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発達障害者ということ5


はじめに

 精神障害者に対する差別、偏見については今も根強いものがあります。私自身、子どもの頃に精神病院に入院させられる患者は、サイレンを鳴らさない黄色い救急車によって黙って連れて行かれる、という都市伝説を聞いて怖くなったのを覚えています。(※1)もちろんこれは事実に反するのですが、このような都市伝説が蔓延している背景には、精神障害者は何をするかわからない人間ではないモンスターであるとみなされ、精神障害者に対しては秘密裏に対処するべきという考えがあると考えます。

精神障害者差別の背景

T4作戦・ロボトミー手術 

 T4作戦は、精神障害、知的障害を中心に障害者を殺害するという物理的な抹殺です。ナチスのT4作戦を題材にした小説としては、北杜夫の「夜と霧の隅で」が知られています。北が、精神科医の家に生まれ、自らも精神科医として精神障害の問題に接してきたということを考えると、小説の中にある患者に電気ショックを与える場面は痛々しいものを感じずにはいられません。

 ロボトミー手術は精神障害者、とりわけ幻覚症状が表れやすい統合失調症の人たちに、治療の名の下に社会に「適合」をさせるべく、感情をつかさどる前頭葉を切除する「施術」でした。当時は画期的な治療とされ、ロボトミー手術を考案したエガス・モニスは1949年にノーベル医学賞を受賞しています。ロボトミー手術を施術された元患者やその家族からは、ノーベル医学賞受賞を採る消すよう求める動きはありますが、(※2)現在に至るまで取り消しはされていません。また、日本ではロボトミー手術を施術された人が、その医師の家族が殺害されるという事件まで起きています。(※3)

 精神障害者に対するこれらの人権侵害は、知識として知っていました。ただ、私自身が発達障害であると知った後は、その時代に生まれていた場合、殺されるか、廃人にされたのではないかという恐怖心を抱くようにもなりました。

日本における精神障害者への差別・偏見

 以上挙げてきた事例はヨーロッパ世界発のものですが、精神障害者に対する非人道的な扱いは日本も同様です。戦争中においては、精神科病院に入院をさせられた精神障害者は精神科病院に監禁状態に置かれたために、大量の餓死者が出ました。北九州の筑紫保養院(現在の福岡県立精神医療センター大宰府病院)では、戦争末期から戦争終結直後において70%が餓死しました。都立松沢病院でも死亡率が他の年代が5%以下なのに対し、戦争末期から戦争終結直後に欠けて15%から50%に上昇をしています。また、都立松沢病院では本土決戦の際には、病院を誤爆することで入院患者を抹殺する計画までありました。(※4)この計画について、精神障害者の立場で精神医療を批判してきた長野英子氏は次のように述べています。

 戦時中動物園で猛獣が殺されたことは「かわいそうな象」などの話でよく知られているが、「精神病」者もまた「猛獣」なみの扱いをされ、空襲などで「精神病」者を監禁している檻が壊れたら、「精神病」者が暴れて困るという発想で、その前に「誤爆」ということにして病院を爆撃し入院患者を殺してしまえ、という計画なのである。「精神病」者から社会を守れ、という思想の極限がここにある。

文 長野英子 絵 一の門ヨーコ 「精神医療」現代書館  P83

 長野氏は、精神障害者について、危険視する発想に加え、生産性を阻害する存在とみなされていることについても言及しています。1952年に厚生省公衆衛生局が発刊した「わが国の精神衛生の現状並びに問題点」において、精神障害者及びその保護のために精神障害者家族が、経済活動に携わる生産者としての役割を果たせないことで年1000億円の損失を与えたと主張した中に、精神障害者は生産を阻害する者であるとの考えが表れていると指摘しています。(※5)また、長野氏は以上のような厚生省のスタンスが、精神科病床の増床につながっており、強制措置入院と密接に関連があるとも述べています。(※6)

 精神障害者は、危険、厄介であるとして、社会に害悪をなす存在であるという発想は、精神障害者とされる人が犯罪を犯したり、精神障害者が障害者雇用として雇われた際、職場でトラブルが起きると、常に出てきます。世の中のシステム、歯車が都合よく回るのに不都合な存在では困るという、健常者の都合がそこにあると言えるでしょう。

参政党の発達障害者に対する見解の問題点

 参政党の問題点については、既に「参政党台頭に関する雑感」の中で、発達障害に参政党の無理解、冷淡さについて簡単に言及をしております。ここでは発達障害者の当事者として、参政党の発達障害観の問題点について私の考えているところを述べたいと思います。

 参政党の発達障害者はない(※7)という主張は、医学的に誤ったものです。かつて、高橋史朗、上野千鶴子といった人たちが医学的根拠を無視して、自閉症スペクトラムは、病気ではなく、子育てに原因があるとするものと主張をしていたことと何ら変わるものではありません。(※8)

 ただ、参政党の主張する発達障害者は存在しないという主張には、発達障害者の特性が社会にとって厄介で不都合であり、その特性を理解、尊重することで、社会が変わることを拒む姿勢が表れていると考えます。その意味では本文で述べてきたように、参政党の発達障害者に対する姿勢は、従来の精神障害者に対する差別、偏見の延長線上にあると言えるものであり、発達障害者のみならず、精神障害者全般に対しても同じ態度で臨んでいると言っていいでしょう。

 こうした発達障害者への無理解、冷淡さは、参政党に限ったものではありません。SNSで発達障害の問題が出てくると、必ずと言っていいほど発達障害はトラブルを起こす、発達障害を特別扱いするなといった主張を目にします。また、そこまでいかないまでも発達障害に留まらず、精神障害者の問題は自分たちにとって関係のない問題であるとして何も関心を示さないという現実が存在します。以上の精神障害者に対する状況について菅孝行氏は次のように述べています。

 スマートな、科学的合理主義にもとづいたテロや、公共の安全のための隔離や「治療」はよい、というのが、国家の通念であるだけでなく、市民社会の通念である。

文 菅孝行 絵  貝塚浩「差別」現代書館  P156

 私たちの中にある精神障害者に対する差別、偏見をいかにして克服するか、その問題が改めて、参政党の発達障害者への無理解、冷淡さへのクローズアップを通して問われているのではないでしょうか。

脚注

(※1)

(※2)

(※3)

(※4) 文 長野英子 絵 一の門ヨーコ 「精神医療」現代書館  P83

(※5) 文 長野英子 絵 一の門ヨーコ 前掲 現代書館  P85

(※6) 文 長野英子 絵 一の門ヨーコ 前掲 現代書館  P84

(※7)

(※8)

高橋自身は批判について、以下の引用箇所では、発達障害は子育てに起因するとは言っていないと主張をしているが、発達障害が医学的根拠に基づいて診断されるという事実を無視していたことに変わりはありません。

「発達障害」という用語の用い方を再検討する必要があると思われる。すなわち、①医学的な意味での「発達障害」(先天的器質的な脳機能不全)と②後天的な「精神発達不全」を明確に区別する必要がある。
 発達障害者支援法が定義している「発達障害」は①の意味であり、これが「親の愛情の注ぎ方に起因する」はずがない。医学的な意味での「発達障害」の「人と関わらない=不関性」は主原因である認知の悪さから来る「人を感じ取れない、関われない」状態で、「親の愛情の注ぎ方」とは関係がないことは明白である。
 ②の「精神発達不全」は①と表面的な特徴は似ているが、本質的に異なる
のであり、環境因、非常に不適切な養育や養育放棄などにより、精神発達に取り戻せないほどの歪みや遅れが生じるものである。

一般財団法人親学推進協会 理事長 高橋史朗からのメッセージ 

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。



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