真新しいスーツの背中に思う、春の電車で感じたやさしい迷い|あいまいな日々に、名前をつけて― 気づきとこころのエッセイ②
4月になると、真新しいスーツに身を包んだ若者を電車で見かけるようになります。

まだどこか垢ぬけなくて、ネクタイの結び目も少しぎこちなくて。
席は空いているのに、スーツにしわが寄るのを気にしているのか、まっすぐ立ったまま。
そして、スマホと路線図を何度も見比べながら、降りる駅を確認している。
……ああ、この感じ。
なんだか春の風みたいに、少しそわそわしていて、少しやさしい。
そんな光景に出会うと、なぜかこちらまで背筋が伸びる気がするのです。
今日もまた一人、見つけました。
ピシッとアイロンのかかったスーツ。
まだ一度も雨に濡れていなさそうな革靴。
少し大きめのビジネスバッグ。
(うんうん、いいねぇ)と、なぜか心の中でうなずく私。
完全に親目線です。
京浜東北線の車内で、その彼をこっそり観察していると、どうも落ち着かない様子。
降りたホームでキョロキョロとあたりを見回し、何かを確認したそうにしている。
すると、発車メロディが鳴った瞬間。
えっ、戻るの?
というタイミングで、さっき降りたはずの電車に、再び乗り込んできました。
……どうやら、迷っている。
そしてしばらくして、ふと気づきます。
あ、これ。
快速運転の罠だ。
平日昼間の京浜東北線は、一部の駅を通過する。
その“通過駅”の存在を、きっと知らなかったのだろう。
彼の表情が、ほんの少し焦りに変わる。
ああ、今、通り過ぎちゃったね……。
私は心の中で、そっとつぶやく。
その後、いくつかの駅を通過して、電車が止まる。
彼は少し早足で降りていった。
そして向かいのホームに滑り込んできた山手線に目を向ける。
あっ、それは……
それに乗ったら、ぐるっと一周コースだよ……!
心の中で叫ぶ私。
でも、声は出ない。

教えてあげたい。
でも、知らないおじさんが突然話しかけるのも、なんだか違う気がする。
「すみません、こっちのほうがいいですよ」
その一言が、どうしても喉の手前で止まってしまう。
ドアが閉まる。
カタン、と軽い音を立てて、電車は動き出す。
ああ、行ってしまった。
私は、ガラス越しに遠ざかるホームを見ながら、なんとも言えない気持ちになる。
助けたかった気持ちと、踏み出せなかった自分と。
どちらも、ちゃんとそこにあって。
どちらが正しかったのかは、結局わからないままです。
春の電車には、こういう“答えの出ない瞬間”が、よく似合う気がします。
新しい環境に飛び込む人も、
それを見守る人も、
みんな少しずつ不器用で、少しずつ遠慮していて。
でも、そのあいだに流れている空気は、どこかやさしい。
みなさんなら、あのとき声をかけますか?
それとも、私みたいに心の中で応援するタイプでしょうか。
どちらが正解、ということでもないのかもしれません。
ただ、その瞬間に「どうしようかな」と迷った自分の気持ちも、きっと大事なものなんだと思います。
やきもきしたまま、私の乗る京浜東北線は次の駅へと進んでいきました。
私は少しだけ苦笑いしながら、
「やっぱり教えてあげたほうが良かったかな」なんて思ったり、
「いやいや、急に話しかけたらびっくりするよな」と思い直したり。
そんなふうに、答えの出ない考えを、電車の揺れにあずけてみる。
きっと彼も、今日ひとつ、都会の電車に慣れたはずです。
少し遠回りしたとしても、それもまた経験。
スーツのしわと一緒に、少しずつ馴染んでいくのだと思います。
だから今日も、どこかの車内で。
真新しいスーツと、少し不安そうな背中を見かけたら、
心の中でそっと応援してみてください。
――その気持ち、ちゃんと届いている気がしますから。

「※SUZURIショップリンク(©MitsurU) を含みます」
添付の商品リンクからSUZURIへ移動していただき、ぜひお買い物をよろしくお願いします♪
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援をお願いいたします!いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!