1ドル162円の国で、僕は値札を見て『安い』と思ってしまった。外から見た日本の静かな傾き
日本に帰ってきて、スーパーで値札を眺めていた。
卵、牛乳、野菜、惣菜。
手に取りながら、僕は「まだ安いな」と感じていた。
ヨーロッパの物価に慣れた目には、日本の店先はどこか懐かしく、優しく見える。
でも、その「安さ」は僕の錯覚だ。
正確に言えば、僕がユーロ側に立っているから、そう見えるだけだ。
同じ棚を、隣で買い物をしている日本のお母さんはどう見ているだろう。
彼女はきっと「また上がった」と思っている。
実際、上がっている。
僕には安く見えるその値札は、この国で円を稼いで暮らす人にとっては、確かに重くなっている。
同じ棚。
違う二つの景色。
その落差が、今回の帰国でいちばん頭に残った。
まず、通貨の話からしたい。
いま、円は1ドル162円あたりで推移している。
この1年で、円は対ドルで145円から162円の間を動き、じりじりと安い方へ張り付いてきた。
数字だけ見るとピンとこないかもしれない。
でも僕にとっては、生活そのものに直結する数字だ。
僕は日本からの収入源もある。
数年前、その円をユーロに換えて暮らそうとしたとき、換えられる額が思ったより少なくて、静かに背筋が寒くなった。
円のまま置いておいたお金は、海外に持ち出した瞬間、目減りしていた。
額面は1円も減っていないのに、外の世界での「買える量」が縮んでいた。
逆から見れば、ドルやユーロを持っている人にとって、いまの日本はバーゲンセールの会場だ。
だから海外からの旅行者が街にあふれ、彼らは平然と高いホテルに泊まり、高い寿司を食べていく。
同じ店で、日本人が値段を見て少し躊躇する横で。
通貨が弱くなるというのは、こういうことだ。
国の中にいると気づきにくい。
外に片足を置いていると、はっきり見える。
次に、物価と給料の話。
日本の消費者物価(生鮮食品を除くコア指数)は、直近で前年比1.6%ほど上がっている。
「たった1.6%か」と思うかもしれない。
問題は、給料がそれに追いついていないことだ。
総務省の家計調査を見ると、ある月の世帯の消費支出は、額面では前年より1.3%増えていた。
でも物価の上昇を差し引いた実質では、マイナス0.4%だった。
つまり、使っている金額は増えているのに、実際に買えているモノは減っている。
働く量は変わらないのに、生活は少しずつやせ細っていく。
一人当たりのGDPも、2026年は前年から0.7%ほど減った。
国全体で見て、一人ひとりが生み出す豊かさが、増えるどころか縮んでいる。
これは根性や努力の問題じゃない。
土台が傾いているという話だ。
そして、構造の話をしないわけにはいかない。
ここがいちばん重い。
日本の食料自給率は、カロリーベースで4割ほどしかない。
食べているものの6割は、海を渡ってやってくる。
ということは、円が安くなるほど、輸入する食料もエネルギーも高くなる。円安と物価高は、別々の問題じゃない。
同じコインの裏表だ。
じゃあ円安を止めるために金利を上げればいいじゃないか、と思う。
でも、そう簡単じゃない。
日本の政府債務は、GDPの2倍を大きく超えている。
金利を上げれば、その巨大な借金の利払いが膨らむ。
だから思い切った利上げもしにくい。
円安を止めたいのに、止める動きが取りづらい。
手足を縛られたまま、水位が上がっていくのを見ているような状態だ。
人の問題も重なる。
2025年も、生まれてくる子どもの数は過去最少を更新した。
働く世代(15〜64歳)は、2010年から2040年にかけて3割近く減ると推計されている。
作る人も、買う人も、支える人も、減っていく。
かつて「モノづくりの国」と呼ばれた日本は、半導体でもAIでも、多くを海外に頼るようになった。
もう一度巻き返そうにも、国内の投資も技術の刷新も、追いつくには時間が足りない。
一つひとつは前から言われてきたことだ。
でも、こうして並べて眺めると、それぞれが互いの足を引っぱり合っているのがよく見える。
最後に、政治の話。
ここは僕がいちばん慎重に書きたいところだ。
滞在中、たまたまテレビで国会中継が流れていた。
僕は数年ぶりにそれをぼんやり眺めていた。
正直に書くと、不思議な気持ちになった。
国民の暮らしを直撃している円安や物価高について、緊急で建設的な議論が交わされているという空気は、あまり感じられなかった。
今すぐ生活に効いてくる話より、優先順位がよくわからない議題に時間が割かれているように、外から来た僕の目には映った。
僕は日本の政治の専門家じゃない。
中に入れば、僕には見えない事情や制約が山ほどあるんだろう。
だから断罪はしたくない。
ただ、ヨーロッパで数年暮らして、市民がデモで声を上げ、政治がそれに反応して急いで議論を組み替えていく様子を見てきた目には、そのスピード感の違いが、どうしても際立って見えた。
救いもある。
日本でも、声を上げる人が確実に増えてきている。
以前より、人が集まって意思を示す光景を見るようになった。
諦めているわけじゃない。
みんな、薄々気づいて、動き始めている。
僕は日本で生まれ、日本で育った。
この国の丁寧さも、静けさも、縁側でお茶を飲むような時間も、心から好きだ。
だからこそ、傾いていく土台を見るのはつらい。
でも、一個人にできることは限られている。
円相場を動かすことも、国の借金を減らすことも、少子化を止めることも、僕にはできない。
国の運命を、僕は変えられない。
僕にできるのは、たった一つ。
自分の生活を、一つの通貨、一つの国だけに預けきらないこと。
これは愛国か、非愛国かという話じゃない。
もっと地味で、現実的な自己防衛の話だ。
僕は数年前から、稼ぐ通貨と資産の置き場所を、意識して分けてきた。
円だけで持たない。
スイスフランやユーロ建ての資産も持つ。
収入の源も、一つの会社や一つの国に縛られない形にした。
住む場所すら、いざとなれば選べるようにしておく。
一つの通貨に全財産を置くというのは、一つの会社の株だけに全額を賭けるのと同じだ。
その会社が強いうちはいい。
でも傾き始めたら、逃げ場がない。国だって同じだ。
「自分の国の通貨だから安全」という感覚は、もう通用しないところまで来ている。
分散は、臆病さじゃない。
冷静さだ。
沈むかもしれない船の上で、僕にできるのは、船を一人で持ち上げることじゃない。
自分と家族の分の浮き輪を、静かに複数用意しておくことだ。
船が持ち直せば、それに越したことはない。
心から、そう願っている。
夕方、実家の縁側に座っていた。
庭のどこかで、ひぐらしが鳴いていた。
母は相変わらず、近所の誰それの話をしている。
この穏やかな時間が、いつまでも続いてほしいと思う。
この国が踏ん張って、もう一度盛り返してほしいと、本気で思う。
でも、願うことと、備えることは、別だ。
願うのはタダだし、いくらでもできる。
ただ、願うだけでは家族の生活は守れない。
だから僕は、願いながら、手は動かしておく。
二つの通貨のあいだに立って、どちらに転んでも大丈夫なように、静かに支度をしておく。
大げさな話じゃない。
船が持ち直すことを祈りながら、浮き輪の空気だけは抜けていないか、ときどき確かめる。
それくらいのことだ。
母がまた、誰かの話を始める。
僕は相槌を打ちながら、この時間がなるべく長く続くといいな、と思っていた。
羊
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10年後、最も価値が上がるスキルは おそらくプログラミングでも英語でもない。
— 羊 (@USStockSheep) March 15, 2026
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