【連載 第3回】制度を選ぶ自由──リバタリアンが描く貨幣の未来
制度としての貨幣をどう設計するか
金本位制、フリーバンキング、ビットコインと暗号通貨──本連載でたどってきたこれらの制度は、いずれも国家による通貨独占に対するリバタリアンの批判と挑戦の系譜に位置づけられる。それぞれ異なるアプローチを取りつつも、共通しているのは「通貨の発行と運用を国家から切り離す」という志向だ。
もっとも、通貨は単なる商品ではない。社会全体での受容と信頼によって成り立つ制度的側面を持っており、完全に国家から独立した仕組みが常に安定的に機能するとは限らない。
この点を深く掘り下げたのが、リバタリアン経済学者のランダル・ホルコム(Randall Holcombe)である。彼は貨幣を「公共財供給のための制度」と位置付け、単なる市場競争の産物としてだけでは不十分だと指摘する。むしろ重要なのは、いかなる制度枠組みが公共財としての通貨供給を最も正当かつ効果的に行えるのかという問いだ。
ここで浮かび上がるのが、「退出可能性」というリバタリアンの基本理念である。
選択肢としての通貨と制度的多様性
ホルコムの議論を踏まえれば、リバタリアンが目指すべきは、単一の通貨制度を唯一絶対のものとして押し付けることではない。むしろ、異なる通貨制度が併存し、個人や企業が自由にそれらを選択できる状況──すなわち「制度の選択可能性」こそが、真の意味での自由に資するものとなる。
たとえば、国家法定通貨、金本位通貨、民間銀行通貨、暗号通貨がそれぞれ存在し、利用者がその時々のニーズや価値観に応じて使い分ける社会。そのような制度的多様性が実現すれば、国家による通貨支配の弊害を和らげつつ、安定と自由のバランスを取ることが可能になる。
ただし、制度間競争が常にうまく機能するとは限らない。ネットワーク効果や流動性、詐欺や不正のリスクといった問題も想定される。公共財としての通貨供給が制度的枠組みの設計に依存する以上、多様性と安定性のバランスは簡単には解けない課題だ。
それでも、国家が通貨を独占する体制に比べれば、選択可能性が存在すること自体が大きな前進である。
貨幣は誰のものか──リバタリアニズムの答え
本連載で見てきたように、貨幣制度をめぐるリバタリアンの議論は、単なる技術論や制度論を超え、政治哲学上の根源的な問いと深く関わっている。それは、「貨幣は国家のものなのか、それとも市場と個人のものなのか」という問いである。
金本位制、フリーバンキング、ビットコイン、スマートコントラクト、ネットワーク国家──これらはすべて、この問いに対する多様な答えの試みと言えるだろう。
リバタリアンが描く貨幣の未来像は、特定の制度を唯一のものとすることではなく、異なる制度の中から自由に選べること、すなわち「退出可能性」を確保することにこそある。貨幣は国家の専制を逃れ、再び人々の手に取り戻されつつある。制度としての貨幣は、これからも自由の実験室として、多様な挑戦を受け入れていくことになるだろう。
参考文献
Randall G. Holcombe, Political Capitalism, Cambridge University Press, 2018.
Nick Szabo, “The Idea of Smart Contracts” 1997.
Balaji Srinivasan, The Network State, 2022.
坂井豊貴『暗号通貨 VS. 国家』SBクリエイティブ, 2019年.
フリードリヒ・A・ハイエク『貨幣発行自由化論』日経BP, 2020年.
尾近裕幸・橋本努編著『オーストリア学派の経済学』日本経済評論社, 2003年
