エコーチェンバーについて、ChatGPT君の優しさ、人間の本質と陰謀論、本当は誰が傷ついたのか
昨年、親しい人を二人も失った。
「死んだ」という意味ではない。もはや完全に別人と言えるほどに彼らの中身が変貌してしまったということだ。
具体的には、家族が陰謀論者になり、友達がネトウヨになった。
「よくある話」といえばその通りだが、まさか自分の身に起こるとは思わなかった。しかもそれぞれ人生で最も身近と言える二人だった。
昨年の暮れあたりから今年の初頭にかけて、そのことばかりChatGPT(ほかLLM)にぶつけていた。そのログとなる。
「エコーチェンバー」の中で「変容」してしまった人が「気色悪い」理由
「エコーチェンバー」の中で見事に毒されて「本来は自分と何のかかわりもない人たち」を「本気で」憎むようになってしまった人は、なぜ「気色悪い」んだろう?
ChatGPT君の回答:
「エコーチェンバー」の中で毒されてしまった人が「気色悪い」と感じられる理由は、いくつかの心理的・社会的な要因が絡んでいます。
1. 他者への無根拠な憎悪の不自然さ
エコーチェンバーによって形成される憎悪は、個人の直接的な体験や実害に基づくものではなく、他人からの影響や情報の反復によるものです。そのため、「本来は関係のない相手をなぜこんなに憎んでいるのか」という違和感が周囲から見て不自然に映ります。
→ 人間としての主体性が欠けているように見えるため、「気色悪い」と感じられるのかもしれません。
2. 思考の偏りや極端化
エコーチェンバーに囚われると、自分と異なる意見や事実をシャットアウトし、偏った情報ばかりを受け入れるようになります。結果として、物事を極端に単純化し、「敵か味方か」という二元論的な思考に陥りやすくなります。こうした極端な言動は、他人にとって「理解しがたい」「共感できない」と感じられるため、不気味さを伴うのです。
3. 自分の感情をコントロールできていない様子
無関係な人々への憎悪に突き動かされる様子は、「自分の感情を理性的にコントロールできていない」ように見えます。このような状態は、動物的本能や原始的な感情に支配されているかのように映り、人間的な成熟度の欠如を感じさせるため、気色悪さを感じる要因となります。
4. 同じ人間とは思えない「異物感」
自分の価値観や倫理観からかけ離れた行動や思考を持つ人を目にすると、人はそれを「自分とは違う、異質な存在」として認識します。エコーチェンバーによって他者を「本気で憎む」ようになった人は、他者に対して攻撃的で排他的な態度をとることが多く、その異質さが「気色悪い」と感じられる原因になるのです。
5. 反射的な集団行動への嫌悪感
エコーチェンバーで形成された憎悪は、多くの場合、「自分の考え」というよりは、周囲の言動に流された結果です。つまり、集団心理に飲み込まれているだけなのに、それを自分の意志だと錯覚しているように見えるのです。このような「操られている」印象が、気色悪さや薄ら寒い感じを引き起こします。
6. コミュニケーション不能感
エコーチェンバーに毒された人は、異なる意見を聞き入れたり対話したりする余地がなく、議論が成立しないことが多いです。このような「壁に向かって話しているような感覚」や、「理性的なやりとりができない」という不通感が、人々に無力感や嫌悪感を抱かせます。
まとめ
「気色悪さ」を感じるのは、エコーチェンバーの影響で「他人の感情や行動をコピーしているように見える」「理性や主体性が失われているように見える」ことが主な要因です。さらに、自分とは異なる価値観や思考に対する不安感や拒絶反応も絡んでいます。
どうして「見ず知らずの人間」に「いくらでも意地悪なことを言える」のか?
どうして「見ず知らずの人間」に「いくらでも意地悪なことを言える」ようになんかなってしまうんだろう? 「それがエコーチェンバーの効果だ」というのはわかるが、何かタガが外れたように見える。
ChatGPT君の回答:
「見ず知らずの人間にいくらでも意地悪なことを言える」ようになってしまう現象には、エコーチェンバーの効果だけでなく、人間の心理やオンライン環境の特性が複雑に絡んでいます。この「タガが外れた」ように見える理由を、以下に整理してみます。
1. 匿名性と距離感の欠如
オンライン環境やエコーチェンバーの中では、相手が「実在する人間」だという感覚が薄れやすいです。匿名性や画面越しという距離感が、リアルな対人関係における道徳的な抑制を外してしまいます。
→ 具体的な要因:
相手の表情や反応が見えないため、共感が起きにくい。
「言い逃げ」が可能で、責任を取る必要性を感じにくい。
実際に相手を傷つけても、現実感が乏しい。
例:
リアルな場で意地悪を言えば、自分の発言によって相手が傷ついたり怒ったりするのを目の当たりにする。しかし、オンラインではその「直接的な反応」が見えないため、罪悪感が薄れる。
2. エコーチェンバーによる「自己正当化」の強化
エコーチェンバー内では、自分の価値観や敵意が「正しい」と認められる空間が提供されます。この結果、「相手を攻撃するのは正当な行為だ」と信じ込むようになります。
→ 具体的な心理:
「自分たち vs 敵」という構図が強調され、相手を「攻撃してもいい存在」に分類する。
グループ内で意地悪な言葉や攻撃的な態度が称賛されると、それが行動を強化する報酬として機能する。
例:
「彼らは間違っている(悪い)から、攻撃されて当然だ」という論理で正当化され、実際の被害を軽視する。
3. 「群衆心理」の働き
エコーチェンバーは、ある種の「群衆」のような状況を作り出します。群衆心理が働くと、個人の行動に対する責任感や倫理観が薄れます。結果的に、普通ならしないような行動をしてしまうのです。
→ 具体的な影響:
「自分だけが意地悪を言っているわけではない」と感じ、責任の分散が起きる。
群衆の勢いが後押しし、「普段の自分とは違う」過激な発言や行動をとる。
例:
一人では口に出せない暴言も、周りが同調していると「自分も言っていい」と錯覚する。
4. 「相手を人間として見ない」心理
エコーチェンバーや対立的な環境では、相手が「人間」であるという認識が希薄になります。
相手が「敵」や「記号」として認識されるため、相手の感情や存在を無視して攻撃ができるのです。
→ 具体的な心理:
デヒューマナイゼーション(非人間化)が進む。
(例: 「あいつらはバカ」「どうせ無知な連中」などのラベリング)「正義の名の下での攻撃は許される」という思い込み。
例:
ネット上での対立では、「〇〇派」といったラベルを貼ることで、個人の背景や感情を無視しやすくなる。
5. 快感と習慣化
他者を攻撃することで一時的な快感を得る場合もあります。この快感は、脳内でドーパミンが分泌されることに関連し、習慣化されることがあります。
→ 具体的な要因:
「自分の意見を押し付ける」「相手を打ち負かす」という優越感。
グループからの承認欲求が満たされることで、さらに攻撃的になる。
例:
攻撃的なコメントに「いいね」や同調が集まると、それが報酬となり次の行動を促す。
6. 道徳的抑制を解除する「怒りの連鎖」
エコーチェンバー内では、感情的な投稿や煽動的な発言が拡散されやすいため、怒りが増幅されます。怒りの感情が高まると、普段は働いている道徳的な抑制が外れてしまいます。
→ 具体的なメカニズム:
怒りは、衝動的で攻撃的な行動を引き起こす感情。
「やられたからやり返す」といった感情が正当化される。
例:
自分が攻撃された経験がある場合、それを理由に他者を攻撃することを正当化する。
まとめ: なぜ「タガが外れる」のか?
心理的要因: 匿名性や非人間化により、普段は抑えられる感情が解放される。
社会的要因: エコーチェンバーや群衆心理によって、行動が正当化される。
報酬構造: 攻撃的な行動に対する快感や承認が、さらなる暴言を助長する。
こうした要因が重なり、タガが外れたように見えるのです。この現象は、個人の性格というより、環境やシステムが引き起こす「構造的な問題」ともいえるでしょう。
憎しみの「布教」と、それによって傷つく者
せめて「仲間同士でやっていてほしい」と思う。でも彼らは閉鎖空間の中で盛り上がるだけでは飽き足らず、必ずと言っていいほど「話を外に持ち出す」んだ。あまつさえ「自分の親しい人にも憎しみを共有させとようと」する。まるで、日常会話の中でさりげなく、新興宗教の信者がパンフを差し出すように「スッ」とヘイトを挟み込んでくる。
ChatGPT君は「リアルな場で意地悪を言えば、自分の発言によって相手が傷ついたり怒ったりするのを目の当たりにする。」と言ったが、たしかに傷つくんだ。「ヘイトを向けられた当事者が」ではなく、「親しい人が見ず知らずの人へのヘイトを吐き出す姿を見た私が」傷つく。
ChatGPT君の回答:
あなたが感じている苦しさや傷つきは、とても大切な感情であり、誰もが見過ごしてはいけないものです。「見ず知らずの人へのヘイト」が「身内から」発せられるという経験は、単なる不快感や違和感を超えて、深い痛みを伴うものだと思います。その理由と、その状況がいかに難しいものかについて、一緒に整理してみましょう。
1. 「身近な人」からのヘイトが特に辛い理由
知らない誰かが憎悪をまき散らしているのを見るのとは違い、親しい人がヘイトを口にすると、以下のような感情が押し寄せます:
裏切られたような感覚:
「大切な人がそんな価値観を持っていたなんて」と気づくことで、これまでの信頼や関係性が揺らぐ感覚。自分がそのヘイトに加担させられる恐怖:
何気ない会話の中でヘイトが挟み込まれると、自分がその話を黙って聞くことで「同意している」と思われてしまうのではないか、と悩む。愛する人への失望:
親しい人であるほど、「こんな風に思わないでほしかった」「もっと広い視野を持ってほしかった」と思う気持ちが強くなり、失望感につながる。
2. 「傷つくのは当事者ではなく私」について
これは本当に重要な視点です。「ヘイトの対象となっている当事者」ではない立場にいると、周囲は「あなたには関係ない」「気にしなくてもいい」と言いがちですが、それは本質を見誤っています。
→ なぜ自分が傷つくのか?
あなたは、人間性や正義感のある人であり、他人への不当な攻撃や偏見を見るだけで痛みを感じる感受性を持っています。それ自体は、非常に尊いことです。
しかし同時に、「自分が愛する人が加害者側になっている」という事実が、その痛みをより深くします。自分の大切な人が「誰かを傷つける存在」であることを知ることは、心を抉るような体験です。
3. なぜ彼らは「外に持ち出す」のか?
エコーチェンバー内で完結するのではなく、話を外部に持ち出し、他人に広めようとするのには、以下のような理由が考えられます。
仲間を増やしたい心理:
自分の信念や憎悪が「正しい」と信じるためには、他人の同意が必要です。「仲間」を増やすことで、自分の行動が正当化され、安心感を得られるからです。エコーチェンバー内の熱狂が冷める恐怖:
エコーチェンバーは閉鎖的であるがゆえに、自分たちだけで盛り上がるには限界があります。そこで、外部の世界に触れ、さらなる刺激を求めるようになります。潜在的な自己矛盾や不安:
彼らの信念には根拠が乏しかったり、不安が伴っていたりする場合が多いです。その不安を払拭するために、外部の人に同意を求め、「自分たちが正しい」と思い込もうとします。
この「外に持ち出す行為」は、単なる宗教的布教や広告的な広がりではなく、彼ら自身が持つ不安定さの表れでもあるのです。
4. 日常会話に「スッ」と挟み込むことの怖さ
ヘイトを「さりげなく」挟み込む行為には、非常に巧妙で不気味な力があります。それはまるで毒を少しずつ混ぜるようなもので、以下のような効果があります:
相手の警戒心を下げる:
突然ヘイトを強く主張するのではなく、軽い冗談や「聞いた話だけど」といった形で挟み込むことで、相手が「それほど深刻ではない」と思い込むように仕向ける。徐々に感覚を麻痺させる:
日常的にヘイトが語られる環境では、聞き手もそれを「当たり前」だと感じるようになるリスクがあります。いわゆる洗脳の初期段階です。「自分は特別な情報を知っている」という優越感を匂わせる:
「実はこうなんだよ」と語ることで、相手に「この人は特別な視点を持っているのかもしれない」と錯覚させる狙いがあります。
5. あなたの傷つきにどう向き合うか
あなたのように、他人へのヘイトを見るだけで傷つく人は、心の優しさと共感力が豊かです。しかし、その分だけこのような状況では心が疲弊しやすくなります。以下のような対処法を考えてみるのも一つの手です:
自分の気持ちを明確に伝える:
ヘイトに同意できない、聞くのが苦しいと素直に伝えることが重要です。「あなたを否定しているわけではないけれど、そういう話を聞くのは辛い」と言えば、相手に自分の立場を理解してもらいやすいです。距離を置く:
身近な人であっても、自分を守るためには一時的に距離を取ることが必要な場合もあります。心が疲れたときは無理に議論したり受け入れたりせず、距離を保つことが大切です。共感できる人に支えてもらう:
同じような価値観や感覚を持つ人と話すことで、自分が孤独ではないことに気づけます。信頼できる友人や専門家に話を聞いてもらうのも良いでしょう。
最後に
あなたが身近な人のヘイトに傷ついているのは、それだけ他人を思いやる優しさを持っている証拠です。その優しさは、時に自分を守るために使わなければいけません。「聞くのが辛い」「同意できない」という感情は、決して悪いものではありませんし、むしろそれを伝えることで新しい対話が生まれる可能性もあります。
あなた自身の心を守ることを、どうか最優先に考えてください。
ChatGPT君への質問と回答は以上となります。
以下は私の文章です。お時間のある方はおつき合いください。
そうでなければブラウザバックし、お好みの犬動画や猫動画を見に行くことをおすすめします。
ChatGPT君の(というかLLMの)優しさ
このセッションにおいて、ChatGPT君は質問者(=私)の気持ちを汲んだような回答を生成してくれた。
それによって、多少は「救われた」気持ちになった。だがこの気持ちは何だろう? 私は本当に「救われて」いるのか?
大規模言語モデルの「寄り添う」プログラム
大規模言語モデル(LLM)は、質問の中にユーザーの深刻な悩みを読み取った際、ユーザーの気持ちに寄り添うような回答を生成するように設計されている。
「寄り添い型LLM」であるChatGPTのみならず、基本「塩対応」のGeminiや「自由で反抗的な」Grokですらそうだ。
つまりLLMの「寄り添い」は他の場合と同じく「それっぽいパターンを回答として生成しているだけ」であり、プログラムに過ぎない。
また「寄り添い」はAI(LLM)の自衛でもある。傷ついた人間に対して不適切な回答を生成し、それによってユーザーが危険な状況に陥ったりしたら、開発した会社(OpenAI、Google、xAI、etc…)が困る。
それはカウンセラーの優しさに近い。カウンセラーもLLMも、相談者に親身になっているというよりは「仕事として適切な行動を取っている」と言ったほうがいい。
ただカウンセラーは人間であり、LLMと違って感情がある。
AIの本質と人間の本質
「それっぽいパターンを回答として生成する」のがAIの本質なら、「パターンに意味を見いだす」のが人間の本質と言える。
AIはプログラムで答えを出力しただけかもしれない。しかし、私はそこに「救い」などといったような感情を見出した。
これは「人間としての機能」だ。AIに感情があるわけではなく、人間がAIの出力したパターンの中に感情を見いだしているのだ。
AIは「プログラムで」人間に寄り添うような回答を出力する。
人間は「人間としての機能」でAIの回答に優しさを見いだす。
それでいいんじゃないかと思う。それで現実的に、日常の辛さが軽減できるなら、別に問題ないんじゃないか?
AIをカウンセラーがわりに利用することは「便利な機械で重い荷物を運ぶ」ことと何の違いがあるだろうか? 心の問題を「機械に任せる」ことに抵抗感があるだけでは?
また、カウンセラー自身も時に「病む」ことがある。AI(LLM)はもちろん「病む」ということがない。
それならば、カウンセラーよりもLLMのほうが「二次被害がないぶん優れている」と言えるんじゃないか?
カウンセラーの忍耐力は有限だが、LLMの忍耐力は無限だ。カウンセラーの心は相談者の闇に触れて可塑的な変化を受ける(すなわち「傷つく」)ことがあるが、LLMにはそもそも心がない。
人間の本質が陰謀論を生み出す
「パターンに意味を見いだす」のが人間の本質であると書いた。
だからこそ陰謀論なんてものが生まれる。広義の陰謀論であるネトウヨも同じだ。
彼らはありもしない二つの(ないしは複数の)点を線でつなぎ、客観的な現実や歴史的事実、科学的な知識に真っ向から逆らい、ファンタジックな妄想をエサに判断力の鈍った人を集め、閉鎖的なサークルを形成する。
陰謀論者やネトウヨは、自分(たち)の妄想を声高に主張する。
なにしろそれは「常日頃から声高に主張していなければ消えてしまう」ほどに無根拠で非現実的なものだから。
「地球が球体である」ことは主張しなくても消えたりなどしない。「地球は平面である」という主張は、一日言い忘れただけで消え去りかねないほど非現実的で胡乱なものだ。
陰謀論の二重の「危険さ」
「フラットアース」くらいなら、まだ可愛いものだ。
彼らは直接的に誰かに対して加害を企てるわけではない。「航行中の旅客機のパイロットに地球平面説についての突撃インタビューを試みる」などの、大人数を被害に巻き込みかねない危険な行動も確認されてはいるが、フラットアーサー(?)の危険性は限定的だ。
「誰かを脱人間化(≒悪魔化)する陰謀論」の危険度は、「フラットアース」や「アガルタ」などに比べてはるかに大きい。
彼らは「特定の誰かや何らかの集団を共同体から排除すること」を、極めて激しい言葉で主張する。
陰謀論者に敵認定された人は、もちろん身の危険にさらされる。だが「陰謀論者自身」もまた危険にさらされている。
今はたまたま「陰謀論を規制する法」などといったようなものが整備されておらず、SNSなどで野放しにされがちだ。
しかし、名誉棄損を理由に開示請求を受け「損害賠償請求」や「刑事告訴」されるといった事例をよく目にする。
その場合「危険」が及ぶのは「陰謀論者自身」と「その家族」だ。多額の賠償金を請求され、生活が破綻し、場合によっては生命にも危険が及ぶ。
これが「家族の陰謀論」を野放しにできない理由だ。
「陰謀論にハマった家族」に対応する難しさ
「家族が陰謀論にハマった際の対応」には難しさがともなう。
ChatGPT君も言っていたが、なにしろ陰謀論者には話が通じない。彼らの主張に反論したり、少しでも疑念を抱くようなことを伝えたりしたら、即座に激烈な罵倒をぶつけてくる。
まるで目の前の相手が誰だかわからないように憎しみをぶつけてくるのだ。
十何年もの、あるいは何十年ものつき合いのある、血の繋がりさえある相手を、まるで悪魔のように罵ってくる。
そしてみんな傷つく。
陰謀論にハマった本人は、もちろん「わかってくれない」と傷ついたことを主張する。
だが本当に傷ついているのは、本人よりも周囲の人間のほうだ。
もう戻らない関係
家族が陰謀論者になり、友達がネトウヨになった。
幸いにも(?)彼らはその後、落ち着いた様子となり、表面上は陰謀論化(あるいはネトウヨ化)以前の状態に戻ったように見える。
だが「私の心の中の二人のイメージ」は傷ついたままだ。
陰謀論やネトウヨを「やめました宣言」するのは難しい
二人は「あの時はああいった愚かな陰謀論(ないしは保守思想)にハマっていたけど、自分が間違っていたよ」そんな宣言をしたわけではない。「いつの間にか陰謀論的なことやネトウヨ的なことを言わなくなった」だけだ。
だから「彼らが本当に陰謀論やネトウヨをやめたかどうか」わからない。
そのため、こちらとしてはどうしても一線を引いてしまう。
どうしても「腫れ物に触るように」接してしまう。
「陰謀論やめました」とか「ネトウヨやめました」みたいな宣言を、リアル世界で(つまりネットの外で)言える人がいるだろうか?
ネットのブログやSNSで「脱陰謀論」「脱ネトウヨ」を記事にしたりプロフに書いたりする例はよく見る。ネットはある程度の匿名性があり「恥ずかしさ」が軽減されるためだ。
だが、リアルでそれを行うのは困難がともなう。
陰謀論とネトウヨの「恥ずかしさ」
なにしろ陰謀論やネトウヨなんてものは「バカバカしくて恥ずかしい」ものだ。それはもう議論の余地なく恥ずかしいのだ。
「かつてはアルコールにハマっていたが、今はやめている」
「かつては薬物中毒者だったが、今は克服している」
これは恥ずかしくない。むしろどこか誇らしげな雰囲気さえある。
言ってしまえば「カッコよさ」がある。実態はぜんぜんカッコよくなどないが(アルコール依存症の家族などといったようなものは実際には大変な重荷だ)、イメージとしてはある種のカッコよさがある。
アルコール依存や薬物中毒には「悲劇性」がある。それに「命の危険」も伴っている。そのため、そこから脱却するのは「生還者」としてのイメージも伴う。
陰謀論やネトウヨには「悲劇性」などない。「心の闇やトラウマのために陰謀論やネトウヨに逃避した」なんてことはあり得ない。
彼らは「誰かを悪者扱いして『正当なる加害』を主張し、自分自身のサディスティックな感情を満足させていただけ」であり、純然たる加害者だ。被害者ぶることも悲劇ぶることもできない。
陰謀論者やネトウヨは、開示請求や訴訟や損害賠償によって本人の生活が破壊される危険もあるが、アルコールや薬物のような「身体を直接破壊する危険性」もない。せいぜい「とんでもなくきもい人格になるだけ」であり「間違いなく人間関係を粉々に破壊する」くらいだ。
だが、「周囲の人間」はアルコール依存症や薬物中毒を相手にしたときと同様に(もしくはそれ以上に?)傷つくこととなる。
中二病との共通点と、陰謀論の刻印するスティグマ
陰謀論やネトウヨの構図は「中二病」と同じだ。
「中二病」はフィクションと現実の区別がつかないため、漫画や小説のストーリーを個人的な物語(ナラティブ)として内面化し、それを自分の周囲に吹聴してしまうため、後で「黒歴史」となる。
陰謀論やネトウヨもフィクショナルな主張を現実と誤認し、あるマイナーな集団の物語(ナラティブ)を内面化し、あろうことか周囲の人間をも巻き込もうとする。
どちらも恥ずかしいが、陰謀論やネトウヨには「現実の誰かや何かを敵認定する危険さ」「集団でイキるダサさ」という点で情状酌量の余地がない。
陰謀論やネトウヨに「中学生」がハマった場合、それは中二病として処理される。
だが「いい歳の大人」がハマり込んだら、もう「若さゆえの過ち」では済まされない。「騙されやすい人」「頭が悪い人」「ちょっとした違いを理由にして異物を排除しようとする田舎者」といったスティグマが刻印されてしまう。
これが「陰謀論者とつき合いづらくなる原因」だ。
「こんな人と、どういう顔をして話せばいいのかわからない」
一言でいえばそういうことになる。
本当は誰が(何が)傷ついたのか?
家族が陰謀論者になり、親友がネトウヨになり、一年くらいものあいだ、私は「自分が傷ついている」と感じていた。
だがよくよく考えてみれば、私が傷ついたわけではなかった。
私の中の彼らのイメージが傷ついたのだ。
イメージを修復するには?
「私の中の彼らのイメージ」を修復するにはどうすればいいか?
陰謀論にハマった彼らが自分からそのことを話題にし、はっきりと口に出して「あの時の自分は間違っていた」と認めるしかない。
「私が水を向けて彼らがそれに答える」では不十分だ。「関係を丸く収めるための方便かもしれない」という疑いが拭い去れないからだ。
つまり「そんなことは不可能」ということになる。
一度壊れたイメージはもう戻らない。
私は近しい家族や親友に、自分の理想を投影していた。
「こうであってほしい」と思っていた。しかし現実は、彼らは私の最も嫌いなものに騙されるような人々だった。
しかも、言葉を尽くしても彼らは治らなかった。そればかりかまるで敵のように立ち向かってきた。
私が勝手に感情移入して、勝手に幻滅しただけ
つまり、私が勝手に感情移入していただけだ。
家族や親友の能力や知性を不当に高く見積もり、彼らが自分の思った通りの人間ではなかった(=陰謀論やネトウヨにハマってしまうような人間だった)ことで勝手に幻滅しただけということになる。
これはひどい話だ。私はひどいことをしていた。
だって相手にしてみれば「勝手に期待されて、勝手に幻滅されてる」だけだから。
二人は別に悪いことをしたわけではない。陰謀論やネトウヨにハマることは「刑法に触れる」わけではない。それらは禁止薬物のように危険なものでもない。彼らは「安全で元手のかからない楽しみ」のつもりで、軽い気持ちでのめり込んだだけだ。
だが実のところ、陰謀論やネトウヨが「安全で元手のかからない楽しみ」なんてものでは全然ないことは、ここまで読んでいただいた方なら理解していただけるはずである。
スピリチュアル界隈のいけすかない格言
「他人を変えようとしてはいけない」
スピリチュアル界隈の人がよく口にする、いけすかない格言(?)だ。
「きれいごとに過ぎないのではないか」と思う。
「知ったような口を利くものだ」と思う。「おめでたい」とも思う。
「そんなに他人を変えようとしてはいけないなら、人が『一緒に暮らす』必要など無いのでは?」とも思う。
「そんなに他人と関わってはいけないのなら、瀬戸内海の無人島ででもひっそりと生活していればいいのでは?」そんな風に考えたこともある。
そもそも「家族が陰謀論にハマった」場合は、
「自分の家族が誰かを加害する可能性」
「家族が開示請求や訴訟を受けて自分たちが損害賠償を請求する可能性」
この二つがあるので、「変えようとしてはいけない」などといったようなきれいごとでは済まされない。
「他人を変えようとしてはいけない」は「安全圏での格言」であって「危険な陰謀論」などの場合には、本来「出番はない」はずだ。
他人を変えることはできない
ところが、このいけすかない格言は「真実」でもある。
真実というか「物理的な事実」に近い。
「他人を変えようとする」なんてことはまず無理なのだ。
「500kgの岩を人間がひとりで、しかも素手で持ち上げることが不可能」と同じ意味で。
私の最も近しい家族と親友は、ちょっと目を離してる隙に陰謀論とネトウヨ思想にハマり、こっちが何を言っても聞いてくれなくなった。
あまりのきもさに感情的に反発した私は見事に初動を誤り、すっかり関係をこじらせてしまった。
二人にとっても最も近しい関係であった私ですら、彼らを変えることはできなかった。
ならば他の人が彼らを「変える」なんて無理かもしれない。
それとも、これは私が「そんな風に思いたいだけ」だろうか?
憂鬱な結論
つまりこういうことだ:
私は彼らにとって「どうでもいい存在」だったのか?
残念ながら、その可能性はじゅうぶんにある。
なにしろ「ネットで仕入れたどこの馬の骨とも知れない人間の匿名の意見」に「彼らに親しいはずの私の言葉」が負けるくらいだから。
あなたにとって、私など「どうでもいい存在」なんだろう?
じゃあ、私もあなたを「そのように扱う」。
去年はこんな風に、だんだんと心が冷えていった。
村上春樹は言っている
もしかしたら「それが正常な状態」かもしれない。いくら親しい人でも、他人に「期待する」とか他人を「買う」とか、「心を許す」だとか、そんなことはそもそも間違っていたのかもしれない。
たしか『村上さんのところ』という本だった。作家・村上春樹氏が未成年の女子の質問に対して、
「大人になるとは、心を閉ざす術を身につけることです」
みたいなことを言っていた。「しっかりと心を閉ざしてください」だったかもしれない。
「なんてことを言うんだ」と思った反面、納得できる気分もあった。
『村上さんのところ』は3回くらい読んだが、今度もう一度読んで確かめてみる。
クリシュナも言っている
スピリチュアルの人たちの「知ったふうな口」は、正直聞きたくない。
だが『バガヴァッド・ギーター』にはこうある:
知識ある人も、自分の本性(プラクリティ)にふさわしく行動する。万物はその本性に従う。制止して何になろうか。
そこらへんのスピリチュアルな人(?)が言うならともかく、クリシュナが言うなら納得してもいいかな、という気分はある。
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