「道化」という生存戦略の破綻――太宰治『人間失格』
なあ、君。最近「空気を読む」なんて言葉に、心底疲れ果てることはないか?
僕はね、時々思うんだ。今の世の中、みんな自分を偽って、相手が望む「正解の自分」を差し出し合っているだけなんじゃないかって。SNSのタイムラインも、職場の会議も、まるで見えない仮面舞踏会だ。
そんなことを考えていると、どうしてもこの一冊に戻ってきてしまう。太宰治の『人間失格』。
有名すぎて、今さら語るのも野暮かもしれないけれど、40歳を過ぎて独身を貫き、研究だの思索だのと理屈をこねくり回している僕のような人間には、この本はもはや「鏡」のような存在なんだ。
でも、世間が言うように、主人公の葉蔵を「繊細で可哀想な青年」だなんて、僕は到底思えない。むしろ、彼はもっとずっと「狡猾で、傲慢な人間」だったんじゃないか。今日はそんな少し捻くれた視点で、この地獄のような物語を紐解いてみたいと思う。
作品のあらすじ
大庭葉蔵という男の人生は、一枚の「写真」から始まる。
幼少期の彼は、あまりに不気味な、作り笑いを浮かべていた。彼は幼い頃から、人間の営みというものがさっぱり理解できなかったんだ。食欲、性欲、社会的な名誉。それらに突き動かされる「人間」という存在が、怖くて怖くて仕方がなかった。
「自分は、人間に適していないのではないか」
その恐怖から逃れるために、彼が編み出した唯一の護身術が「道化」だった。
例えば、雪の降る朝。父親が子供たちに「何が欲しいか」と尋ねる。父は、葉蔵が欲しがっていると思った獅子舞の玩具をノートに書き留めようとする。しかし、葉蔵は本当は獅子舞なんて欲しくなかった。けれど、父を落胆させることは死ぬよりも恐ろしい。
夜、彼は父のノートに、わざと自分を偽って、獅子舞が欲しいと書き込む。翌朝、それを見つけた父の満足げな笑い声を聞きながら、葉蔵は「これで自分は守られた」と胸をなでおろすんだ。
そんな綱渡りのような「お道け」の生活に、最初の亀裂が入ったのは、小学校時代の同級生・竹一の言葉だった。
わざと鉄棒から落ち、皆を笑わせた葉蔵に対し、竹一は耳元でこう囁いたんだ。
「ワザ、ワザ」
それは葉蔵にとって、自らの生存戦略を根本から否定される、死刑宣告のような言葉だった。彼は恐怖のあまり、竹一を自分の「味方」にするために、無理やり親交を深めようとする。滑稽だと思わないか? 暴かれることを恐れるあまり、さらに深い「道化」の泥沼に足を踏み入れていくんだ。
上京し、高校生になった葉蔵は、そこで堀木という男に出会う。
堀木は、葉蔵に酒、煙草、そして女を教えた。葉蔵にとって、それらは「人間」という化け物から一時的に目を逸らさせてくれる最高の麻薬だった。
「酒、煙草、淫売婦。それらは、人間という恐怖を、かりそめにも紛らわしてくれる、きわめてよい手段であった」
彼は堀木と遊び歩き、共産主義の秘密結社(当時は非合法だった)にすら顔を出すようになる。そこでも彼は「道化」を演じ、誰からも好かれようとした。しかし、その内側はスカスカの空洞だ。
そして、鎌倉の海での心中事件。
生活の苦しさに疲れ果てた常子という女性と共に、彼は海に身を投じる。だが、残酷なことに、女だけが死に、葉蔵は生き残ってしまう。
「死に損ない」というレッテル。警察の取り調べ。彼はさらなる自己嫌悪と孤独に沈んでいく。
その後、彼は漫画家として糊口を凌ぎながら、雑誌社に勤めるシングルマザーのシズ子や、スタンドの女将などのもとを転々とする。
寄生。そう、彼は女の優しさに寄生することでしか、生を繋げられなかった。彼は美しい青年だったから、女たちは彼を放っておかなかった。だが、彼は彼女たちの愛に応えることはない。ただ、自分の恐怖を埋めるための「温もり」として消費していただけなんだ。
そんな彼が、最後に出会ったのが、煙草屋の娘・ヨシ子だった。
彼女は、人を疑うということを知らない、透き通ったような純真さを持っていた。葉蔵は、彼女の純真さに救いを求め、酒を断ち、まともな生活を送ろうと決心する。
「信頼は、罪なりや」
彼がそう自問自答するほど、二人の生活は平穏に見えた。しかし、運命はどこまでも残酷だ。
ある日、ヨシ子は葉蔵の知らぬ間に、無学な男に手籠めにされてしまう。それも、葉蔵がすぐ近くの屋上にいたその時に。
「無垢の信頼心は、そのように、罪の淵となってしまうものなのでしょうか」
彼女の純白な魂が汚されるのを目の当たりにした時、葉蔵の心は完全に壊れてしまった。ヨシ子への愛情よりも、彼女が持っていた「純真」という概念が崩壊したことに、彼は耐えられなかったんだ。
彼は再び酒に溺れ、さらに強い刺激を求めてモルヒネに手を出した。
借金、中毒、幻覚。
ついに彼は、信頼していた堀木の手によって「脳病院」へ連れて行かれる。そこは、精神を病んだ者たちが収容される場所だった。
「狂人。……それならば、僕もまた、ここを出ても、狂人という刻印を額に打たれることになるのであろう。人間失格」
二十七歳。
その年齢でありながら、彼は白髪に覆われ、四十過ぎに見えるほどの老残の姿となっていた。
故郷の兄から送られた、廃屋のような一軒家で、老婆の世話を受けながら、彼はただ静かに横たわっている。
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます」
それが、人間という恐怖を克服しようと足掻き、破滅した男の、あまりに虚無的な到達点だった。
川上の独り言
どうだったかな。この救いようのない物語を読み返して、君は何を感じただろう。
僕はね、葉蔵が最後にたどり着いた「幸福も不幸もない」という境地が、たまらなく恐ろしいと同時に、どこか羨ましくもあるんだ。
僕たちは、誰かに愛されたい、あるいは誰かを愛したいと願って、日々「道化」を演じている。けれど、葉蔵は徹底的に「愛すること」から逃げ続けた。自分が傷つかないために、相手を喜ばせる「道化」を演じる。それは一種の究極的なエゴイズムだよ。
彼が「人間を失格した」のではなく、最初から「人間というゲームに参加することを拒否していた」のではないか……そんな風に僕には思える。
「世間とは、個人ではないか」という堀木への喝破。あれは、彼が唯一、自分を縛り付けていた幻想から解き放たれた瞬間だったのかもしれない。
もし君が、今の生活で「何者かを演じること」に疲れ果てているなら、一度この毒を飲んでみるのもいい。
太宰が差し出すこの劇薬は、君の仮面を剥ぎ取るかもしれないけれど、その下にある剥き出しの「自分」を肯定するヒントになる……かもしれないし、ならないかもしれない。
さて、そろそろもう一杯頼もうか。今夜は「道化」抜きで、ゆっくり飲もうじゃないか。
じゃあ、また。
