命がけのドライブ。穴が教えてくれる「地域の放置」
シカゴに住んでいた頃、冬の朝は30分早く家を出るのがルールでした。
車のフロントガラスの霜を削る時間が、毎日必要だったからです。そしてもうひとつ、車道わきに積み上がった雪をかき分けながら車を出す時間も。
シカゴの冬、道路には大量の塩(融雪剤)が撒かれます。凍結を防ぐためには欠かせない作業ですが、この塩が曲者で、雪解け水と混ざりながら路面に染み込み、寒暖差を繰り返すうちにアスファルトをじわじわと内側から崩していきます。春が近づく頃、その痕跡が表面に現れます。道路に空いた無数の穴——ポットホールです。
タイヤが丸ごと飲み込まれる、あの感覚
シカゴの冬、ポットホールの規模は桁違いで、中にはタイヤが丸ごとはまってしまうほど巨大で深いものもあります。
初めて大きな穴を踏んだ時のことは、今でも忘れられません。
ドン、という鈍い衝撃が車体全体を揺らし、心臓が一瞬止まったような感覚。「タイヤが取られた?」「車の底を打った?」——頭の中で最悪のシナリオが瞬時に走り抜けます。幸いその時は無事でしたが、以来、私は雪道の運転よりもポットホールの方が怖くなりました。
特に恐ろしかったのは、子供を後ろに乗せている時です。
「どうかタイヤが取られませんように」と背筋を凍らせながら、ボコボコの道をそろそろと走る。それは大げさでも何でもなく、文字通り「命がけのドライブ」でした。避けようとして対向車線にはみ出すわけにもいかない。かといってそのまま突っ込めば、タイヤがパンクするかサスペンションが壊れるか。毎日が、小さな決断の連続でした。
「滑らかな道路」が意味するもの
その頃、娘の音楽教室の送り迎えで、治安の良いエリアへ車で毎週通っていました。
エリアの境界線を越えた瞬間、路面が変わるのを体で感じます。ガタガタだった振動が嘘のように消え、タイヤが静かに、滑らかに、アスファルトの上をすーっと走り始める。
最初にそれを感じた時、思わず声が出ました。「あ、道が……怖くない」と。
道路が綺麗ということは、そこにある穴を「誰かがすぐ直している」ということです。住民が市に申請し、市がそれに応え、補修が入る。そのサイクルが機能しているということ。言い換えれば、「その地域が、ちゃんと見守られている」という証拠なのです。
逆に、穴が何週間も、何ヶ月も放置されているエリアは——誰にも見ていてもらえない場所です。
申請しても動いてもらえない、あるいは申請する余裕すらない。そういう無力感が積み重なった場所に、やがて別の荒廃が忍び込んできます。割れた窓、捨てられたゴミ、そして犯罪。道路の穴は、その入り口のひとつなのかもしれません。
穴が映す、街の素顔
穴の多い通りには、他にもいろいろなサインがあります。歩道に放置されたゴミ、壁の落書き、シャッターの閉まったままの店。反対に、きれいに舗装された道の両側には、手入れされた植え込みや、明るい照明がある。
どちらが先かは分かりません。道が荒れるから街が寂れるのか、街が寂れるから道が後回しにされるのか。ただ確かなのは、道路の状態と街の雰囲気が、いつも一致していたということです。ポットホールは、その街の今を映す、正直な鏡でした。
アメリカで新しい生活を始めるあなたへ。 素敵な家や便利な立地に目を奪われるかもしれませんが、一度、車を止めて「足元の道路」を見てみてください。
舗装は滑らかですか? 穴が放置されていませんか?その滑らかさは、そこに住む人々の「声」が届き、行政が「機能している」という、何よりの安全保障の証です。
華やかなガイドブックには載っていない、でもあなたの命を守る大切なチェックポイント。 私が20年かけて学んだ「守り方」のひとつです。
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