台湾に関する雑感
今年1月に台湾の総統選挙が行われましたが、総統選挙を巡っては日本国内の報道は対中国との関係からのスタンスという戦略論的な見地での傾向が強く語られてきた感があります。また、台湾についてはいわゆる「親」日という傾向で語られていますが、私たちは台湾を本当に理解していると言えるでしょうか。
そんなことから、台湾について学ぶことが必要ではないかという想いにかられました。そこで今回は、台湾について学んでいくにあたっての私のスタンスを中心に述べるとともに、皆さんと一緒に考えて参りたいと思います。
イントロダクション
台湾「親」日論神話
台湾に対してはよく親日であるとよく言われる。それは、中国、韓国の「反」日であるとして、それらとの対比で表現されることが多い。
現在においては、司馬遼太郎の「台湾紀行」、小林よしのりの「台湾論」に見られるような日本の植民地支配を評価する形を通して、台湾の世論が植民地支配に感謝をしているとの親日論は、近年において台湾研究が進んだことや、世代交代から表立っては見られなくはなった。だが、中国への侵略戦争における人権侵害、韓国における植民地支配の人権侵害をめぐる日本の問題点を指摘する声に耳を塞ぎたいという想いが台湾「親」日論という神話の一因となっている傾向があることは否めない。
台湾に対する進歩的文化人、知識人のバイアス
台湾に対するこうした誤った見方が根強いのには、台湾が長らく戒厳令下におかれ、台湾それ自体に対する研究を自由に行えなず、台湾の人々の正確な声を理解できなかったこともある。だが、同時に日本の進歩的文化人、知識人の台湾に対する見解に問題があったことは否めない。
若林正丈は、台湾に対する関心がなかった状況について、二つの理由を挙げる。一つはニクソン訪中、中華民国の国連追放、日中国交(日華断交)など、中華人民共和国を国際社会が認めた状況が、台湾問題も解決したというムードがあったからとしている。(※1)もう一つは1950年代から70年代にかけての左派志向に合った日本のインテリの中にある台湾認識に問題があったのではないかとしている。(※2)若林は中国共産党の中国革命を評価する一方、台湾にある国民政府(※3)は反革命、反動の政府であり、台湾は反革命、反動の政府に過ぎない島でしかないという認識だったという。そんな状況にあって、当時台湾の留学生として日本に来ていた戴国煇は、日本のインテリに対して次のように反論したという。
「君たちは口を開けば人民、人民というが、では蒋介石反動派の支配する台湾には、君たちが言うところの人民はいないというのか」。
このエピソードを戴から聞いたとき、若林は「反動派の支配下のまさに苦難の中にあるはずの台湾の人民の存在は視野に入れなくてもかなわない」という意識が自分自身にもあったような気がしたとして、内心ドキッとしたという。(※4)若林は、台湾に現に住んでいる人たちを軽視していた傾向を次のように評価している。
台湾の外側にいる政治主体ないし言動主体がそれぞれのロジックにおいて期待する歴史行程の中の残余的存在として台湾をみる(略)1970年代初頭の日中国交樹立達成の外交的ユーフォリア(「日中友好」)の中で共鳴しあっていたとも言える。(原文は年号は漢数字)
また、太田昌国は台湾の女性留学生劉彩品(リュウツアイピン)の以下のエピソードを紹介している。劉は、当時の国民政府の台湾人留学生帰国後の拷問、死刑求刑への反発、抗議をしており、日本の法務省から無国籍としての在留許可を提案されても、敢えて中華民国ではなく、中華人民共和国を自身の故郷とするとして、日中国交樹立、ニクソン訪中の1年前の1971年に大陸中国に渡った人物である。その劉が、1996年の台湾総統選挙で、中国が台湾近海にミサイルを発射するなどの威嚇行為に対し、1996年3月22日付の朝日新聞にミサイルでの威嚇が台湾の人々の怖いと思っているに違いないとし、なぜ台湾独立論の声があるのか中国指導層は考えるべきと語った。太田は劉の心情、理念を十分理解してこなかった日本の文化人、知識人について次のように評する。
中国革命の「変質」の過程が映し出されているのみならず、台湾を「好ましからざる政権の統治する地域」として関心の対象から外し、「奇妙な無関心」(いずれも若林正丈の言葉)のエアポケットにおいていた、<戦後左翼>あるいは<進歩派>としての私たちの25年間の姿も投影されているように思える。(原文は数字は漢数字)
その上で、小林よしのりの「台湾論」は文化人、知識人の台湾を軽んじる姿勢を巧みに占領しているとして、日本の進歩的文化人、知識人が台湾に現に生活している人々への無理解が小林よしのり「台湾論」の背景にあるのではないかとしている。
小林よしのり「台湾論」自体は、台湾人従軍慰安婦の実態や人権を軽んじる姿勢をはじめとした歴史修正主義の問題性が台湾で指摘され、強い批判と抗議が起きた。(※5)
ただ、小林よしのり「台湾論」はもちろん、司馬遼太郎「台湾紀行」の台湾植民地支配肯定論が日本でまかり通り続けた背景には、やはり台湾の人々を無視する形で、やがて台湾は中国(=中華人民共和国)の統治になれば、問題は解決するといった日本の進歩的な文化人、知識人のナイーブな台湾観も一因となっているだろう。生活実感のない論理を展開するのは進歩、保守を問わず、日本の文化人、知識人の傾向ではある。ここからは、日本本土以外の琉球=沖縄を含めた極東アジアにある朝鮮半島、台湾などの冷戦による軍政、圧政の苦しみの中で葛藤してきた文化人、知識人との違いを改めて感じさせる。ただ、台湾については戴国煇はもちろん、台湾人留学生の論文が東京大学出版会から刊行されており(※6)、当時戒厳令下の台湾を十分理解できないという制約はあったにしても、日本の進歩的文化人、知識人がサロン的な姿勢でのみ中国、台湾を認識できていなかった感は否めない。
現に生活をしている人々を知る姿勢を
以上、台湾に対するまとまりのない想いを長々と述べてきた。そこで感じたことは、私たちはあまりにも台湾を理解していないにもかかわらず、わかったつもりでい続けてきたのではないか。同じ隣国である韓国とは別の意味での無理解をどう認識するか、台湾を理解する場合にはその無理解をどう認識するかから始めるべきだろう。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
脚注
(※1) 若林正丈「台湾の半世紀」 P21 筑摩書房
(※2) 若林「前掲」 P23
(※3) 中国国民党による政権。1949年の中華人民共和国の成立により、中国国民党は台湾に臨時政府の形で逃れ、大陸反攻を大義名分に中国国民党が率いる政府が中国を代表する政府であると国際社会に主張をしていた。
(※4) 若林「前掲」 P23
(※5) 轡田竜蔵「台湾でも、『台湾論』論争が始まった」 「小林よしのり『台湾論』を超えて」 P259~P269 作品社
(※6) 若林「前掲」 P19~P20
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