写真は、世界にそっと触れる窓かもしれない
最近、僕らは縦の世界に生きている気がする。
スマホの画面、SNSのタイムライン、ショート動画。
視線は常に上下へと流れ、情報をただ眺め、追いかける。
僕にとって、まだ答えは出ていない。
けど、なんとなく縦の世界は、情報を「見る」ためのもので、
横の世界は、時間を「感じる」ためのもののように
最近は感じ始めている。
横長の窓が切り取る景色は、
まるで映画のスクリーンのようで
一つのフレームの中に物語の余韻が生まれる
というか、「その先や過去がある」ような感覚がある。
そして、写真もまた、横長の窓のようなものかもしれない。
画面の外と中は、別の世界で、
そこには匂いもなければ、風もない。
時間は止まり、音も響かない。
けれども、不思議なことに、
僕らはその静止した一枚の中に、
温度や音、言葉にできない何かさえも
感じ取ることができる。
その瞬間、写真の中に広がる風景は、
ただの「景色」ではなくなり、
過去と未来の狭間となり
それぞれの視点や思考を通じて解釈され
再構築されていく。
写真の向こうにあるものは、
撮る人の感性が切り取った世界であり、
同時に見る人の感性が作り上げる世界がある。
でも、その間には、一枚の窓ガラスがある。
まるで、窓の外と内側のように。
ガラス越しに映る世界は、
どこか触れられそうでいて、決して手が届かない。
干渉できない。
僕らは、その透明な境界の向こうに、
自分だけの記憶や感情を重ねる。
写真の中で静止したはずの時間が、
見る者の解釈によって、再び動き始める。
窓の外の景色を眺めるとき、
僕らはその一瞬に留まらず、
過去や未来の出来事を思い浮かべる。
例えば、電車の窓からの景色。
ホームに立つ人、遠ざかる駅舎、
流れる街並み、沈みゆく夕日。
それらは今ここにありながら、
すぐに過去へと溶け込んでいく。
その連続が、時間の流れを意識させる。
対して、スマホの画面に映る世界はどうだろう。
縦の世界では、次々と情報が流れ込み、
目の前にあったはずのものは、
指先のスクロールとともに消えていくように感じる。
記憶に残るのは、
ほんの一瞬の印象だけかもしれない。
けれど、窓の向こうに広がる世界には、
過去と未来の気配が残る。
だから、僕は横の写真が好きなのかもしれない。
別に、縦の写真を否定するものではないし、
僕もこれから縦の写真を撮ることもあるだろう。
けど、なるべくは横で撮りたいと思う。
これはあくまでも個人の意見であり
あなたにこうなって欲しいというものではない。
結局、すべては選択の問題であり、
この世界を、どんな窓から覗くのか。
写真とは、世界にそっと触れるための窓かもしれない。
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