昔はマドンナ・今はコケンナ|母(90歳)のQOL物語
わたしが中学3年生頃のことだ。深夜ラジオでまりちゃんズの『尾崎家の祖母』という曲を聴いてぶっとんだ。
歌によると祖母は「72歳」らしい。「ビキニを着て泳いだら海の魚が死んでしまった」というフレーズが印象に残っている。
時は流れてわたしも結婚して親になり生活は一変。子どもたちとアニメ映画を見るようになる。
ジブリ映画『崖の上のポニョ』のテーマ曲がヒットして「藤岡藤巻と大橋のぞみ」の露出が増えると、懐かしい「まりちゃんズ」の名前を耳にした。メンバー3人のうち2人で結成したユニットが「藤岡藤巻」なのだそう。
さらに時は経ち、今やわたし自身が「72歳」まで10年を切るシニア世代となった。わたしの母親も当然ながら歳をとり「90歳」になった。
この記事では母が介護保険のお世話になってからおよそ8年。どのようにQOLが変化したかを振り返ってみたい。
しかし母も老いてからのことばかり書かれては不本意だろう。まずは彼女の名誉のため、若かりし学生時代について書くことにしよう。
マドンナ的存在だった
母がよく学生時代の人気ぶりを自慢していた。母と2歳違いの妹、つまり叔母さんからも聞いたので本当のことらしい。
中高生のときは運動神経抜群で、バレーボール部とソフトボール部に入っていた。ソフトボール部ではピッチャーを務め、打席に立てばホームランを連発したそうだ(ここ誇張の可能性アリ)。
容姿についてはあとで触れるが、とにかく学校中の人気者だったという。それを思わせるエピソードがある。
妹(叔母さん)が同じ中学校に入学したときのことだ。休み時間になると教室前に人だかりが出来た。「おい。Y(母)の妹ってどいつだ!」「Yさんの妹が入ったんだって?」と男女入り乱れて“Yの妹”を一目見ようと殺到した。Yさんの妹だからきっと素敵に違いない。そう思って集まったことを感じとった妹(叔母さん)はびっくりしたと同時にリアクションに困ったそうだ。
こうなると映画や漫画に出てくる“マドンナ”のような存在ではないか。
高校を卒業すると看護学校に進み看護師になった母。わたしにこの頃のことを話す際にもさりげなく自慢していた。
あるとき、婦長さんから廊下ですれ違いざまに声を掛けられたという。
「あなたの後ろ姿ってまるで秋桜のようね」
『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』という言葉はあるが「秋桜」のようとはあまり聞かない。いずれにしろ花にたとえるような風情があったのだろう。
ちなみに母は総合病院に勤めていたとき、担当した入院患者の中年男性から人柄を見込まれて「ぜひ、息子の嫁に」と言われる。それをきっかけにお見合いした。“息子”とは後にわたしの父親になった人である。
これだけ触れておけばいいかな・・・。ここからは還暦を過ぎてなお現役バリバリだった母が70代になって老いていく姿を描いていきたい。
還暦で運転免許取得
還暦(60歳)から古希(70歳)頃までは「相変わらず元気そう」に見えていた母。
40代のとき、夫を事故で亡くすという人生の一大事に見舞われながら息子二人が社会に出るまで育て上げた。
地方公務員として市役所の仕事を定年まで務めあげたかと思えば、自動車学校に通い普通免許を取得。周囲を驚かせる。
定年後も公民館の事務職を紹介してもらい臨時職員として仕事を続けることに。
当時はまだパソコンが普及しておらずワープロが主流だった。母は自らワープロで使える表計算ソフトを独学して事務作業に応用したところ、上司が感心したらしい。
公民館の契約期間を終えると数年間は好きなことをして過ごしていた。すると70歳手前(67歳頃)になって大病院の臨時看護師として採用される。
当時、母は実家を手放してアパートでひとり暮らしをしていた。わたしが住む町の近くに越してきたのだ。
ある日、わたしの家に知らぬ人から電話があり、母はいないかという。
不審に思い用件を聞いたところ「病院で入院中にとてもお世話になったから、お礼を言いたくて」とのことだった。
わたしは母から臨時看護師の仕事はどんな様子なのか詳しく聞いたことがない。
思わぬ電話によって知ることができ「患者さんに喜んでもらえてるんだな」と安心した。
そんな母も70歳を過ぎると体力がもたないとの理由で臨時看護師をやめる。病院からはケアマネージャーの資格をとって仕事を続けるよう促されたが、その気力はなかったようだ。
同居で気づいた「QOL」
母が脳梗塞で入院した。わたしは電話でそれを知った。地域の集まりで、母のしゃべり方が不自然なことに気づいた看護師経験者の知人が「すぐ病院で診てもらわなきゃ」と車で連れて行ってくれたそうだ。医師によると発見が早かったので命に関わる大事には至らないが、後遺症が出るかもしれないという。点滴による治療のためしばらく入院することになった。
母が入院している間、アパートを掃除することにした。
久々に訪れて驚いた。2LKバルコニー付でひとり暮らしには十分な間取りだが、一部屋とバルコニーはモノ(不要品やゴミ)で埋もれていたのだ。かろうじて生活できる空間がある和室とキッチンも足の踏み場がないほど散らかっている。寝床が見当たらないので、コタツを中心に過ごす姿が思い浮かぶ。
「こんな暮らしを続けていたら、退院してもまた脳梗塞になりかねない」
わたしは直感した。
同居するべき時が来たのかもしれない。そう思って妻に相談したところありがたいことに理解してくれた。
母は幸いにして後遺症なく退院することができた。落ち着いたところで同居の件を説明して承諾してもらう。
わたしと妻と娘2人と母。家族5人が暮らすため戸建て住宅を新築することにした。
当時サラリーマンだったわたしは、2年間ほど福祉事業部門に関わったことがある。ケアマネやホームヘルパーの方々と仕事をするなか「QOL」という言葉を知った。
利用者の「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」つまり「生活の質」を向上させるために何ができるか。皆それを心がけていたからだ。
新築するにあたり、建設会社の担当者から「お母様がご高齢なので、バリアフリーをできるだけ取り入れましょう」と提案された。もしわたしが「QOL」をはじめ介護について認識がなければ「まだまだ元気ですから」と経費がかからない選択をしたことだろう。
当時は「これが必要になるときは来るのだろうか」と思いつつも担当者の意見を受け容れて「玄関の上り口」と「浴室の湯船」と「階段」に手すりを付けた。


さらに二度の入院
同居生活をはじめた頃、母に肺がんが発覚。手術と抗がん剤治療のため1か月ほど入院した。退院してからも定期的に通院して検査を行い、5年間通い「もう大丈夫でしょう」と診断されたときは「やっと終わった」というのが正直な気持ちだった。
退院後も目立った変化はなく普通の暮らしを取り戻した。ところが80歳を過ぎて今度は転倒により肩を骨折してしまう。整形外科の医師によると上腕骨の複雑骨折で手術が必要だという。
手術は無事に終わったものの入院生活中にハプニングが起きた。
母は自宅の寝室で転倒したとき「打ち身だからすぐに治る」と言い張った。2日間ほど肩が上がらないのを我慢して自宅で過ごした。トイレに自力でいけないため、夜中にいきたくなるとわたしの携帯に「トイレに行くから」と電話してくる。その癖がついてしまったのだろう。
病院で夜中に目を覚ましても、自宅だと思い込み、わたしに電話してくるのだ。「トイレに連れて行って」と。深夜に叩き起こされたうえ、何を寝ぼけてるんだと説明しなければならない。その後でナースセンターに電話して「母が間違って自宅に連絡してきたので様子を見てもらえませんか」とお願いした。そんなことが3回ほどあっただろうか。
この頃から母の衰えが目立つようになっていく。
退院してからも以前のように外に出て散歩することが減り、ほとんど自室で過ごすようになった。本を読んでいることも希にあるが、テレビを見るか横になって居眠りしていることが多い。
母の次男、つまりわたしの弟が住んでいるところは車で2時間ほどかかる。当時、数か月ぶりに我が家を訪れた弟が母の衰えぶりに驚いた。「デイサービスとかに行ってみてはどうか」と口にしたことから母の「QOL」が変わりはじめる。
我が家に介護ベッドがやって来た
母は2017年(平成29年)に介護保険制度の要介護認定を申請して、「デイサービス」と「通所リハビリ」のお世話になっている。
はじめの頃は人見知りを発動したのか、「行きたくない」などとドタキャンを連発したものだ。しかし何度か顔を見せて慣れると気に入ったらしい。いまだに通い続けている。
デイサービスは美味しい昼食が出て入浴もできる。朝10時頃から夕方4時頃までおしゃべりしたりカラオケを歌って過ごすので、自宅に一人でいるより刺激になることだろう。
通所リハビリでは軽い運動だけではなく、塗り絵や算数の計算問題などをする時間もあって楽しく過ごしているようだ。

塗り絵を見せてもらったが、枠をはみ出さずに細かく塗っていたので「これお母さんが塗ったの」と弟と2人で思わず唸った。

ケアマネさんは基本的に月1回は訪問してくれる。
当初は居宅サービス計画書の課題に「布団の上げ下ろし」を入れていた。母もマットを敷いて、押し入れから掛け布団を出し入れするぐらいは自分でやれると自信満々だった。だが3年ほど前からそれが難しくなり、わたしが布団の上げ下ろしをするようになる。さらに昨年末ぐらいから母は寝た状態から起きるのに一苦労するようになった。そのため介護用ベッドを使用することにした。
ケアマネさんはそのような状況説明を聞きながら、適切なアドバイスをくれる。まず玄関で靴を履いたり脱いだりしやすいように安定したイスと、上がり口のところに設置型の手すりをレンタルした。

それまでは部屋が狭いから窮屈になると、介護用ベッドの導入は躊躇していた。しかし介護用品・福祉用具のレンタル販売業者と連携してくれたところ、ぴったりなサイズとタイプが見つかった。

母は床にマットを敷いていたときは起き上がるのに3分、長いときは5分かかっていた。しかし介護ベッドにしたらスッと立ち上がれる。使い勝手のよさを実感して「早くベッドにすればよかったね」とお互い笑ったほどだ。
通所リハビリの担当医師もデイサービスでも、そしてケアマネさんも声を揃えるかのように「絶対に転倒だけはしないでください」という。タイトルにも使った「今はコケンナ」の心境である。
わたしは母にできるだけ自力で歩ける体力をつけてもらいたい。しかし母も90歳になって衰えた。無理して転んでは元も子もない。
今度骨折したら老化が加速するのは目に見えている。その現実を受け容れながら「QOL」を維持するか、可能ならば少しでも向上するよう共に頑張ろうと思う。
