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人生が止まっていた理由に37歳で気づいた



自分のことなんて、どうでもよかった。

未来のことも、まともに考えてこなかった。
安定した仕事に就こうとも思わなかったし、キャリアアップの話を持ちかけられても断った。酒を浴びるように飲んで、その場限りの恋愛をして、笑って、時間を潰した。

「私を本当に必要とする人なんて、いないだろう」

そう思っていたから、友人との関わりも少しずつ減っていった。

だからといって、人生がつまらなかったわけではない。

仕事ではミスもしたけれど、それなりに評価されることもあった。
好きなアーティストのライブには何度も通ったし、旅先で見た景色に心を揺さぶられたこともある。友人と話題の店に行って、くだらないことで笑い転げた夜だってあった。

その瞬間は、ちゃんと楽しかった。

でも、いつもあとに残る感覚があった。

「だから何なんだろう」

楽しいはずなのに、どこか空っぽだった。

私の人生は、一話完結の短編みたいだった。
場面は次々切り替わるのに、物語としてはどこにも向かっていない。

気づけば30代後半。

誇れるものは、何もなかった。
貯金もない。キャリアもない。夢中になれる趣味もない。彼氏も夫もいないし、いざという時に頼れるほど近い友人もいない。

散らかった部屋で、ただ毎日を消費していた。

転機が訪れたのは、2025年の終わりが近づいた頃だった。

独りでいる時間が長いと、不意に昔の記憶が浮かび上がることがある。
その日、突然思い出したのは、高校生の頃の三者面談だった。

私は小さい頃から、ファッションデザイナーに憧れていた。

服が好きだった。
雑誌を眺める時間が好きだった。
「こんな服を作れたらいいな」と考えるだけで、胸が高鳴った。

だから当然、服飾科へ進学するつもりでいた。
三者面談でも、そう話した。

その時、親はこう言った。

「もっと別の道にしたら?」

たった一言だった。

でも、その記憶を思い出した瞬間、私は気づいた。

ああ。
私、あの時、ものすごく悲しかったんだ。

田舎で育った。
保育園から中学まで、ほとんど同じ顔ぶれ。高校も親と同じ学校に進んだ。

地方では、そもそも選択肢が少ない。

だから大学進学は、私にとって初めての「自分で選べる人生」だった。

その選択を、否定された。

もちろん、親に悪気があったわけではないと思う。
食いっぱぐれず、安定した人生を歩いてほしかったのだろう。

その気持ちは理解できる。

でも当時の私は、「夢を否定された」という事実を、うまく処理できなかった。

長い間信じていた未来が、そこで一度終わってしまったのだ。

結局私は、「子どもが好きだから」という理由で、保育科のある大学へ進学した。

望んでいた道ではなかった。
それでも大学生活は驚くほど楽しかった。

自由だった。
友人もできた。
毎日は充実していた。

だから私は、叶わなかった夢のことを、少しずつ忘れていった。

いや、正確には。

忘れたふりをしていた。

未来を思い描けなかった理由は、そこにあった。

自分の本音に蓋をしたまま生きていたから、どこへ向かいたいのか、自分でも分からなくなっていたのだ。

あの三者面談から、約20年。

やっと気づいた。

気づいた瞬間、心がふっと軽くなった。

そうか。

私はずっと、自分の人生を諦めた自分を、許せずにいたんだ。

今さらファッションデザイナーを目指すつもりはない。
でも、もう遅いとも思わない。

認められなくてもいい。
失敗してもいい。

それでも、自分の人生を、自分で選んでいい。

そう思えた。

自分の生活を、自分で創っていこう。
誰かの期待ではなく、自分の意思で生きていこう。

人生80年。

遅すぎるなんてことはない。

37歳の冬。

私はようやく、自分の人生を引き受けた。

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