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"死"を意識して、"生"に楔を打つ

「3ヶ月後あなたは死にます。」


よくある小説やドラマの余命宣告。


それがもし現実に、
自分の身に起こるとしたらどうだろうか。


おそらくこれまで
先延ばしにしていたことを
「やらなくちゃ」と思うはずだ。


なぜなら、僕たちは誰しも
「100パーセント死ぬ」
というルールの中で生きているから。


その可能性が、
現実味をもって迫ってくると、
急にスイッチが入るのだ。


以前の僕は、これこそ死を意識すること
であると思っていたことがある。



「今を楽しまないと
いつ死ぬかわからないのだから
損である。」


そんな感覚さえ抱いていた。


そもそも極端な話、
明日死ぬかもしれないと言われると
おそらく目の前のことしか
考えられなくなり
すぐにできることや手に入れられるものに
目がいってしまうと思う。


だけど、死を意識するとは
そんな安直な結論に違和感を覚えたのは
色んな分野をまた勉強し直して
実践していってからだった。


結論から言うと
死を意識するとは
すぐにくるかもしれないところに
置くものではない。


80歳くらいの死を仮定し、
そこから逆算し、
目標や計画を為していくために
いまやるべきことを
楔のように打ち続けて
生きていくことだと思った。


人生の残り時間が
もしも砂時計のように
目に見えるとしたら、
私たちは“積み上げること”より
“削り取ること”に向かうと思う。


逆に言うと、80歳まで生きるために
毎朝散歩して、健康に気を遣って、
現状使う分からの余剰を
NISAで投資信託をしながら、
iDeco、小規模企業共済などで
資産運用に回すことで本来課税される
給料を非課税にしていく。


iDecoや小規模企業共済は
基本的に高齢になるまで
下ろせないということに関しては
思うところはあるが、
そんなことにうじゃうじゃ言っても仕方ない。


プラスの面を捉えて
しっかりその利点を享受する。


こうした面からも
この世界のルールは
短期的な行動よりも、
長期的に、じわじわと
積み重ねることの方が
大きなリターンをもたらす


それに気づいてしまったとき、
私はふと考えた。


もしかして、
このルールに気づかれないように
必死であの手この手で隠している人たちが
いるのではないか?
と思った。


多くの人が「今を生きる」ことに追われ、
自転車操業のように日々を回している。

一方で、社会の仕組みをつくってきた
“賢い人たち”は、長期的な戦略を知っていて、
それをあえて難しい言葉で
隠しているようにも見える。


その代表例がiDeco、
小規模企業共済みたいな
感じなんだろうなとつくづく思う。


仕組みを理解すれば合理的だが、
説明が難しい。
入口をわかりにくくして、
分断を生んでいるようにも感じる。


そして、昨今「クリエイティブ」に
価値があるように感じるのも
世の中の偉い人が
隠していることなのかもしれない。


僕はこの間こんなツイートをした。


この世の中を作り上げてきた人は
大半が継続・発展させてきた方々だろう。


しかし、昨今クリエイティブに風が吹いて
僕を含む若者がそっちを向かせている。


そりゃあ、とてもかっこよく見えるから
みんなそっちの方を向く。


でもそういう魅力の裏で
継続・発展させてきた人々は
価値を保ち続けてきた。


そして、継続・発展させてきた人たちが
ここから経済から退場しようと
していっている。


すると、えらいことで
一部の天才しか成功しない
クリエイティブ志向主義のゾンビが
生まれてしまうのだと思う。


僕は運よく住宅設備の仕事を通して、
この構造に気づくことができた。


派手さのない、日々の積み重ね。
リアルで掴む相手との距離感。


その「継続」の力の中に、
社会の根っこがあるという実感だった。



死を意識するとは、
明日死ぬかもしれないから今を楽しもう、
という話ではなく、
「どんな死を迎えたいか」から、
今日という一日を選び取っていくこと
なのかもしれない。


クリエイティブも、資産形成も、生き方も、
すべてが一瞬のきらめきではなく、
長い時間の中でこそ本当の価値を持つ。

そして、それに気づけたことこそ、
私にとっての「生きている」実感なのだと
最近思っている。


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