見出し画像

近代天皇制に関する考察(前編)


天皇制国家主義の特徴

天皇を頂点とする国家を絶対視する思想

 戦前における日本の近代天皇制は、天皇を頂点とした国家有機体説に基づく国家主義であり、そこには国家を相対化する思想は存在し得なかった。それは、当時インテリ中のインテリであった、戦没者学生である林尹夫が明治維新を国民精神の発露であると評し、(※1)国家があって国民があるとする発想であったことからもうかがい知ることができる。中国人との交流を通じ国家を相対化できたエスペランティストの長谷川テル(※2)や、天皇制に徹底して抗するべく朝鮮人とともに行動をし、天皇制国家を転覆しようとしたと国家にみなされ、大逆罪によって最後自殺に追い込まれた金子文子(※3)のような存在は、例外であると言っていいだろう。

 では、戦前の日本の天皇制を巡る状況はどういったものなのだろうか。天皇制廃止論者である菅孝行は、天皇制の語源の由来と当時の状況について次のように述べる。

 天皇制がはじめて天皇制と呼ばれたのは、天皇制否定論者によってである。具体的には1927年コミンテルンの日本に関するテーゼにおいて、はじめて「天皇制」ということばが用いられた。君主制とか王権とかいった、一般的呼称でなく、ちょうどロシア帝政をツァーリズムと呼ぶように、天皇制の名を用いることを、コミンテルンの幹部が、日本代表に強く求めたのだといわれている。しかし、この呼称が公然と合法的に適用するに至るのは1945年、第2次世界大戦の終結後のことである。
 では、現存する政治体制を人々は何と呼んでいたか。その呼び名は「国体」である。国体ということばは、国家のしくみの根本のことを意味しているだけでなく、国民が国家を対象化すること、批判することを禁ずる、という性格を持っていた。(略)
 日本の国体が万古不易(筆者注:永久に変わらないこと。また、そのようすを指す言葉)、万邦無比(筆者注:全ての国の中でも、比べることができるものがいないほどにすぐれていること)といわれる点は何かというとーいうまでもなくそれは事実に反する(略)ー日本民族が、天皇一族の子孫であるという点にある。祖霊をまつることはおのずから皇祖神をまつることとされ、地域ごとの神社の神々はみな、天皇一族の祖先という位置づけを与えられたのである。
 国体論は、このような荒唐無稽の論を、あれこれとあげつらい、天皇制国家の絶対性と、国民と天皇の一体性とを謳歌するものであった。

菅孝行 「天皇制」 P132~P133 現代書館

菅の引用部分補足をすると、近代天皇制は日本民族は天皇家の子孫という構造を採っているため、天皇家に近い血筋や、天皇との距離が近い重臣、高官になるほど、地位としては重くなるという、ヒエラルキーの構造にあった。(※4)そして、引用箇所でも触れているように以上の体制を否定はもちろん、相対化することすらも排除される社会であったという点で、近代天皇制の特徴が極めて国家主義的でイデオロギッシュな側面を強く持っていたのかということがわかるだろう。

自由民権運動の限界

 では、天皇制国家に対し、民意の反映を求めるべく議会設置、憲法制定を求めた自由民権運動の性質はどういったものだったのだろうか。丸山眞男は近代天皇制の国家体制を、国家の中立的性格を表明することもなく、内容的価値の実体であることにどこまでも自己の支配根拠を置き、権威と権力が一体化した体制と評した上で、自由民権運動の限界を次のように述べている。

 自由民権運動が華々しく抬頭したが、この民権論とこれに対して「陸軍及び警視の勢威を左右に堤けげ凛然として下に臨み民心をして戦慄」(岩倉建議)せしめんとした在朝者との抗争は、真理や正義の内容的価値の決定を争ったのではなく、「上君権を定め下民権を限り」といわれるように、もっぱら個人乃至国民の外部的(注:原文は´。以下同じ)活動の範囲と境界をめぐっての争いであった。凡そ近代的人格の前提たる道徳の内面化の問題が自由民権運動に於ていかに軽々に片付づけられていたかは、かの自由党の闘将河野広中が自らの思想的革命の動機を語っている一文によく現れている。(河野の引用部分略)
 (筆者注:河野には)主体的自由の確立の途上に於て真先に対決されるべき「忠孝」観念が、そこでは最初からいとも簡単に考慮から「除」かれており、しかもそのことについてなんらの問題性も意識されていないのである。このような「民権」論がやがてそれが最初から随伴した「国権」論のなかに埋没したのは必然であった。(原文では引用部がカタカナであったり、促音が大文字であったが読みやすさを優先して変えている。以下同じ)

丸山眞男 「超国家主義の論理と心理」 P14~P15 「増補版 現代政治の思想と行動」 未来社

丸山は、自由民権運動の当事者たちが、天皇および天皇制国家のイデオロギーに何も疑念を抱かない状況で、自由民権を唱えていたに過ぎなかったことを指摘している。ここからすれば、天皇制そのものを相対化するという発想それ自体が戦前においては最初からほぼ存在しない状況にあったと言っていいだろう。

 このような国家体制による政治はどのような結果になるのだろうか。次回も、引き続き丸山眞男の考察を中心に近代天皇制について、皆さんと一緒に考えて参りたい。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1)

(※2) 

(※3)

山田昭次 「金子文子――自己・天皇制国家・朝鮮人」 影書房

(※4) 丸山眞男 「超国家主義の論理と心理」 P21 「増補版 現代政治の思想と行動」未来社

いいなと思ったら応援しよう!

宴は終わったが サポートいただいたお金については、noteの記事の質を高めるための文献費などに使わせていただきたくよろしくお願い申し上げます。