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いろんな理由をつけて足を向けなかったこの場所にいま自分がいることこそがすべてだろう【2024広島 振り返り日記02】

ここまでのお話(時系列)
01■そろそろおいでよって呼ばれた気がして

20241025

ブッ●ング.comではなかなかに評価の低めだったんだけど ちょっと面白そうなにおいがした(実際におったけど←もうええって)その宿に決めた大きな理由は そこから平和記念公園が近かった から。

仕事で 何度も来てた時も
長女とふたりで日帰り旅行に来た時も
平和記念公園には 行かなかった。

というか 行けなかった。

仕事の移動中に車内から見えた原爆ドームでさえも
しっかりと見ることができなかった。

なんというか
中途半端な気持ちでは ダメなんじゃないか
って 思っていた。

でも どうしてだろう
今回の広島歌旅を計画しているうちに

原爆ドームに会いに行こう
平和記念公園で 想いを 心を込めて 歌おう

って なんとなく かつ しっかりと 思えてきた。

実はちょうど 日程的に この広島歌旅のあとに 
沖縄歌旅が控えていて
それもなんだか 必然な流れのように 決まっていって
その流れの中で じぶんがすべきこと が なんとなく見えてきて
覚悟も 日に日に できていったっていうのも あった。

原爆ドームは 想像以上に 圧倒的だった。
世の悲しみの全てを背負って いま そこに立っていた。
立ったまま 死んでいるのだ。
そして 死んだまま 生きているのだ。
誰から頼まれたわけでもなく そこに 歴史の証として
身を粉にして立っているのだ。

原爆ドームを背景に記念写真をとる人を責めることはできない
世界中からそこを訪れる人々の誰が正しくて誰が間違っているとか誰が尊くて誰が不純だとか決めることはできない。

だけれども 悶々とする
肌や髪や瞳の色で決めつけてはいけないのだとわかっていても 悶々とする
堂々巡りの自分が ありのままの自分がいる

でも その悶々なんかは ほんとうは どうでもいい
だいじなことは 誰がどうだとか そういうことではなく

自分がいままでいろんな理由をつけて足を向けなかった この場所に
いま いること それがすべてだろう と

ようやく 自分に 言い聞かせながら

平和記念公園の中を歩いた。

各国から植えられた薔薇があった。
その中には もう いまはない国からの薔薇もあった。

祖国がないというのは どれだけ 心の詰まる想いなのだろう。
僕らはそれを計り知ることができるだろうか。
僕らはどれだけそれを 想像できるだろうか。

原爆によって多くの命が失われたわけだけれども
日本だけじゃない 他国の人たちもたくさんいた。
そういうことにも僕らは 想像をひろげることがたいせつなのだ。

僕ができることはなんなんだろう。
僕ができることはなんなんだろう。

まずは 歌うこと なんだろう。


(つづく)

・・・・・


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