( コトシロ )
🌸「大國主大神」の息子
➡️ クト ( Kud ) スルル ( surru )
➡️ 相談相手の神
🌸別称「恵比寿」( エビス) 様です。

左側が「恵比寿様」
🌸親子揃って仲良く、デスね
・【建御名方】( タケミナカタ )
🌸長野県諏訪市「諏訪大社」に祀られている神。
同じく「大國主大神」の息子。
➡️ ミナ ( Men ) ガダ ( gjdi )
➡️ 王族の小黒 ( = 「王子」)
🌸父親の「大國主神大神」が「大黒」( 黒人の王 ) ですので、それ対しての「小黒」( 王子 ) でしょうかね。

◎地名
・【出雲】(イヅモ )
➡️ イヅ ( id ) - ムノ ( mul )
➡️ ( アム ) 河から移住してきた人々
〇「日本語」のルーツはスメル地方から南インドを経て
我が国の「 国語学」の泰斗 ( たいと ) でありました
学習院大学名誉教授 故「大野晋」 ( おおのすすむ ) 氏。

この方は嘗て専門の「国語学」の観点からある発言をして、当時の日本社会に大きな反響を巻き起こしました。
「日本語の起源は【タミル語】である」
◎「タミル語」
南インドで今現在でも使われている言語。
古代、現在の南インドに移り住んだ「スメル(シュメール)人❗️」の一派が話していた「ドラヴィタ語」。「タミル語」はその系統に属します。

更に大野氏は
……「スメル語」を話していた「スメル人」の一派で、南部インドに暮らしていた「ドラヴィタ人」。
彼らは北から侵入してきたアーリア人の圧迫を受けたため、筏でアジア大陸沿いを東に向かい、インド洋、マラッカ海峡を渡り、朝鮮半島、そして日本の九州へとやって来た……と、述べています。

また前波氏も
……「ドラヴィタ人」が古代にこの日本にやって来た。だから「スメル語 」が伝わっているのだ」……
と、述べています。
「ドラヴィタ人」は古代「メソポタミア文明」を担った「スメル ( シュメール ) 人」の一派。
その後インドに渡り、そこで更に古代文明の一つと言われる「インダス文明」を築いた、と言われています。
○嘗て日本までやって来た【ドラヴィタ人】。彼らは【黒人種】です。
「ドラヴィタ人」は「黒人」系の民族。
先程の「出雲」のスメル語訳が「アム河から移住してきた人々」でした。
古代「出雲人」はアム河~南インドを経て日本にやって来た人々となり、出雲の神々が「大黒様」「小黒」などと称されているのはこういった理由があるからではないでしょうか?


赤色の部分が特に多い地域。
その次が橙色の地域。
○日本に残る「スメル語」
◎地名
・【薩摩】(サツマ)
➡️ 中国の少数民族である「苗族 」( ミャオ ) 。
この民族もメソポタミアから来た「スメル人」の一派であり、更に同族の「三苗」( サウル ミヤオ : Saur-mhot ) が、古代、日本の南九州に渡来し移り住みます。そしてその地を「三苗」( サウル ) と名付けた様です。
それが奈良時代に「薩摩」( サツマ ) となります。

◎族名
・【熊襲】( クマソ )
➡️ 同じく古代支那史書で使用されていた言語である「チュルク語」( 古代トルコ語 )。
それを使用していたトルコ系騎馬民族「突厥」( とっけつ ) 族の一派「クマン シフ : Kuman Sig 」族の族名が、「熊襲」となります。
この「クマン シフ : Kuman Sig 」族も、古代に日本の九州へやって来たようです。

濃い青はチュルク系言語を公用語にしている国。
薄い青は公用語にしている自治地域。
中央アジアに特に集中しているのが分かりますよね。
そこは「アム」河の流域です。

チュルク系でしょうか?
〇最後に
生前、前波氏が残した言葉の中に以下の様なものが有ります。
「【日本神話】が外国語で書かれている事が分かれば、その外国の若者達が【日本神話】に興味を持つのではないのかな。結構な事ではないか。」
最後まで学術的研究に没頭し続けた「前波仲尾」氏。
今現在の全くと言ってもよい程、世間に知られていない方です。
私はこの機会に、この方の残した素晴らしい業績を皆様に知ってもらいたい、との思いでこのブログを書かせて頂きました。もし興味を持った方がいらっしゃれば、是非お手に取って観て頂ければと思います。
では、失礼します。
