「感動をありがとう」の裏で、日本は普通に貧乏になった──それでもW杯優勝を掲げるのか
ワールドカップで日本代表が敗退すると、決まって出てくる言葉がある。
「感動をありがとう」
選手たちへの敬意を示す言葉としては分かる。
厳しい大会を戦い抜いた。
強豪国を相手に最後まで諦めなかった。
多くの人に勇気を与えた。
それを否定したいわけではない。
しかし、日本代表が本気で「ワールドカップ優勝」を掲げていたのであれば、敗退後に「よく頑張った」「感動をありがとう」で終わっていいのだろうか。
今大会、日本はブラジルを相手に先制し、接戦に持ち込んだ。
日本が弱かったわけではない。
欧州のトップリーグでプレーする選手は増えた。個人能力も上がった。強豪国を相手にしても、最初から勝負を諦めるような代表ではなくなった。
それでも結果は、また決勝トーナメント初戦敗退だった。
選手たちが本気で優勝を目指していたのであれば、それは「感動的な物語の完結」ではない。
目標に届かなかった失敗である。
選手個人を責めろという話ではない。誹謗中傷と検証は全く違う。
なぜ先制しながら逆転されたのか。
試合の流れが変わったとき、ベンチは適切に修正できたのか。
交代カードは正しかったのか。
90分の中で、どこで攻め、どこで耐え、どこで試合を終わらせるのか。
そこを検証しなければ、敗戦は次の勝利につながらない。
強豪に勝てることと、勝ち上がれることは違う
日本はもう、世界の強豪国に絶対勝てないチームではない。
ドイツに勝った。
スペインに勝った。
ブラジルとも互角に近い試合をした。
一発勝負なら、強豪国を倒す可能性はある。
しかしワールドカップで上位に進むために必要なのは、強豪国に一度勝つことではない。
勝った数日後に、また別の相手を倒すことだ。
48チーム制となった今大会から、ベスト8へ進むにはラウンド32とラウンド16を2試合連続で勝たなければならない。
日本はこれまで、ワールドカップの決勝トーナメントで一度も勝っていない。
それなのに、次は二つ勝たなければベスト8に届かない。
今大会を見ていても、日本が決勝トーナメントを2試合以上連続で勝てるヴィジョンは、私にはほとんど見えなかった。
一つ勝てる可能性はある。
しかし、その次も勝てるのか。
相手が変わったとき、ゲームプランを作り直せるのか。
主力が不調でも勝てるのか。
延長戦になっても、その次の試合へ進めるのか。
日本は「強豪国と戦える国」にはなった。
だが、まだ「ワールドカップを勝ち上がれる国」にはなっていない。
親善試合で何勝しても、それだけでは意味がない
これから日本代表が親善試合でどれだけ強豪国に勝っても、それだけで「日本は世界トップクラスになった」と扱うべきではないと思う。
親善試合には意味がある。
新戦力を試す。
戦術を試す。
強豪国との距離を測る。
しかし、
「強豪国に勝利」
「FIFAランキング上昇」
「史上最強の日本代表」
「世界が日本を警戒」
そんな見出しを何度積み重ねても、ワールドカップの決勝トーナメントで負ければ終わる。
親善試合は、本大会で勝つための準備にすぎない。
評価すべきなのは、誰に勝ったかではない。
ワールドカップの決勝トーナメントで、何試合勝ったか。
そこだけでいい。
優勝を掲げるなら、世界最高水準の人事を考えるべきだ
だからこそ、次の監督選びは重要になる。
日本人監督でも外国人監督でもいい。
問題は国籍ではない。
この監督で、決勝トーナメントを2試合、3試合と勝ち抜けるヴィジョンを描けるのか。
その一点で選ぶべきだ。
しかし、日本でバルベルデ級の外国人監督の名前を出すと、すぐに言われる。
「そんな金はない」
「現実を見ろ」
「外国人監督は高すぎる」
「日本人監督で十分だ」
もちろん、高額な監督を呼べば必ず勝てるわけではない。
しかし、世界一を目標に掲げながら、世界トップクラスの監督を検討すること自体が「非現実的」とされるのであれば、そもそも目標と手段が噛み合っていない。

バルベルデ級に断られた。
複数の欧州トップ監督に条件を聞いた。
スタッフ込みでは予算が合わなかった。
その結果、日本人監督になった。
それなら理解できる。
しかし、最初から国内の人脈と従来の予算枠だけで決めるのであれば、「ワールドカップ優勝」という言葉はかなり空虚になる。
結局、日本は普通に貧乏になった
かなり身も蓋もない言い方をすれば、今回の話の根底にあるのは、
「日本って、普通に貧乏になったんだな」
という現実なのかもしれない。
日本代表の選手たちは世界に近づいた。
欧州のトップクラブで戦う選手も増えた。
しかし、代表を支える側の経済力は、世界のインフレについていけていない。
放映権料が高騰すれば、重要なワールドカップの試合さえ地上波で見られない。
優秀な外国人監督を呼ぼうとしても、欧州だけでなく中東のクラブや代表とも資金面で競争しなければならない。
トップ選手もトップ監督も、世界市場で価格が上がり続けている。
日本が突然何もできなくなったというより、世界の価格についていけなくなったのだ。
だから「感動をありがとう」という言葉ともつながってくる。
金は出せない。
世界最高水準の環境も用意できない。
しかし選手には世界一を目指してほしい。
そして負けたら「感動をありがとう」で終わる。
それでは、あまりにも選手側に夢と責任を背負わせすぎではないか。
選手たちが本気で優勝を掲げたのであれば、JFAも、日本サッカー界も、同じだけの覚悟を示す必要がある。
監督人事に投資する。
分析部門を強化する。
世界トップレベルとの強化試合を組む。
代表だけでなく、育成や指導者教育にも金を使う。
そこまでやって初めて「優勝を目指す」と言える。
それができないのであれば、
「今の日本には、世界一を目指すために必要な経済的・組織的余力が足りない」
と正直に認めるところから始めてもいい。
それは敗北主義ではない。
現在地を確認するということだ。
感動ではなく、結果と投資で語る段階へ
日本代表は、もうワールドカップに出場しただけで称賛される国ではない。
強豪国と接戦をしただけで満足する段階でもない。
だからこそ、敗退を美談にして終わらせてはいけない。
一つも勝っていないなら、まず一つ勝つ。
ベスト8を目指すなら、二つ勝つ。
優勝を目指すなら、五つ勝つ。
感動は結果の後についてくるものであって、結果の代わりにはならない。
そして、結果を求めるなら、それに見合う投資も必要になる。
日本代表の選手たちは世界に近づいた。
しかし、日本という国とサッカーを支える側が、世界の価格と競争についていけなくなっている。
そこを無視して、選手にだけ「世界一」を背負わせるのは無責任だ。
「感動をありがとう」で終わる国は、敗戦を次の勝利に変えられない。
そして、
金を出さず、仕組みも変えず、それでも優勝だけを求める国も、ワールドカップでは勝てない。
今の日本サッカーに必要なのは、優しい拍手だけではない。
自分たちがどこまで貧しくなり、何に投資できなくなったのかを直視すること。
そのうえで、それでも本当に世界一を目指すのかを問い直すことだ。
#サッカー日本代表
#SAMURAIBLUE
#FIFAワールドカップ
#日本サッカー
#森保ジャパン
#JFA
#サッカー戦術
