伊江島LCT爆発事故に思いを寄せて
こんにちは!浮島です。今日は8月6日ということで、広島原爆の日でもありますが、その3年後の1948年の8月6日、伊江島では米軍の弾薬輸送船の爆発事故が起こり、180人が死傷しました。
犠牲者の多くがうちなーんちゅであり、当日は停泊所に客がごった返していたことから赤ちゃんから60代までの犠牲者までいたそうです。
詳しいことはXにも書かれています。
1948年8月6日(17時)
— 芋仁🌿読書会🕊️ (@imo_gine) August 7, 2025
《伊江島》
米軍弾薬輸送船 LCT 爆発事故
※戦後・米軍占領下
伊江島の住民は2年間帰島を許されず島の3分の1が米軍の基地用地となった。2年ぶりに生まれ島に戻ることを許された人々は島のあまりの激変ぶりに涙した。住む所も奪われた人々はテント小屋での苦しい生活が続いた。 https://t.co/hQROPDkWfT
伊江島LCT爆発事故:
— Sunny 써니🇵🇸🍉 (@Sunny_Europe24) August 6, 2026
「5000発の爆弾が船ごと爆発。木っ端みじんになった船体は350メートル先まで飛び、家4軒が全焼、住民は焼死。そして港は100人を超す遺体が散乱していました。一瞬で断ち切られた命。遺体の破片さえ見つからない人もいました。 」 https://t.co/hcoFTj1qGt
実はこの事故、私の家族の歴史にも関係がある話なので、今日はこの話をしていきたいと思います。
まず、私の祖父母は伊江島出身で、沖縄戦時は祖父(キング牧師、アンネ・フランクと同い年)は少年兵として伊江島で徴兵され、祖母は今帰仁に疎開していたそうです。
で、話は事故の話になりますが、祖父は爆弾を運ぶ仕事をしていたみたいです。
事故当日、なんと祖父(当時19歳頃)は前日に酒を飲んでて、酒臭いから爆弾を運ぶ仕事を外され、他の人と交代したそうです。
他の人と交代したあと、爆発事故が起こり、祖父は事故から免れたそうです。
私はこの話を父から聞かされ、本当にその事故があったかどうかわからなかったのですが、大学生になり、平和学を専攻している元リア友の恋人が授業の課題でこの事故を調べていたので、私が祖父があと一歩で巻き込まれた事故はこれだったのかと思い、彼らに祖父が仕事下ろされて事故に巻き込まれずに済んだことを話しましたねぇ
しかし、この事故には多くの犠牲者もおり、例えば沖縄戦で息子をなくした人が今度はその奥さんや孫まで爆発事故で亡くしたりと、家族を亡くした人もいるわけです。
また祖父の代わりに乗った人も爆発事故に巻き込まれて亡くなったかもしれません。
私は爆発事故に巻き込まれて亡くなった人達を追悼します。
