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リズム感に人生を狂わされた男

男にとって、世界はあまりにも単調な規則性に支配されすぎている。

時計の秒針、踏切の警報音、ウインカーの点滅。

人々はなぜ、あのように等間隔で時間を切り刻むことに安心を覚えるのか。

男には昔からそれが理解できなかった。

等間隔で手を叩き、等間隔で足踏みをし、みんなで同じ波に乗る。

そんな集団の同調圧力が、男の肉体とは決定的に噛み合わなかったのだ。

異常の兆候は、すでに幼稚園の学芸会で現れていた。
園児たちがポンポンを手に持ち、軽快な音楽に合わせて「ウサギのダンス」

を踊る中、男だけが完全に別の空間にいた。

皆が右へ跳ねれば左へ沈みこみ、皆が両手を上げるタイミングで深くしゃがみ込んだ。

その動きはもはやウサギではなく、未知の病原菌と闘う白血球のようだったという。

保護者席はざわつき、後日、担任の保育士は母親に「彼には、私たちとは違う、もっと壮大な音楽が聞こえているのでしょうね」

と、苦し紛れのフォローを入れた。

男自身は、至って真面目にウサギを演じていた。ただ、音楽の「ここだ」というタイミングが、彼の中の「ここだ」とどうしても一致しないだけなのだ。

小学生になっても、その特異な才能は遺憾なく発揮された。
秋の運動会。男は不運にもじゃんけんで負け、赤組の応援団に入らざるを得なくなった。しかも、声が小さいという理由で和太鼓の担当に回されたのだ。

これが大惨事を引き起こした。
応援団長が「フレー、フレー、赤組!」

と声を張り上げ、男が太鼓を叩く。

本来なら「ドン、ドン、ドン」

と等間隔で鳴るべき太鼓が、男のバチにかかると「ドン、ド・ドン、ドドドドドン、ターン」

と、急加速と急ブレーキを繰り返す変則ビートになった。
結果として、入場行進をしていた全校生徒の足並みは乱れに乱れ、赤組の士気は底なし沼のように沈み込んだ。

男は懸命に叩いていた。

彼の中では完璧な三三七拍子だったのだが、外から見ればそれは完全に呪いの儀式だった。

中学生の文化祭で行われたクラス対抗の合唱コンクールでは、彼はカスタネットを任された。

「ただ、サビの頭でシャンと鳴らすだけでいいから」

指揮者の女子はそう言って彼を励ました。

しかし、男は入るタイミングをコンマ数秒見誤り、それを取り戻そうと焦って連打してしまった。

静かなバラードのサビで、突如としてフラメンコのような情熱的なカスタネットが鳴り響いた。

伴奏のピアノは弾き間違え、指揮者の女子はその場で顔を覆って泣き崩れた。

言うまでもなく、クラスは崩壊した。

それ以来、男は学んだ。
自分は決して不真面目なわけではない。ただ、世間の求める一定の拍子というものが、どうしても体に合わないだけなのだ。ならば、戦う必要はない。回避すればいいのだ。

高校、そして大学と、男は「拍子」

が介入しそうな行事を徹底的に避けた。

体育祭、文化祭、新入生歓迎会、カラオケ、音楽ライブ。

そうしたイベントの日には必ず「親戚の法事」や「得体の知れない腹痛」

を理由に当日欠席を決め込んだ。

これは逃げではない。

周囲の平穏を守るための、彼なりの高度な危機管理能力であった。

社会人になってからも、男は波風を立てずに生きていた。
幸い、彼が就いた事務職の仕事にテンポは要求されない。

黙々とパソコンに向かい、自分のペースでデータを入力していればそれで済む。

転勤もなければ、転職を考えるような不満もない、静かな日々だった。

プライベートでも、男は良き理解者を得ていた。数年前に結婚した妻である。
彼女は非常にマイペースな人間で、歩くペースが全く一定ではない。

川沿いの道を散歩する時、男の歩幅と妻の歩幅は決して揃わないのだが、彼女はそれを気にするどころか「なんか、あなたと歩いてると波に乗ってるみたいで面白いわね」

と笑ってくれる。

角の総菜屋で揚げたてのコロッケを買い、二人で少しズレた足音を響かせながら歩く時間は、男にとって至福の無拍子空間だった。

しかし、社会というものは、どこかで必ず牙をむく。
男の勤める部署に、新しい課長が赴任してきたのだ。
この課長が、厄介な癖を持っていた。事あるごとに「よし、じゃあ気合いを入れて一本締めで!」と手を叩かせたがる、典型的な昭和の体育会系だったのである。

男はこれまで、飲み会などの手拍子は「エア手拍子」で乗り切ってきた。
両手を合わせる寸前でわずかにずらし、パチンという音を出さない。周囲の音に紛れ込ませて、いかにも叩いているような顔をする。この秘技によって、男は数々の宴席を無傷で生き抜いてきた。

だが、その日は違った。
部署が手がけた大型プロジェクトの打ち上げ。会場は駅前の古い喫茶店を貸し切ったもので、取引先の重役も数名招かれていた。

宴もたけなわとなり、課長が上機嫌で立ち上がった。

「さて、お開きといく前に! 今回のプロジェクト、裏方として完璧なデータ管理をしてくれた彼に、ぜひ音頭をとってもらいたい!」

課長の指先が、部屋の隅で気配を消していた男を真っ直ぐに指した。

「さあ、景気良く三三七拍子で頼むよ!」

逃げ場はなかった。
妻との平穏な生活のためにも、ここで会社を辞めるわけにはいかない。
男はゆっくりと立ち上がった。周囲の視線が彼に集まる。彼は深く息を吸い込み、両手を胸の前に構えた。

大丈夫だ。落ち着け。三回、三回、七回。それだけのことだ。頭の中で数字を数えればいい。1、2、3。

男は声を出した。

「イヨーオ!」

パチン!

一拍目が鳴った。しかし、男の手のひらは、頭の指令よりもコンマ数秒早く衝突してしまった。

(いかん、早い!)
そう思った男は、二拍目を少し遅らせようとした。その結果、

パチン!……パチン、パ・パチン!

三回叩くはずが、帳尻を合わせようとした手が暴発し、謎の付点音符を生み出した。
会場が「おや?」という空気に包まれる。
男は焦った。次の三回で修正しなければ。
(今度こそ、等間隔で……!)

パ・パチン、ターン! パパパッ!

もはや自分でも何が起きているのかわからなかった。頭の中では「タタタ」と念じているのに、出力される音は「タタ・タ・ターン」というラテン系の裏打ちになってしまう。

そして最後の七回。男はやけくそになった。とにかく七回鳴らせば終わるのだ。

パチン、パ・ターン、タタタ、パチン! タ・タ・タ・ターン!!

それは素数と変拍子が複雑に絡み合う、現代音楽も顔負けの壮絶なビートだった。三三七拍子の面影は微塵もなく、ただ男が奇妙なタイミングで手を打ち鳴らす儀式が終わった。

会場は、水を打ったように静まり返っていた。


男は両手を下ろし、絶望に目を閉じた。終わった。これで明日から、自分は「宴席を前衛芸術でぶち壊した男」として社内で腫れ物扱いされるだろう。

その時だった。

「……素晴らしい!」

沈黙を破ったのは、上座に座っていた取引先の重役だった。
彼は立ち上がり、興奮した面持ちで激しく拍手をした。

「まさか、こんなところで本格的なアフロ・キューバン・リズムと、バルカン半島の変拍子を掛け合わせたポリリズムが聞けるとは! 既存の枠組みに囚われない、実に革新的な三三七拍子だ! 君たちの会社は、型破りな発想を持った素晴らしい人材を抱えているな!」

重役はジャズと前衛音楽の熱狂的な愛好家だったのだ。

重役の絶賛につられ、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

「いやあ、彼にはいつも驚かされますよ!」と課長も調子を合わせて笑っている。

男は呆然としながら、とりあえず軽く頭を下げた。

その夜。
家に帰り、妻と一緒に角の総菜屋で買ったメンチカツをかじりながら、男は事の顛末を話した。

「すごいじゃない。やっぱりあなたって、昔からそういう独自のグルーヴがあるのよね」

妻は楽しそうに笑い、テーブルの上の麦茶を飲んだ。

男はメンチカツを見つめながら、静かに納得していた。
そうだ。自分はおかしいわけではない。ただ、世間の大半の人間よりも、少しばかり高度で複雑なビートを刻んで生きているだけなのだ。

それを理解できる人間が少ないのは、仕方のないことである。

翌朝、男は家を出て駅へと向かった。
彼の足音は、右、左、右、と均等には響かない。トン、ト・トン、タッ、と奇妙なリズムを刻みながら、男は今日も真面目に、自分だけのテンポで町を歩いていく。

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