『ロリィタの隣を歩く男性の服装の最適解は何か』という話題にゾッとした話
『ロリィタの隣を歩く男性の服装の最適解は何か』
Xでロリィタさん達の間でそんな話題が上がり、盛り上がりを見せている。
わたしはまず、その話題という問いかけの中に最適解という言葉が入っていることに激しく違和感を覚えた。
『最適解』とは、設定された条件のもとで最も適している答えを導くという意味を持つ言葉である。
念の為、広辞苑でも調べたが、複数の候補の中で、ある評価基準に照らして最も優れた答えと書かれていた。
つまり、この話題は単なる『好きな男性のファッションはある?』『どんな男性が隣にいてほしい?』と言ったような、好きな男性の服装が何かを答えたり、理想を呟いているわけではない。
この話題という名の問いかけの本質は、「ロリィタの隣を歩く男性」という条件を設定し、その条件において最も適している服装は何かを、それぞれの価値観に基づいて答える場になっていることにある。
それはまさに"最適解"という言葉が物語っている。
実際にXでは、『皇子系』『燕尾服』『執事』『英国トラッドやタキシードのようなスーツ』『ミルクボーイ』『とりあえず黒着ておけばいい』『普通の服でいい』『ロリィタ』など、それぞれが考える"最適解"が挙げられていた。
それに対してわたしは激しい違和感とロリィタという存在の強烈なわがままっぷりを感じた。
もし単純に夢や理想を語るだけならば、『ロリィタの隣にはどんな男性がいてほしい?』『着てほしい服装はある?』という文章で十分だったはずである。
それにも関わらず、最適解という言葉を使ったことで、『好き』という男性の服装の個人の嗜好ではなく、『ロリィタファッションを大前提に、何が最も適しているか』という男性の服装への評価の話へと変わってしまっているのだ。
そこにいるロリィタの人達はみんなそれに気付いていない。
そもそも、ロリィタファッションはおしゃれ着である。
たまにロリィタファッションは普段着だからとか、ロリィタを毎日着ててごめんなさいなどと言うことを言う方もいるが、わたしからすれば、TPO以前に、へーじゃあロリィタって普段着でメゾンなどのお茶会に参加したり、わざわざ可愛いアフタヌーンティーに行ったりして、その様子だけでなく、普段着をコーディネートとしてわざわざアプリで写真に撮って、加工して、映えた写真をSNSに載せてるんだ。へー。
じゃあロリィタさんのおしゃれ着って何になるんですか?普段着ならおしゃれしないといけない場面ではロリィタは着れませんもんね。じゃあおしゃれするなら何着るんですか?と常々聞いてみたいと思っている。
わたしはロリィタ服はおしゃれ着だと思っている。
だから、フルメイクするし、髪型もセットするし、お洋服自体もアクセサリーもこだわっている。
妥協はしない。したくない。
何故なら、特別なおしゃれ着だから。
だから、コーディネートの写真も撮っているし、手入れもメンテナンスもする。
それから、わたしは、おしゃれと身だしなみは別物だと考えている。
身だしなみは、社会生活を送るために必要な配慮や、時と場合によっては相手への敬意でもある。
一方で、おしゃれは自己表現であり、自由でいいもの。
自由だからこそ、自己満足で幸せが成り立つのがおしゃれなのだ。
そこに、他人から『本来こうあるべき』といった評価は含まれるべきではないし、含まれなくていい。
だから、ロリィタさん達が自分の好きなロリィタファッションを自由に楽しんでいるのなら、隣を歩く男性にも自分の好きな服装を自由に楽しんでいいというのが公平にある。
わたしは、その権利は男女どちらにも等しく、尊重される自由として在るべきだと思っている。
だからこそ、『ロリィタの隣を歩く男性の服装の最適解は何か』という話題がXでロリィタさんの間で盛り上がっていることを知って、鳥肌が立った。
男性はアクセサリーではない。
ここでのアクセサリーとは、自分を引き立てたり、自分の世界観を完成させたりするための存在として在る。
それを『ロリィタの隣を歩く男性の服装の最適解は何か』と話題として話すことは、私はこんな服装の男性を隣に置きたいという自分の理想や欲望、世界観、快感を優先しているようにわたしには感じられた。
少なくともおしゃれという、本来自由で自己満足によって成り立つ領域でのことにも関わらず、『自分がロリィタファッションを着ていることに対して相手はどの服装が最も適しているか』という評価を行うことは、相手自身のおしゃれの自由や権利、価値観を完全に無視している。
でなければ、最適解かなんて言葉は使わない。
わたしは、ロリィタファッションを着ているロリィタの人達がその話題で〇〇がいい、〇〇がいいとみんなで言い合うという発想自体が、男性を一人の主体として尊重するのではなく、アクセサリーとして扱っているのと同じだと感じている。
『皇子ファッションが最適』『燕尾服や執事が最適』『スーツが最適』と最適解の理想を言い合うことは、男性自身が何を着たいのかよりも、ロリィタという自分にとって何が最も都合よく、美しく見えるのかを基準に相手を評価していることになる。
何故なら、それはやはり最適解という言葉を使ってしまっているから。
そしてそれは、自分の理想の服装の男性を隣にいさせることで、理想を所有していることの誇示やその感覚による快感や優越感に浸ること、自分のロリィタファッションの世界観を完成させる陶酔感に酔うこと、自分達を演出し、第三者に見られたときに、自分達はどう映るかを他者から評価されることで得られる満足感や高揚感に似た快感を求めているのではないかとわたしに思わせるには十分すぎる言葉である。
要するに、ロリィタは己の欲望を満たす為に男性をアクセサリーとして扱い、そういう形で男性を消費しようとしている。
なんというわがままっぷり。
ロリィタは男性が自分を中心に回っていると信じているお姫様。
残念だけど、それは間違っていますよ。
地理の先生に聞いておいで。
だからわたしは、男性はアクセサリーではないと断言したのだ。
また、最適解という言葉だが、わたしは、はっきり言って、この言葉を選んで話題の発起人になった方は、あまりにも周りの配慮に欠けているし、誤解を生みやすい言葉選びをしてしまっていると思う。
少なくともわたしにはそういう形で伝わっている。
ロリィタは己の欲望を満たす為に男性をアクセサリーとして扱い、そういう形で男性を消費しようとしている――『最適解』という言葉が、わたしにここまで書かせるほどの受け取り方を生んでしまっている。
少なからず、第三者目線で客観的にロリィタファッションを着ているわたしと話題の発起人や参加しているロリィタの人達との間で、明らかな認識のズレが生まれているのは確かだ。
それも最適解という言葉を使ってしまったが故に、本来生まれる必要のなかったズレであり、これは更なる誤解や摩擦、衝突の可能性を大きく高めている。
先程も書いたが、単なる理想を語ろうという話題ならば『ロリィタの隣にはどんな男性がいてほしい?』『着てほしい服装はある?』という言い方で済んだし、誤解する人も少ないだろうし、話題になっているということは少なくともロリィタさん以外にもそのXのツイートを見ていることも当たり前に考えられる。
Xは元々鍵垢にしてない限り、ネットは公の場になる。
ならば当然、老若男女の数え切れないほどの他人が見ることも視野に入れて、最低限配慮すべきことは当然出てくる。
これはネットでも現実世界でもその配慮ができる常識やマナー、モラル、倫理をその人が持っているかという話にも繋がってくる。
また、ロリィタファッションを着ていても、ロリィタさんの中でこういう誤解を招く言葉選びをしてほしくないと思うロリィタさんもいると思う。
何故ならロリィタはロリィタファッションを着ているというだけで、その方が人畜無害でも偏見と切り離せないファッションとしてずっと在ったことが事実としてあるからだ。
中には隣を歩いてくれるだけでいいと言っていたロリィタさんもいた。
わたしは、それは一般的な感覚を持った、善良なロリィタさんであり、一般的だからこそ普遍的で花まるの回答だとわたしは思った。
もちろん、どんな関係性でもお互いが話し合い、お互いの意思で服装を合わせるのであれば、それは二人の自由であり、わたしは何も否定しない。
更に、どんな関係性でもロリィタさん側からこんなのを着てほしいという願いや希望を、相手の男性が自分の意思で叶えてあげたいと思ったり、男性側が自分の意思で自分もロリィタの世界観に合わせたいなどと言う考えや価値観があって、お互いの意思で理想の形に持っていくのであれば、それも二人の自由であり、わたしは何も否定しない。
話題について、引き立てるべきは女性のロリィタさんなので、男性は目立たず添え物の気持ちでいい。
色を合わせるなどして、シンプルなカジュアルフォーマルなど如何でしょうか。というレディファースト、ロリィタファーストのような回答もあった。
それについても、それがお互いに望む理想の形で、お互いの意思が纏まっているのであれば、それも二人の自由であり、わたしは何も否定しない。
しかし、相手の合意とは関係なく、自分がロリィタファッションであることを大前提に、相手の服装の最適解を語ること自体、わたしは賛同しかねる。
はっきり言って、とても良いことだとは言えない。
発言の自由は?
夢や理想を語ることも許されないの?
という風に言う方が出てくるのも想定内だが、発言の自由や理想を語ることをネットという公の場で主張したいのであれば、先程言った現実世界と同じように周りへの配慮が常識やマナー、モラル、倫理として当たり前に求められてくる。
何故なら鍵をかけていない限り、ネットは公の場で、現実世界の公共の場と同じ。
だからこそ公の場で発言の自由や理想を語ることの自由さを主張したいのであれば、それに伴って、公の場の常識やマナー、モラル、倫理に入る配慮や責任は当然含まれてくる。
わたしはその配慮や自分が発言した内容に責任がとれるなら、公の場で発言の自由や理想を語ることは本人ができる場合に限り、好きにすればいいと思う。
でももう既に話題の文章に『最適解』という言葉を使ってしまっている時点で、配慮が欠けていることが顕著に表れてしまっているし、男性をアクセサリー、つまり自分の為に一人の男性という人間を物として扱っていることで、倫理観を問われる内容にもなってしまっている。
わたしはものすごくお洋服が好きだし、ロリィタファッションを着ていた時期もあるし、少し前からほとんど着なくなってしまったが、最近またたまに着たりしている。
わたしは自分のおしゃれに関しては自由でいたいし、好きなものを好きなときに好きなだけ着たいし、『あれを着ろ』『それはだめだ』と言われるのは絶対嫌だし、実際今までお付き合いした男性の中でそういう方がいた。
頭にプリティの赤いグログランのリボンをつけて待ち合わせの駅に向かったら、『派手すぎる。今すぐ外して』と言われ、すぐにわたしは外して鞄にしまって『ごめん』ととりあえず謝った。
でも内心はロリィタ服で行ったわけでもないし、ただ真っ赤なグログランのリボンを黒の内巻きのボブヘアの髪の両サイドにつけていただけで、なんでこんなこと言われてるんだろう。
なんでこんな冷たい言葉を浴びせられてるんだろうと思った。
その男性はとにかく目立つのがきらいで、常に他人の目を気にして、しかも自分ではなく、どんな女の子を連れているか。
服装も。メイクも。髪色も。髪型も。体型も。顔も。
そういう男性だった。
わたしは、その日、リボンをすぐに外して、鞄にしまって、『ごめん』と謝ったけれど、恥扱い、並んで歩いてるのを見られたくないように扱われて、その日は外で一切手を繋いでくれなかった。
すごく悲しかったし、ショックだった。
でもこんな扱いをされるならわたしからも言わせて貰うけれど、という気持ちはあった。
もう終わったことだから、はっきり言うが、わたしはその彼氏の服装も、髪型も、体型も、顔も、性格も全部が好きじゃなかった。
けれどわたしは、服装や髪型や顔や体型については、いくらお付き合いしていても触れるべき部分じゃないと思うし、そもそもわたしは彼氏に対して服装や髪型について理想を求めない。
何故なら、それは、やっぱりおしゃれの範疇に入ることなので、自分がおしゃれについては自由でいたいし、口出しされたくないから、相手にも干渉せず、自由を尊重する姿勢でいた。
体型や顔も同じで、相手の容姿に口を出すことは、自分の理想を押し付けて、自分好みにしたいというただの欲望の押し付けと自分勝手の極みだ。
それもわたしは自分の顔や体型に口出しをされたくないと思っている。
自分がされたらいやだから、だからわたしは彼氏に対して服装や髪型と一緒で、顔や体型についても理想を求めない。
服装と一緒で、その人の髪型、体型、顔、容姿に関わることは全て尊重する姿勢でいた。
けれど、その彼氏には服装だけでなく、常々体型のことまで厳しく指摘され続け、うんざりしてわたしから振って切って終わったが、結局最後までわたしの服装と体型が尊重されることはなかった。
本当にわたしからすれば、わたしも貴方の服装をすきだと思ったことは一度もないし、なんなら貴方も小太りで、その体型も、顔もわたしの好みではなかったし、はっきり言って一般的に考えてもお世辞にも美しい男性、綺麗な殿方、透き通った美青年、容姿端麗なイケメンとも言えなかったし、なのに、何故この人はこんなにも自分に自信があるのだろうと理解不能だった。
そもそも華奢な子が好きなら、そういう子探して付き合えば?とわたしは思っていたし、まぁ相手にされるかは知らないけれど、とにかく勝手に貴方の理想をわたしに押し付けられのは迷惑だから、理想の女の子と最初から付き合えばいいんでないの?とずっと思っていた。
しかし、自称イケメン、自称モテる男こそ根拠のない自信に満ち溢れていて、傲慢で、我儘で、短気で、付き合っている女性を言いなりにして従わせ、支配しようとする、こういうクズみたいな男は山ほどいるので、このねじ曲がった性格と腐り切った心根はもう直せないから、仕方ないと思って存在を流すしかないのだろう。
わたしは男尊女卑でも女尊男卑でもない。
基本的に男女を同じ人間として尊重したいという思想を持っている。
ただし、身体的特徴や状況によって、男性を頼る場面もあれば、女性を優先して配慮すべき場面もある。
それは『どちらが上か』という話ではなく、それぞれの違いを踏まえた自然な判断だと考えている。
そして、この実体験に基づいてわたしが確かに男性に言えることは、女性はアクセサリーではない。男性のステータスでもない。女性は男性の都合のいいようにコントロールできるメイドではない。容姿や服装などの自分の理想を自分勝手に押し付け、男性の欲望を満たす着せ替え人形ではない。ということ。
件の本題に戻るが、『ロリィタの隣を歩く男性の服装の最適解は何か』という話題という名の問いかけは、おしゃれという自由な自己表現の領域でありながら、『最適解』という言葉によって相手を評価し、自分の理想や世界観へ当て嵌めようとする欲望が含まれているように感じた。
最適解という言葉は、わたしに違和感を抱かせることに十分すぎる言葉だった。
だからこそ、わたしは、男性はアクセサリーではない。そういう形で消費していい存在ではない。そう言い切らせて貰った。
先程わたしは男尊女卑でも女尊男卑でもない。
基本的に男女を同じ人間として尊重したいという思想を持っている。
そう言ったと思うが、その言葉の通りで、これは男女共に言えることだ。
異性を自分の為にアクセサリー扱いしてはならない。
そういう形で消費してはいけない。
男性も女性も物ではない。
己の欲望や快楽、快感、優越感の為に一人の人間を物扱いし、私物化することは人権倫理を問われる問題である。
件の話題は、結局結論には至らなかったという形で終了したが、何故このような言葉を選び、話題として上げ、ロリィタの人達の間で盛り上がるのかがわたしにははっきり言って理解し難い。
第三者の立場から、客観的にロリィタを着ているわたしから見れば、カルトじみているとすら思う。
みんな同じ価値観、思考回路で動いているから、誰も違和感を感じていない。だから誰も指摘しない。怖い。
わたしと旦那は出かけるときに、わたしが旦那に『何着てくの?』と聞いて、行く場所やイベントなども考慮した上で、旦那が『〇〇着ていこうと思ってるー』というのにわたしが合わせることの方が多い。
たまに、わたしから『シミラールックしない?』とか言うときもあるが、旦那は『全然いいよ!』と快く言ってくれる。
あとは、『わたし明日これ着ようと思ってる』『僕はこれ着ようと思ってる』という感じで、自分のすきなファッションを自由に楽しむ日も普通にある。
『ロリィタの隣を歩く男性の服装の最適解は何か』という話題について結局結論が出なかったのも相手ありきではなく、独りよがりなものだったからこそ、結論に至らなかったのだとわたしは思う。
でもやはり最後に重要なメッセージとして強く、強く、伝えたいのは、異性を自分の為にアクセサリー扱いしてはならない。
そういう形で消費してはいけない。ということ。
好きな男の子、惚れた女の子ならば、それこそお互いがお互いのファッションを尊重し、理解し、話し合った上で、お互いがベストとする形でいることがわたしは愛情も深まるし、二人が幸せなだけで良いはずなので、一番なのではないかと思う。





最後だけロリィタじゃないけど💦
珍しく、少し補足を書きます。
普段わたしは自分が文章を書くときに常識、マナー、モラル、倫理に反してない限り自由に書いていいという考えを持っていますし、わたしは自分の書いた文章や写真もそうですが、それについて一円も金銭を頂いておりません。
商業化されてないという時点でわたしはプロではなく、素人です。
なので、基本的に常識、モラル、マナー、倫理以外についての読み手側への配慮というのは一切していませんし、これからも素人であり続ける限りする必要はないと思っています。
商業化していなくて、金銭が発生していない以上、読むも読まないも読み手の自由なので、対価を頂いていない以上わたしは基本的に自分の為に文章を書くし、写真もここにあるものは全て現時点ではわたしによるわたしの為のものとしてあります。
ただ、最近の風潮で少しでも尖った言い方や強気な文章を書いたりすると、すぐ炎上し、わらわらと人が集まり、その中にはその事柄の背景すら知らない人までもが便乗して、次々にコメントを書き込み、一人の人間をネットで集団リンチするのがもう当たり前のようになっています。
わたしも誹謗中傷を受けて飛び降り自殺した身なので、ネットで集団リンチされることの深い悲しみ、強い恐怖心、憶測による妄想の言葉達や謂れのない嘘達、個人の価値観よる容姿やセンスへのジャッジと悪口は、それこそ飛び降り自殺するまでに追いつめられたくらいには辛いことだと分かります。
これは今の現代社会の大きな問題の一つだと思います。
今回この話題をテーマとして選び、書いたときに、わたしは理屈や論理的に正しい表現だと思って使っていますが、中にはわたしのこの言葉を過激だ!攻撃的だ!批判だ!と判断し、騒ぐ人もいるかと思って、今回はイレギュラーで補足を書かせて頂きました。
わたしは必要だと思ったから、今回理屈や論理的に正しい表現としてその言葉達を使っています。
わたしは基本的に無意味に故意に無害な他者を傷つけようという意思を持つ人間ではありません。
必要な場面に応じて、それが理屈や論理的ではなく、感情論や個人による価値観だったとしても、正しい表現として常識、マナー、モラル、倫理の範疇内ならそれを使ってもいいと考えています。
何故なら、わたしは過激な表現=悪いもの、という短絡的な思考回路や方程式は持っていないからです。
ですが、それがわたしには必要な場面で正しい表現として使っていたとしても、他者にとっては過激な表現や攻撃、批判だと受け取られることがある場合があります。
ですが、読み手側の受け取りについては、同じ文章だったとしても様々で多種多様なので、筆者がコントロールできる範囲の中にはない問題です。
筆者が読み手側に配慮した文章を書き、どんなに言葉を尽くしても、丁寧に説明しても、読み手側がそれをどう受け取るかは、筆者側はどうしてもコントロールできない範囲の中にあることである為、全員が納得する文章なんて存在しないし、書くことは誰にもできません。
それでも、言わなきゃいけない場面がある。
人として言わなきゃいけない大切な言葉がある。
重要なメッセージとして伝えなければいけないことがある。
――そう思って、今回この記事を書かせて頂きました。
それから、前にも同じことを書かせて頂きましたが、大切なことなので、改めて書かせて頂きますが、わたしは自分に害のないロリィタさんについては全く敵視も、嫌悪も抱いておりません。
ロリィタファッションを楽しんでらっしゃるロリィタさん方はたくさんいらっしゃると思いますが、わたしはそんな善良なロリィタの方達に対して当たり前ですが、攻撃も差別も何も致しません。
ただ、わたしは掲示板に張り付いて色んな人を誹謗中傷している犯罪者ロリィタや100kg超えの元友人、小さい頃からわたしにコンプレックスがあり、精神科医にまで相談していたが、こじれにこじらせ、何もしていないわたしの悪口を延々と何年にも渡って全公開のTwitter(当時)に書き込み続けていた従姉だけは実害を被っているので、絶対許さないし、いつか公開処刑にしてやるつもりでいますけど。(処刑BGM流れてる)
ちなみに元友人も従姉もロリィタでした。笑
ただ、先程言ったようにわたしは自分に害のないロリィタさんについては全員に対して何の敵視も、嫌悪も抱いておりませんし、ロリィタファッションを楽しんでらっしゃるそんな善良なロリィタさん達に対して本当に当たり前のことですが、攻撃も差別も何も致しません。
そこだけはわたしの中できちんと区別して存在していることを伝えないと、無闇に善良なロリィタさんを傷つけてしまうかもしれないと思い、それを危惧した上で、大切なことだと思ったので、お伝えしたいと思い、再度書かせて頂きました。
そもそもこの文章は、ロリィタという限定されたものに向けた批判的な文章ではなく、このテーマの本来の姿は、『最適解』という言葉の元、無意識に異性をアクセサリーとして消費していることについて、私個人の価値観や経験から問題視しているというものです。
更に、一人の人間を尊重するという人権倫理の問題に触れているところがこのテーマの本質で、それは良くないと言ったことを倫理観の元、実体験などを踏まえ、論理的に主張しているのがこの文章です。
人間として当たり前のことをわたしは訴えているだけなので、たくさんの表面化した言葉達に惑わされて本質が見抜けなくなる人は、『過激だ!』『攻撃だ!』『批判だ!』と騒ぐのでしょうから、惑わされぬようしっかり自分自身で本質を見抜く力が試される文章になっています。
Open your eyes.
※本作品(写真・文章)の無断転載・無断使用・二次配布・加工利用を禁止します。
著作権は撮影者に帰属し、すべての権利を保有します。
許可のない使用が確認された場合は、削除等の対応を求めることがあります。
天使なち🐥🪽
