大きくなったね。
ある朝。
子供を授かったことがわかった。
ずっと、子供が欲しかったが、なかなか授からず、年を重ねていた。
トイレを出ると、夫に報告した。
夫は信じられないくらい驚き、二人で、笑い合って喜んだ。
何度目かの妊婦健診で、子供は女の子ではないかと言われる。
女の子。
どんな子に育つんだろう?
幸せに生きてほしい。
熱い夏の午後に、病院で出産した。
心優しい子と書いて、心優《こころ》と名付けた。
白い天井に壁。ベッド。陣痛室は狭かった。
「痛い! 出て来ない、痛い‼︎」
分娩室に移動しても、痛みからはなかなか解放されなかった。
が、産声や、小さなその姿に感動した。
すぐに、体重を測った。問題は、とくになかった。
驚いたのは、もう髪の毛が生えていたこと。
……無事に生まれて、本当によかった。
急な夜泣き。耳をつんざくようなうるささに、最初は途惑った。
暗い部屋で目覚めても、夫は平気で寝ていて、腹が立った。
二時間ごとに、スマホのアラームを入れ、そのたび、目が覚めるよう音楽をかけ、授乳した。おむつも、必要なら替えた。とても疲れた。
夫も手伝ってくれることが増えた。入浴などは、積極的にしてくれた。
育児日記をつけていた。何時間ごとに授乳をしていかるなどの記録は、大切な健康管理だった。
眠くて仕方なかったが、小さなかわいい手や、笑ったような顔を見ていると、がんばれた。
抱っこすると、ミルクのような匂いがして、肌はとても柔らかかった。
かわいくて、写真を毎日、スマホで撮った。
初めて、寝返りを打った。
平均より少し遅れていたので、心配していたが、一度できると、心優は何度も同じ方向に転がった。
思わずスマホを構えて、指が震えた。
夫も、動画を撮っていた。
とても嬉しくて、夫と手を握り合った。
しばらくそのまま、言葉が出なかった。
やがて、反対側にもころんと転がれるようになった。
つかまり立ちができるようになり、伝い歩きを繰り返した。
テーブルの四方を、心優は楽しそうに歩いた。
子供というのは、日々変化している。
そして。
ついに、初めて歩いた。
まだ短い脚で、一歩、一歩、危なっかしく歩く。
なんとか、短い廊下のあちら側まで行った、と思ったら、こちら側まで戻ってきた。
「心優、心優!」
「すごいな!」
嬉しくて、撮った動画を何回も見返した。
言葉も話すようになった!
「まんま」
かわいい声だった。
まんまが、ごはんかママかわからないが、とても嬉しい!
想い出がどんどん増えていく。
やがて、心優は幼稚園に行くようになった。
最初は泣いてしまい、初めて離れる寂しさに、私も胸が痛んだ。
「行きたくない! ママといたい!」
と、最初の一、二週間くらいは、泣き叫んだ。
だが、心優はすぐに先生に懐くようになり、そのうちお友達ができて、幼稚園に順応した。
年長になると、就学についての話を聞くようになった。
……来年には、もう小学生か。
まだ、実感が湧かなかった。
ある日。
ランドセルを選びに、お店に行った。
きらびやかな、ランドセルの並ん売り場。
今時は、パステルカラーのかわいいランドセルが多色あり、親としてはどれを選べばいいのかわからなかった。
「ママ、これがいい!」
心優を連れてくると、わずかなデザインの違いがわかるのか、目を輝かせ、すぐに、とりわけかわいいランドセルを選んだ。
ラベンダー色の、サイドに同色のリボンのついたランドセルだった。
それを試しに背負わせてもらって、鏡の前に立たせてみた。
「どう?」
「うんっ! いい!」
心優は、満足したようだ。
ランドセルを購入すると、できあがるのは、秋ごろ──まだ、先だった。
期待を胸に、引き換え票を手にし、私たちは帰宅した。
あっという間に季節は流れ、あたたかな、花咲く春になった。
入学式に着ていく、フォーマルなワンピースや、ボレロを選びに行った。
子供服の海を、心優は声をあげて駆け回った。
「静かにして! 遊んでないで、決めなさい!」
と言ったが、服についてくるアクセサリーばかり、心優は欲しがった。ブローチやペンダントは、ギミックの石が光を反射してきらめき、確かにとてもかわいらしかった。
やがて、少し珍しい、ライトグレーのワンピースを、心優は指差した。
「これが、かわいい!」
大きな襟にリボン。腰を絞った、ふんわりしたスカート。
試着すると、心優によく似合っていた。
ついに、入学式の朝が来た。
私はパジャマで眠る心優を起こす。寝起きが悪く、朝はいつも大変だ。
時間をかけてやっと、心優が起きた。
布団には、心優の温もりがの残っていた。
「んあー……」
心が変な声を出した。
しかし、今日は早めに起こしてよかった。
眠たそうな顔に、寝癖。それも、かわいいと感じた。
心優に朝食を食べさせた。
食パンには、心優の好きな、チーズとベーコンを載せて焼いた。熱いので皿に載せて、心優に出した。
香ばしい匂いがした。
「おいしいよ、ママ! いつも、ありがとう」
チーズやパンのかけらを、口に周りにつけ、心優が言った。
食べ終わると、パジャマを脱がせ、今日の日のために買った服を着させた。ボタンを着けてあげようとすると、
「自分でやる!」
と、心優は言い、一つずつボタンを留めた。
髪を梳《と》かし、ピンク色の髪ゴムで髪を二つに結ぶ。
ピカピカのラベンダー色のランドセルをしょわした。黒いシューズも忘れずに履かせる。
どこから見ても、立派な小学生だった。
私と夫も、フォーマルな格好に着替えていた。
これからずっと心優が通うことになる、通学路を三人で歩く。
「この子、ちゃんと、一人で通えるようになるかな?」
「なるよ」
夫が笑った。
「ねぇ、お友達。できるかな?」
心優の関心ごとは、それだった。
たしかに、友人ができるかは、大切なことだと思った。
親としては、勉強ができるか、など、不安はたくさんあった。
小学校の校門の前、入学式と書かれた白い立て看板を見る。ついに、ここまでやってきた。
看板の横で、スマホで心優の写真を何枚か撮る。
周りにも、フォーマルな格好をした親子が何組かいた。
少し、緊張した。
そして。
入学式に参加するため、親と子は席が分かれるため、心優の手を離した。心優が少し不安そうに振り返った。
私は、笑顔で、
「大丈夫、大丈夫」
と言って、心優を送り出したが、一人でも大丈夫か、少し不安だった。
体育館の冷んやりし空気に、参加者たちの声が混ざる。
パイプ椅子の軋む音がした。
新一年生たちは緊張した面持ちだった。
ステージで、校長先生の挨拶が始まった。
「皆さん、入学、おめでとうございます!」
静かな体育館に声が響いた。
子どもたちが少しそわそわする。
思ったより早く終わって、少し拍子抜けする。
今時はこうなんだろうかと、不思議に思う。
自分たちの世代の校長の話しが長かったのは、なんだったんだろう。
次は、担任が紹介された。
「一年間、よろしくお願いします」
若い女性の、優しそうな先生だった。微笑み方が温かくて、安心する。
きっと、心優にいい影響を与えてくれるだろう。
その後、在校生たちからの歓迎の挨拶もあった。
心優は真剣に聞いている。
「僕たち、私たちは、新一年生を歓迎します!」
やがて。
一年生が、名前を呼ばれることになった。
いろんな子の名前が、一人一人呼ばれていく。
保護者席で、心優の名が呼ばれ、返事をする瞬間を、緊張して待った。「心、がんばれよ〜」
夫は、ずっと熱狂的に動画を撮っている。
前の子たちが呼ばれるたびに、鼓動が速くなる。
次だ!
私は、緊張した。
「山下心優!」
一瞬だけ、間があった。
「はい!」
心優は、勢いよく立ち上がり、返事をした。
その声が少し、裏返っていた。
夫が興奮して、「撮ったぞ!」と言った。
私も興奮していた。
すぐに、次の子の名前が呼ばれる。
心優はもう、席に着いている。
──でも、心優が呼ばれた瞬間が忘れられなかった。
「記念写真を撮ります。一年一組から!」
クラス順に。記念者写真を撮ってもらった。心優は、意外と落ち着いている。
「では、子供たちは、教室に移動します」
体育館で、待っている間。
教室の自分の席に座っている、心優を想像した。
うまく、落ち着いて座っていられるだろうか?
少しして、帰宅することになる。
「パパ、ママ。入学式終わったね!」
安心したのか、いつもの元気な心優が、私たちと手を繋いだ。
手を大きく振りながら、みんなで歩いた。
ちょっと、心優は誇らしげだ。
急に手を離して歩き出した、揺れるランドセルの後ろ姿が少しだけ、大人に見える。
「心優、待って!」
「待たないよ! 明日からは、一人で行くんだもん」
「お友達と一緒でも、いいのよ」
「そうなの?」
「むしろその方が安心だな。物騒な世の中だからな!」
走って追いつくと、後ろから心優を抱きしめる。
「きゃ〜! ママ、くすぐったい!」
空を見上げると。
私たちを祝福するような、青空だった。
……大きくなったね。
心優。
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