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大好きな『ショッピングセンター』の会社、やめてくる。


「帰りたい。」


隣で寝転がっている彼氏が、「まだ行ってないよ」と言う。

そう、まだ職場に着いていないどころか、家を出発すらしていない。なんならやっとベッドから身を起こしたところだ。

自分でも何を言っているのかわからない。でも、家にいるのに「帰りたい。」


今日もやりたくないことを8時間もしなければならない。

メールが山のように溜まっている。取引先や他部署の人が、あれしてこれしてと言ってくる。

一つひとつは、それほど難しい内容ではない。
それに今考えたって状況は変わらない。脳みそから追い出したいのに、頭の中をずっとぐるぐると回っている。


ファンデーションを肌に叩き、眉をかく。顔の下半身はマスクで隠す。会社員として外に出られる最低限のメイクをしながら、このまま家で仕事ができたらどんなに良いだろうかと想像する。


この時間を削れるのに、と。


寝癖がわからない程度に髪を整える。天気予報をチェックして、寒かったり暑かったりせず、なるべく楽に動ける服に袖を通す。

デッドラインの8時35分が訪れてしまい、急かされるように家を飛び出す。


電車の中でふと目線を上げ、まだあと3駅はあると安堵する。一駅ずつ駒を進めるたびに、憂鬱が増す。


ショッピングセンター業界で働くことが夢だったのに。
休みの日まで視察に行くほど『ショッピングセンター』が大好きなのに。
こんなにショッピングセンター業界にふさわしい人はいないって自負していたのに。
周りからも「ショッピングセンター業界にぴったりだね」って言われていたのに。


もう、限界だ。
仕事に、行きたくない。



行かなければならないのはわかっている。

昔からどんなに辛くても休んだことはなかった。インフルエンザや胃腸炎にでもならない限り、学校も仕事も毎日ちゃんと行っていた。

ズル休みなんてしない。絶対にサボらない。行くのは確定している。


世の中の人は、どうやって働いているのだろう?週に5日も、1日に8時間もやりたくないことをやって平気なのだろうか?


もう、無理だ。こんな耐え忍ぶだけの毎日は、もう、やめたい。

仕事は楽しいのだと知った。

地元である九州の大学を卒業して、大好きなショッピングセンター業界の門を叩いた。

最初の配属では九州の大型のショッピングセンターに常駐することに。全国転勤の会社だが、たまたま地元の九州に配属された。主な業務は、来館客数や買上の増加を狙って、お客様に楽しんでいただける企画を考えること。


学生時代は、社会人なんて毎日生気のない顔で電車に揺られて、嫌々働くものだと本気で思っていた。みんな表では仕事が楽しいって仮面をかぶっていても、本心では嫌に決まっていると思っていた。

そんなイメージは良い意味で裏切られた。

テナントさんとコミュニケーションを取って、新しい知識をたくさん得て、どうやったら売り上げが上がるか試行錯誤して。OJTと「早く帰りたい」って談笑しながら残業して飲みに行って。

毎日が楽しいとまでは言わないけど「社会人も良いもんだな」と感じた。

OJTは社内でも超がつくほど優秀で、仕事ぶりには尊敬の念しか抱いていなかったが、お酒の飲み方がとち狂っていた。東京の有名私立の飲みサーのサークル長だったOJTから、飲み会のコールもしっかり叩き込まれた。

そんなOJTを筆頭に若手たちで私の同期の家に集まって、アレクサで音楽を流しながら踊り狂って飲んでいた。LINEのグループ名は「今夜はアレクサパーリーヤー」だった。

夏はスイカ割りを、冬には豆まきをした。部屋の中で。同期よ、あのときはごめん。


そんな少々ネジの外れた先輩や同期たちも、みんな職場では優秀だった。

「残業減らせって言う割に求めるレベル高すぎ」なんてぶつくさ言いながらも、熱意のある人たちと意見を交わして創造的な仕事をするのは楽しかった。

「仕事は楽しく」が口グセの上司に恵まれたのも大きい。


何より、就活時に夢見ていた「多種多様な人々が楽しめる空間をつくる」ことができていると感じられる瞬間があった。

一からイベントを企画して、朝からたくさんのお客様が来てくださって、楽しんでいる姿を見たときに込み上げた思いは一生忘れない。

「私はこれを叶えたかったんだ」
と感じた。


尊敬する上司、先輩たちと、やりがいのある仕事。恵まれた環境だった。

でも、一つの疑問が浮かんでいた。


「ずっとここにいていいの?」と。


職場は、九州の田舎にあった。駅から職場であるショッピングセンターまで田んぼの横を通りながら、「ずっとこんな田舎で働いていて良いの?」と自問自答する日々。


私は、「東京に行きたい」という夢を抱いていた。

小さい頃から「まち」への興味が強く、とりわけ東京のまちが好きだった。
ひとつ駅が違えば全然違う顔を見せる東京のまちが好き。
東京に来ると、胸の高まりが止まらない。
どうしようもなく、わくわくしていた。

なんてかっこつけたことも嘘ではないけど、本心では東京の超高層ビルで働くかっこいい女性になりたかった。おしゃれな服を着て、おしゃれなオフィスで働いて、お昼休みはおしゃれなランチをして。

田舎もんの憧れである。あちこちから「イタイな」なんて声が飛んできそうだ。

大学進学のときは親に「地元に残れ」と言われて上京を断念。就活時は「やりたいこと」を優先した結果、全国転勤の会社に入り九州配属に。

二度も上京チャンスを逃していたことで、「東京」への思いが募っていたのだ。

加えて、残業が多いことに嫌気が差し始めていた。仕事にはやりがいを感じていたが、東京で残業せずにさっさと帰ってプライベートを充実させるような生活に憧れていた。


そのためには転職しなければならない。この会社は全国転勤で希望も通りにくく、東京で働ける可能性は低いから。

こんなに恵まれた職場から離れて良いのかと、悩みすぎておかしくなりそうなほど悩んだ。大好きな上司や先輩たちと離れていいのかと。

でも、同僚たちは異動や転職でいなくなってしまう可能性がある。

新しい世界に踏み出してみたい。やりたいことがあるなら、若いうちにやった方が良い。


東京に行くと決めた。


東京で働くことが目的だったから、次の会社はショッピングセンター業界でなくても良いと考えていた。

しかし転職活動を始めたところ、他業界だと年収が著しく下がると判明。それであれば、やはり大好きなショッピングセンター業界にしようと思った。

今回の一番の目的は「東京で働くこと」である。

仕事は東京で憧れのキラキラした生活を送るための手段と割り切り、仕事内容には重きを置かず、東京で働けるショッピングセンター業界の会社を軸に転職活動を開始。

数社の面接を経て、東京勤務、転勤なし、残業なしの会社への入社が無事に決まった。

大好きな『ショッピングセンター』の仕事をしているのに。

新しい職場は、東京でも有数の高層ビルに入っていた。ショッピングセンターに常駐するのではなく、東京の本社で働ける会社。初出社の日にビルを見上げて、「ここが私の職場か」とスマホのシャッターを切った自分の姿が今でも鮮明に浮かぶ。

憧れていた東京での生活。

恵比寿、渋谷、六本木、中目黒、表参道、新宿、上野、新橋、銀座…片っ端から東京のまちを満喫した。

定時で帰って友人と飲みに行ったり、ゴルフの社会人サークルに通ってみたり。九州では出会ったことのないような経歴や仕事や収入の人にもたくさん会った。

胸が高鳴って、楽しくて、仕方がなかった。

毎日OLっぽいタイトな服に身を包み、隅々まで化粧をして出社していた。超高層ビルの職場に出社するだけで気分が上がっていた。家族や友人からも、「そんな場所で働いているなんてすごいね!」と言ってもらえた。

思い描いていた憧れの東京生活が叶ったのだ。


ところが仕事は楽しくなかった。


前職と違い、日用品を買う小型のショッピングセンターを運営管理する仕事。休日にファミリーで遊びに来るような施設ではないため、お客様に楽しんでもらうためのイベントを企画することもなかった。

ショッピングセンターにおいて「多種多様な人々が楽しめる企画を考える」ことは必要とされず、「発生した問題に対処して現状維持する」ことが求められた。


そこで気づいた。


『ショッピングセンター』が好き。
お正月に一人で視察に行くほど『ショッピングセンター』が好き。
ショッピングセンターにおいて「多種多様な人々が楽しめる企画を考える」ことも好き。
ショッピングセンターを「視察する」ことも好き。
ショッピングセンターについて「考察する」ことも好き。
ショッピングセンターについて「書く」ことも好き。


でも、ショッピングセンターにおいて「発生した問題に対処して現状維持する」ことは好きではなかったのだ。やりがいも感じない。それどころか、ただ起きたことに対処するのは非常に苦痛だ。

『ショッピングセンター』という名詞だけで仕事を選んだからこうなった。仕事を選ぶときは「〇〇する」ことが好きと、動詞まで考えるべきだった。


何をすることが好きかは人によって違う。

私はショッピングセンターにおいて「多種多様な人々が楽しめる企画を考える」ことが好き。でも企画を考えることは苦痛でやりたくなくて、「維持管理する」方が好きな人や「トラブルや問題を解決する」ことに面白みを感じる人もいるだろう。

『▲▲(名詞)』が好きではなく、「〇〇する(動詞)」ことが好きというように、動詞の方が仕事選びにおいては重要なのだ。

もちろん、仕事においてすべてを好きな動詞で満たすのは難しいだろう。好きな動詞の仕事の中で、苦手な動詞の仕事も出てくる。仕事として価値を提供して対価を得るには、好きな動詞だけをやってはいられない。

でも、仕事において大部分を占めることや主たる目的となることが、好きな動詞だったら。

きっと自分らしく働けるのではないか。たまには「疲れた」とか「休みたい」とか感じることがあっても、「仕事が楽しい」と思えるのではないか。

「私はこの仕事をしている」と誇りを持てるのではないか。


もともと「仕事は東京で生きていくための手段」と割り切って、業務内容は重視せずに会社を選んだ。でも働いてみて、いくら仕事は手段だからって、1日8時間、週に5日もやりたくないことを続けるのは想像以上に苦痛だった。

それに、「現状維持する」仕事は簡単で誰にでもできる。自分の能力を無駄にしていると感じていた。

平日にやりたくない誰にでもできる、ショッピングセンターで「発生した問題に対処して現状維持する」仕事をして、休日にショッピングセンターを「視察する」とかショッピングセンターについて「書く」とか好きなことをする。

「明日からまた1週間が始まってしまう…」
「月曜日はしんどい」
「まだ火曜日か」
「今日がまだ水曜日なんておかしい」
「ようやく木曜日だ」
「やっと今週も終わった」

そうやって毎朝絶望して、我慢して、一日一日を耐え忍んで生きている。やっぱり、1日8時間、週に5日間も割くのだから、好きな動詞を仕事にしたい。


私は昔から「書く」ことが好きだ。

就活しているとき、「書く」ことができる会社も候補だった。しかしそのときは、ショッピングセンターにおいて「多種多様な人々が楽しめる空間をつくる」ことの方がやりたかった。だから、ショッピングセンター業界の会社に入った。

転職してやりたい仕事ができなくなってから、副業でライターを始めた。

書いていると時間を忘れられる。夢中になれる。自分の能力を生かせている実感が持てる。「書く」ことは楽しい。

「書く」人になりたいという夢の輪郭が徐々にくっきりと浮かび上がってきた。


東京の超高層ビルで働くかっこいい女性になる夢は、転職、上京して叶った。

今では、決まった時間、決まった場所に出社することに強い疑問を抱いている。

「成果さえ出していればどこで何しても良くない?」
「家で仕事した方が、通勤時間も削れて効率的だし」と。

やりたくないことをやるためにわざわざ出社する。私の気力はガリガリと削り取られ、気づけばマスクを使って化粧をサボり、なるべく楽な服を選ぶようになっていた。


働く場所と時間を自由に選べるフリーランスになりたいと切望するようになった。


それでも、会社をやめる決断ができずにいた。

「休日の楽しみのために仕事を頑張るのは当たり前だ」
「みんなそうしている」
「自分を甘やかしているのではないか」
「やめても稼げるのか」
「やめていつか後悔しないか」

「会社をやめるのは逃げなのではないか」

そんな風に感じて、逃げるなんて自分らしくないと、一歩踏み出せずにいた。

覚悟が決まったのは。

やめる覚悟ができずに、副業ライターで実績を積むこと2年半。あることに気づいた。

「なぜ等級が高い30代の人と同じ量・質の業務が割り振られているの?」
「むしろ20代の私の方が業務の量が多く、質も高いのになんで等級も給料も低いの?」

やりたくない仕事をやっていたわけだが、1社目で優秀な先輩たちに育ててもらったおかげでシゴデキであった。

急に自慢してしまったが、人事評価で毎年トップレベルを取っていたから自分の思い込みではない。担当案件の数から定量的にも、上位等級の先輩よりも業務量が多いのは明らかだった。やりたくないながらもちゃんと仕事はやっていたのだ。


「等級・給与=業務の量・質」となるように、業務を割り振ってほしい。もしくは上位等級と同じかそれ以上の仕事をしているのだから、等級をあげてほしい。

そんな風に人事や上司に度々訴えていた。


去年の人事評価の結果もトップレベルだった。
3年連続のトップである。さすがに昇格するだろうと期待していた。

ところが上司から、
「上位等級には上げられない」
と言われた。

びっくり仰天である。

理由はこうだった。
「能力は認めている」
「会社にとって必要な存在だ」
「でも今の年齢では上げられない」
「イレギュラーをつくれない」
「懲りずに頑張ってほしい」

つまり、私がどれだけ仕事をやろうがやらまいが、昇格できないことは最初から決まっていたのだ。年齢を理由に。


「好きだけど付き合えない」と言う男を思い出した。


やめようと覚悟ができた。会社の判断には甚だ納得いかなかったが、「覚悟を決めさせてくれてありがとう」と思った。


昇格させられないと告げられて1週間もしないうちに退職を申し出た。

「期待に応えられなくてごめんね」
「残念だけど、幸せになってね」

円満に別れるカップルみたいだった。

大好きな『ショッピングセンター』の会社、やめてくる。

東京での暮らしを楽しみたいから「仕事は手段」と考え、東京で働ける残業のない会社に転職した。

でも、いくら手段であっても1日8時間、週に5日もやりたくないことをやるのは苦痛だと気づいた。好きな動詞を仕事にするべきだと。

私の場合、「発生した問題に対処して現状維持する」仕事が苦痛だった。

会社が悪いのではない。この仕事が自分に合わないと判断できなかった、そもそも仕事内容に重きをおかずに会社を選んだ私の責任だ。

やりたくない仕事中でも得られるものや学びはあった。人事評価は納得できなかったが、働かせてもらえたことを会社には感謝している。

東京の超高層ビルで働きたいという願望も叶った。叶った結果、働く場所と時間を柔軟に選びたいと考えるようになった。


会社をやめるのはとても怖かった。「逃げなのではないか」と悩んだ。

今ではこう考えている。逃げなのではなく、方向転換するだけだと。

やりたいことは変わるものだ。
変わったら自由に環境を選んで良い。
働きたい場所だって変わって良い。
仕方ないと自分の気持ちを誤魔化し続けて、我慢し続けなくて良い。


一貫性がないと言う人もいるかもしれない。わがままだと感じる人もいるかもしれない。

でも、私の人生だから。やりたいように生きてみる。


私は「書く」ことが好きだ。「書く」ことを仕事にしたい。

好きな動詞で簡単に稼げるほど世の中甘くはないけど、「書く」ことで生きている人がいる。

それであれば私にできない理由はない。努力する覚悟、揺るがない決心は持っている。大好きなショッピングセンターやまちづくりについて「書く」ことを仕事にしたい。

ライターを生業にしたい。


だから、大好きな『ショッピングセンター』の会社、やめてくる。

あとがき

1社目でお酒を酌み交わし仕事で切磋琢磨していた先輩や同期たちは、転勤で散り散りになってしまったが、各々の場所で前進し続けている。

上司も交えて、今でも年に1回は集まって飲んでいる。みんな結婚や出産ですっかり丸くなり家で踊り狂うことはなくなったが。

そんな上司や先輩たちに、「書く人になりたいから会社をやめる」と伝えたところ、「お前らしいな」と言われた。

1社目をやめるときも、あたたかく送り出し、背中を押してくれた。

『何年経っても集まりに呼んでくれて、私の選択を応援してくれる上司や先輩たち』が大好きだ。


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坪川うた|ライター・ショッピングセンター研究家 「読んで良かった!」と思っていただけたら、ぜひ応援をお願いします!いただいたチップは、より良い記事を書くためのインプットに使わせていただきます◎!