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『気にしない』ができない日。下書きから掘り起こした話


最近「気にしない」って難しいなと。

その中で生まれた2つの振り返りを、
そのまま置いてみます。

…と書きましたが、
実は下書きにねむっていたものを
掘り起こしてリライトしたものです。



「生活の動き・身体感覚・日常の温度が中心」



朝、机の端に置いたはずの紙が、
また視界のすみに入ってくる。


「今日も気になるんだな」と思いながら、そのまま考え込む前に、
そっと位置を変える。


水を一口飲む。
冷たさが喉を通る感覚だけが、
いまの自分を少しだけ前に動かす。


悲しい日も、めんどくさい日も、
考えすぎてしまう日もあるけれど、
喉は渇くし、お腹もすくし、朝は来る。



そんな当たり前の動きの中に、
感情があっても、
生活は普通に続いていく。


その同時性の中で、
今日も小さな動きが流れを変えていく。




「概念・構造・抽象度を上げて、世界観を中心に」



意識は、触れたものに反応する。


「気にしない」と思っても、
視界に入った情報から
完全に自由にはなれない。


遮断ではなく、
流れを前に動かすという選択がある。


停滞は思考を固め、
動きは思考をほどく。


感情は、固定されるものでも、
深掘りし続ける対象でもなく、
ただ流れていく現象。


劇的な揺れでなくても、
小さな波は日々の中にいつもある。


それでも生活は続き、
身体は動き続ける。


「感情がある」と
「生活が続く」は、矛盾しない。


その同時性が、
在り方を形づくる。

在ることは停止ではなく、
動くことは逃避ではない。


在る × 動く = 循環。
その循環の中で、生きている。




具体的な動きで流れを変える日もあれば、こうして言葉にして循環させる日もあります。どちらも私の大切な日常です。

感情は固定じゃなくて流れだと捉えていて、生活の小さな動きが、感情の流れを変えると実感しています。

だからというわけでもないですが…。

悲しくても喉は渇く、
考えすぎても朝は来る、
気持ちが揺れても生活は続く。

そんな生活と感情の同時性が好きです。

悩みって、自己への集中だと思うのです。

自分のことをずっと考えているって、
それだけ大切にしている証でもあって。

そんなふうに考え続ける姿が、
だんだん愛おしく思えてきます。

その真剣さが、
生きてると感じさせてくれる。

そう思える瞬間が胸に残ります。



最後までお読みくださり、
ありがとうございます🍀✨🐦

よい休日を〜♬👋



#エッセイ

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