どれくらいの英語力を目指すか
こんにちは!
日々うさぎです。
英語を学んでいるみなさんはどのくらいの英語力を目指しているでしょうか?
通じればいいんだよ!
文法は気にしなくてもいい
気持ちが大事
そういった言葉を何度も聞いたことがあるかもしれません。
ある部分では正解
ある部分ではそれでは困る
つまりケースバイケースだと思うのです。何も言っていないように聞こえますが、当然といえば当然です。
外国語を勉強していると、自分の発話が通じた時、とても嬉しくなります。
自分が相手の言語を一生懸命話した時、相手もとても喜んでくれることもあります。
あ、これでいける、
これで十分なのかな
そんなふうに思うことがあるかもしれません。
自分の話す言語が、相手にどのように伝わっているかは、時と場合によって異なります。
そのような場面に出会って初めて、感覚としてとらえられるものかもしれません。
◻️ 言語力によって何が起きるか
近年、日本にもたくさんの外国人が、観光客としてだけでなく、日本社会の中で共に働き生活する者同士として、関わる機会もあることでしょう。
彼らが頑張って話してくれる日本語は、外国語を習得する難しさや大変さを思う時、本当にすごい、ありがとう、という気持ちになります。
友達として関わる時も、日本語を学び、日本文化を理解しようとしてくれる姿には、好意を感じます。
ですが、もしビジネスで関わるとき、
例えば私達が何か大切で重要な仕事をやってもらう時、
その人がミスをしても大丈夫、とは言えません。
言葉の問題で、仕事に不安があったり、うまくコミュニケーションが取れないとわかると
その人を信頼することができなくなってしまいます。
言語が十分にできないことは、
その人がたとえ人格者だとしても、
ものすごく優秀な人だとしても、
低く見られてしまうことがあると思うのです。
人を見かけで判断してはいけない、といいますが
ある意味それよりもっとのレベルで、判断されてしまう、
それが言語なのだと思います。
言語ができるできないと
その人が信頼できる人か信頼に値しない人か、
それは本来区別して扱われなければいけないと思うし、
将来的に、人権を扱う分野でテーマに上がってくることになるかもしれませんが
しかし今は現実として、言語を十分に扱えるかどうかは、その人がどのように扱われるかと密接に関わっていると感じます。
先日仕事で、アジア系のお客さんをアパート内見にご案内しました。日本語学校に通いながら、飲食店でアルバイトをしている若き留学生です。
日本語で十分にコミュニケーションできましたが、細かいところで単語がわからなかったり聞き取れなかったりということがありました。
内見の部屋を見た時の、細かいところまで気づく視点、契約に必要なお金のことへの配慮など
とても優秀な人であることが想像できました。
日本語がまだ十分ではないため、今は最低時給の飲食店で働いていても、
将来はきっと国を背負うような大事な仕事をしたり
日本と祖国を繋ぐ人材として、一目置かれるようなビジネスをする人となることでしょう。
日本語力が十分でないと、できる仕事の種類は限られてきます。
それによって、本当は優秀な人材であっても、それが見えにくくなってしまっていることがあると思います。
わたし達がもし英語でビジネスをすることとなると、
英語力によって、信頼されたりされなかったり
仕事を任されたり任されなかったりは、当然ですが起きてくることでしょう。
◻️ つけるべき英語力をどう考えるか
さて、ここで一度白紙に戻して考えてみましょう。
では私達は高い英語力をつけるまで英語を使う現場に出ない方がいいのでしょうか?
もちろんそんなことはありません。
英語を使う目的に応じた言語力があればいいのです。
友達をつくる
体験を広げる
世界を知る
見方を学ぶ
文化を知る
それは、どの英語力からスタートすることも可能です。
むしろ、やればやるほど言語力は高まっていくでしょう。
仮に英語力を料理に置き換えれば、
シェフとして働くには
そのための知識と技量と経験がどうしても必要です。
でも自分が今日食べる昼ごはんは、料理が初めてでも、見よう見まねで作ってもよいのです。
作れば作るほど、失敗を重ねるほど、美味しい料理が作れるようになっていきます。
◻️ 英語学習に関して知っておきたいこととして
この記事で伝えたかったことは二つあります。
一つは、人は言語力によって判断されてしまう現実があるということ。
どんなによい人でも、言語の使い方で損をしてしまうことがありえます。
そのことを認識できているか否かで変わってくる現実があると思います。
二つめは、一つめのことのコイン裏側です。
言語力によって人を判断することはできない、ということです。
例えば日本にいる外国人の中には、日本語力が高くなくても、ものすごく優秀な人がいます。人格者もいます。
もしかしたら、虎視眈々と、私達の技量や人としてのレベルを見抜かれているかもしれません。
外国語を学ぶことで、私たちはコインの表と裏を見る機会が増えると思います。
一つの言語、一つの文化の中に収まっているだけではなかなか気づけないことです。
それこそがもしかしたら1番大切なことなのかもしれません。
