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8月9日長崎に原爆が投下された日に考える「ひばくせい人」問題と表象の加害性について

8/9は、長崎に原爆が投下された日です。私は長崎の放送局で記者とアナウンサーとして勤務していた際に、山口仙二さん、谷口稜曄さんら被爆者の方々からたくさんのお話を伺いました。そのなかのひとつが、「ひばくせい人」についてでした。

被爆者を模した怪獣『ウルトラセブン』「スペル星人」問題について、多くの方に知って頂きたいです。

スペル星人とは
1967年12月17日放送の『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛をこめて」に登場。母星で「スペリウム爆弾」(核兵器を連想させる設定)の実験に失敗し、放射能で血液が侵されたため、地球人の血液を奪いに来る宇宙人。デザインは人型で、白い体に黒いシミ(ケロイド状の模様)があり、火傷や放射線被害を連想させる要素が取り入れられていました。監督の実相寺昭雄の意向で昆虫型から人型に変更され、成田亨がデザイン、高山良策が造型。高山の日誌にも「ノッペラボーのケロイドのある少々薄気味悪い宇宙人」と記されています。

本編では別名は出ませんが、児童向け雑誌・図鑑・付録カードなどで「吸血宇宙人」「きゅうけつかいじゅう」、特に「被爆星人」「ひばくせい人」という別名が使われました。
この「被爆星人」という呼称とケロイド状のビジュアルが、実際にケロイドを負った被爆者(山口さん自身も長崎で上半身に大火傷を負い、重いケロイドが残った)を「怪獣扱い」していると受け止められました。

抗議運動の経緯(1970年が中心)
1.  きっかけ(1970年10月)
小学館『小学二年生』11月号の付録「かいじゅうけっせんカード」でスペル星人が「ひばくせい人」と紹介され、全身にケロイド状の模様が描かれていました。
東京都内の女子中学生が気づき、父(東京都原爆被害者団体協議会の専門委員・中島竜美=中島龍興)に相談。中島氏が小学館編集長に抗議の手紙を送りました。

2.  報道と全国的拡大
1970年10月10日、朝日新聞が「原爆の被爆者を怪獣にみたてるなんて、被爆者がかわいそう」と大きく報道。

広島被団協、原水禁日本国民会議、日本原水協、広島県被爆教師の会などが次々と抗議。

長崎原爆被災者協議会も絵本などの二次資料に抗議を表明(読売新聞などでも報じられました)。山口さんも谷口さんもこの長崎被災協で長年活動した方々で、被団協代表委員としても全国的な被爆者運動の中心にいました。

3.  円谷プロ・出版社の対応
1970年10月21日、円谷プロが謝罪文を発表。「被爆者を怪獣扱いしたとか、モデルにしたなど、そのような考えで製作したものでは毛頭ありません」と否定しつつ、監修の不行届きを認め、「今後一切、スペル星人に関する資料の提供を差し控える」と約束。小学館や他社も謝罪・絶版・修正対応。

当時再放送中だった第12話は差し替えられ、以降公式には再放送・ソフト化されなくなりました(欠番扱い)。1971年に『ウルトラファイト』で再登場した際も再び問題視され、完全封印が固まりました。

作品側の意図と後年の評価
脚本や監督側には「核実験・放射能の被害を描き、反核のメッセージを込めた」という意図がありました(母星の核実験失敗→血液汚染→地球への侵略という設定)。しかし、生きている被爆者の外見(特にケロイド)を連想させるデザインと「被爆星人」という直接的な呼称が、当時の被爆者差別や偏見の文脈で強い反発を招きました。山口さんのように、顔や体に目立つケロイドを抱え、社会的な偏見に苦しんできた人々にとって、子ども向けメディアで「怪獣」として扱われることは耐えがたいものだったのです。

中島氏自身も後年、「番組自体の内容を評価せず、カードだけを問題視して抗議したのは大きな問題だった」「表現の自由を潰してしまった」と反省を述べています。


山口仙二さんについて
山口さんは1950年代から長崎で被爆者組織を立ち上げ、反核・被爆者援護運動に生涯を捧げたかたです。(1982年の国連軍縮特別総会で被爆者として初めて演説し、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と訴えたことで特に有名)。ケロイドの写真を掲げて核兵器の非人道性を訴える活動を続けた山口さんにとって、被爆者の外見を怪獣に模した表現は、運動の核心に関わる問題でした。

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250399_00000


谷口稜曄さんについて
長崎原爆の被爆者で、山口仙二さんと並ぶ長崎の被爆者運動の中心人物の一人です。16歳のときに郵便配達中、爆心地から約1.8kmで被爆し、背中一面に重度の熱線やけどを負いました。入院中に米軍が撮影した「赤い背中」の写真で世界的に知られ、生涯にわたってその傷を自ら公開しながら核兵器廃絶を訴え続けました。長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)で長年活動し、後に会長を務め、日本被団協の代表委員も歴任しました。2010年のNPT再検討会議では国連本部で演説し、「私はモルモットではない。もちろん見世物でもない。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで」と語ったことで知られます。

スペル星人はケロイド状の模様を持つ人型宇宙人としてデザインされ、「被爆星人」と名付けられました。谷口さんはまさに、背中一面のケロイドを「見せ物」ではなく「核兵器の非人道性を証明する生きた証拠」として扱い続けた人です。傷を娯楽や怪獣のデザイン素材に転用されること自体が、被爆者の尊厳を損なうという感覚は、谷口さんの活動の根底にあったものと重なります。

この一件は、戦後の被爆者運動が、単なる援護要求を超えて「表現・メディアにおける被爆者の尊厳」にも声を上げた事例として、特撮史と被爆者史の交差点に残っています。

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250528_00000

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