わたしのロツレチハヒ【第1話「鬼!悪魔!」】
「だめっ、やめてっ、さわらないで……」
言い様のない感覚に抗うことも出来ず呻くしかない。
わたしはなりふり構わず畳の上に足を投げ出してじっと堪えた。
紺ハイの上からそっとさすろうとしただけで全身がぞわっとする。
「足が痺れる」なんていうけど現実は言葉にならない感覚だ。
痛いようで痒いようでときどき電気のような強い衝撃が足から背中あたりまで走るのだ。もしかしたら後頭部に達しているかもしれない。
隣で吹いていたまりながふざけて指で突いたから、わたしったら思わす叫び声を上げちゃった。
当のまりなも平気なわけがない。やはり足を投げ出して苦悶の表情を浮かべている。
今度はわたしがまりなの足を紺ハイの上から揉んでやった。
「うわっ!それムリーーーー!かんべんして、、、うう」
彼女は両手を後ろについてのけぞりながら我慢する。
「これでお互い様ね」
わたしがニヤリとしたらまりなが辛そうにうなだれた。
ふと見れば田中浩二が立ち上がろうとしている。無謀なヤツだ。案の定、右足首が変な方向にぐにゃりとなって思わず倒れた。
うまく受け身をとったからケガはなさそうだが、かえって強烈な痺れが襲ったらしい。無言でも必死に戦っているのがわかる。
「大丈夫?」
「いや、だいじょばん」
「なによ、だいじょばんって。ハハハ」
そんなわたしと田中のやりとりを聞いて、まりながこぼす。
「しょうもな」
鴨邑(かもむら)高校の邦楽部には琴、三弦、尺八のパートがある。
尺八パートの1年生は田中浩二、小山内まりな、そしてわたし日色かなえの3人だ。
部長は2年生の桜井仁。尺八のパートリーダーでもある。「じんさん」などと呼ばれてはいるものの、皆から慕われているかは疑わしい。少なくともわたしはそう思う。
サークル棟にある和室で尺八の練習をする際には正座で行う。新しいやり方を提案したのは彼なのだ。それまでは折りたたみイスに座って練習していた。
3年生は受験準備で忙しくなるため、春には役員を交代するのが恒例となっている。桜井仁が新部長に就任して尺八パートリーダーに決まった。
「尺八は立って吹くか腰掛けて演奏するのが一般的になってきた。でも正座する座奏にも慣れといた方がいいよ」
上級生・部長・パートリーダー……彼があらゆる圧力を動員して発した言葉は強い。
しぶしぶ従ったが、すぐ後悔した。なんで泣いてでも反対しなかったのだろう。そもそも我々は正座の経験がほとんどない。
うちの母親がいうには「正座をすると足が短くなる」といった噂が広まったのが一因らしい。
「だから子どもに正座をさせる親が少なくなったのよ。その説も当てにはならないそうだけどね」なんて話していた。
理由はどうあれ、わたしは正座を長時間続けた記憶が無い。
和室で座布団も敷かずに正座すると不思議な感じだった。背筋が伸びて凛とした気持ちになる。なるほど、尺八という楽器のイメージと合う姿勢なのかもしれない。そんな前向きなことまで考えることができた。
ただ、調子が良いのは最初だけ。1分もするとふくらはぎの辺りが辛くなってくる。そしてスネ、足首、足の甲とじわじわ広がってゆく。
「力まずにゆっくりと息を吐くつもりで」
こちらの苦悩を知ってか知らずか無情にも音出しの練習を続ける桜井仁。
尺八は竹に穴を開けただけの楽器だ。
親戚にビールやコーラの空き瓶を吹いて音を出すのがうまいおじさんがいる。それと同じ要領で音を出すんだけど、尺八は吹く側と底の部分と両方に穴が開いているからもっとむずかしい。
しかも五つの穴を押さえて音程を調節しながら曲を奏でるのは至難の業だ。
「よーし。もう一回。乙のロから一通り吹いて休憩しよう」
わたしは正座に堪えながら耳を疑った。
「鬼!悪魔!ジン!」
まさか声には出せないから心の中で罵ってやった。
尺八には都山流と琴古流の二大流派がある。我が邦楽部では都山流を基本としている。もともと日本の音楽だから、一般的に浸透している西洋音階の「ドレミファソラシド」とは違う。
敢えて西洋音階で表わせば「ロ」は「D(レ)」、「ツ」は「F(ファ)」、「レ」は「G(ソ)」、「チ」は「A(ラ)」、「ハ」は「C(ド)」という具合になる。
ロの音は五つの穴を全部押さえ、ツは下から一つ目の穴を開けて吹く。その順番で「ロツレチハ」と吹いて音出しすることが多い。
乙(おつ)は一番低い音階で、オクターブ上を甲(かん)、さらにオクターブ上を大甲(だいかん)と表わす。
ジンが言った「乙のロから一通り」とはそれだけの音を出せねばならない。一つの音に20秒~30秒として5分は超えるだろう。
足の痺れが限界に近づいているというのに、音を出し続けることで呼吸の過酷さが追い打ちをかける。
「鬼!悪魔!ジン!」
呪うことで怒りをまぎらわし、なんとか乗り切った。
「じゃあ、10分休憩な」
ジンはそう告げると出て行った。
「あー、やっと音出しが終わった~」
まりながため息交じりに漏す。
しかし本当の地獄はこれからである。
「うっ!」
「ああっ」
「んぐっ」
わたしとまりなと田中。呻き声は三者三様だ。
正座をくずそうとした瞬間にあの得たいのしれない感覚が襲ってくる。
「だめっ、やめてっ、さわらないで……うう」
苦しみもがいていると、ジンが戻ってきた。
なぜ?彼だって一緒に正座して音出しをしていたのに。平気で歩いているのが信じられない。
「おいおい。これから曲の練習だってのに。もうそのざまかよ」
くそっ!なんていい草だ。
「鬼!悪魔!ジン!」
わたしは心の中で繰り返した。
その恨みはモヤモヤした感情とともにますます膨らんでいく。
なにより腹立たしいのは自分自身の迷いに気づいてるからだ。
2話へ続く⇒
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