「大学を辞めたい」とFacebookに投稿したら、人生が変わった話
「今まで、自分から色々と行動してキラキラしている人を、意識高い系、イタい人と呼んで、馬鹿にしていた。けれどそれは、嫉妬だった。何もしていない自分を肯定するために、彼らを下に見たかっただけ。本当は、心のどこかで自分もそうなりたいと考えていた」
「日常生活の枠組みを超えて、志の高い仲間と共に何かを新しく作ることは本当に面白いことだと、今は心から断言できる。そして、そういうことをしている人をかっこいいと思える。だから自分も、そうあり続けるために努力するしかない」
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大学1年生の5月、僕は「大学を辞めようと考えています」とFacebookに書き込みました。

内容を要約すると、
・大学でやりたいことがない
・大学の授業がつまらない
・人生で楽しみなことがない
と言った感じです(実際は長文です。要約するとアホに見えますが、本当はもう少し経緯などをちゃんと書いています。今読み返して数えてみたら1800文字でした)。
こうなってしまった原因は、しっかりと悩むことなく、夢や進路を何も決めずに高校から内部進学で大学に行ってしまったことだったと思います。
さて、この投稿をしてから色々な人からメッセージをいただきました。
仲が良かった人から、ほとんど話したことがなかった人まで、30人くらいの人が長文で僕にメッセージを送ってくれました。
当時の自分は、そのメッセージを理解することができるほど頭が整理されていなかったため、うまく咀嚼できずその場限りの返事をしてしまいました。
しかし、自分のことについて親身になって考えてくれる人がいる、といったことが当時の自分にとってすごく励みになったことを覚えています。
そしてそのメッセージをくれた人の人の中に、Y君という人がいました。
彼とは、高校一年生の時に陸上部の見学会で一緒だっただけで(僕は陸上部には入らなかったためそれ以降接点はない)、見かけたらちょっと挨拶をする程度の関係でした。何故かトイレでよく鉢合わせていたのでトイレの印象が強かったです。
そんなトイレ君(Y君)ですが、僕に長文のメッセージをくれました。そしてその長文の最後で、何故か宮城に誘われました。(僕は東京に住んでいます)

「ほとんど話したことのない相手をいきなり宮城に誘うか??」
と驚きましたが、行くことにしました。
何故あの時、いきなり宮城に行くと決断できたかは今でもわかりません。
けれど、この時行く決断をしていなかったら、今の自分は絶対ありません。
宮城県仙台市、女川町の漁師民泊に行く
そして、宮城県に行きました。
深夜バスで、東京から6時間ほど。
待ち合わせの時間までしばらくあったので、近くの日本三景の一つ「松島」などを見ていました。
日本三景と聞いていたので期待していたのですが、実際はただの海でした。
けどそれでも、人生で初めて一人で遠出して見た景色だったそこは、今でも鮮明に覚えています。

さて、待ち合わせの場所に現れたのは、宮城県の女川で漁師民泊を営んでいる漁師のおじいちゃん。
そう、僕はこれから女川の漁師民泊に一泊二日するのです。
トラックの助手席に乗り女川の漁師民泊に着いて、早速お手伝いを始めました。団体客がその日は来ていたので、大忙しでした。結局その日は深夜くらいまで給仕をして、泥のように眠りました。

団体のおじい・おばあ様方との写真。僕は左から五番目。
というわけで記念すべき1日目は、深夜バスに揺られて見知らぬ地、宮城に着いたと思ったら汚い軽トラに乗せられて(失礼)、気付いたら団体客に宮城の海の幸を運んでいたら終わったことになります。

もう何が何だかわかりません。友人にはまだ会えないし。
そして二日目。朝五時前に起こされ、朝食の準備をした後、漁師民泊の女将さんから、人生観についてのお話を聞きました。
そこで聞いた話は、全て今まで聞いたことのないような話でした。
今までの数十年間の苦労、被災したこと、漁師民泊を始めた経緯、先祖のこと。
東京で生まれ、ある程度裕福な家庭で育ち、幼い頃から勉強して私立の大学に通っている「レールの上の人生」の僕とは、全く異なる生き方についての話でした。
その後、漁師民泊を後にし、女川駅で友人Yと会いました。
女川駅は、被災後復興した駅の中でも、劇的な変化を遂げた駅の一つです。

女川駅の展望台からの景色。海に続くように店が並びます
Y君に周辺を案内してもらいながら色々なことを話しました。
具体的に彼のこんな話が良かったとは書けないのですが、とにかく見透かされている気が、こんな凄い同期がいるのかとただ驚いていました。
同じ高校にいたはずなのに、気付きませんでした。
そして、
「こんなに身近の、素敵で面白い人にさえ気づけなかったのなら、この世には今まで自分が敬遠していたけれど本当は凄く面白い人が沢山いるのではないか」
と、気づくことができました。(今思うと当たり前のことですが...)
そうして、様々な気づきを抱えて、僕は東京に帰りました。
東京に帰るバスの中で、
「今まで自分は狭い世界に閉じこもっていた。広い世界を見ようともせず、狭い世界を嘆いていた。これからは、何にでもチャレンジしよう。今回、宮城に行くと決意したように、まずは行動してみよう」
そう考えることができるようになっていました。
思えば、小さい頃はどんなに親に叱られようとも、いろんな遊びをすることが好きでした。何にでも挑戦し、失敗も一杯していました。そのマインドを、もう一度取り戻そうと決意できたのです。
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そうして、今に至ります。
あの宮城旅行から2年間の間に様々なことに挑戦することができました。
福島での二週間の合宿免許、オーストラリア短期留学、パーカー販売、学校祭の模擬店の責任者、ラジオ制作、LINEスタンプ制作、クラウドファンディング、ニュースメディアでのインターン、イベント登壇、ラグビー部で体重を30kg増やす...etc
上記にあげたものは、どれも素敵な友人と全力で取り組んだものばかりです。いずれ記事にします。
大学を辞めようとした自分からは想像できないほど現在の自分はアグレッシブで、現在も様々なことに取り組んでいます。
そのため、友人や後輩に、
「そのモチベーションはどこから湧いてくるのか」
と聞かれることが多々あります。
その時には、宮城県での経験で培った「マインド」について話します。
「今まで、自分から色々と行動してキラキラしている人を、意識高い系、イタい人と呼んで、馬鹿にしていた。けれどそれは、嫉妬だった。何もしていない自分を肯定するために、彼らを下に見たかっただけ。本当は、心のどこかで自分もそうなりたいと考えていた」
「日常生活の枠組みを超えて、志の高い仲間と共に何かを新しく始めることは本当に面白いことだと、今は心から断言できる。そして、そういうことをしている人をかっこいいと思える。だから自分も、そうあり続けるために努力するしかない」
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
