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ご近所事件簿 第7話



「芹沢俊平、BookNestで大暴走!」

※本作はフィクションです。登場する**電子書籍サービス「BookNest」**を含む名称・人物・出来事はすべて架空であり、実在の人物・団体・サービスとは一切関係ありません。


夕方のまんぷく亭。湯気がやさしく立ちのぼり、味噌の香りが路地までこぼれている。
そこへ、引き戸をガラリと開けて、芹沢俊平が転がり込んだ。

「ついに出た! BookNestで、俺の本が配信開始だ!」

「配信って、魚の話かい?」勝じいが徳利を掲げる。
「それは“刺身”だよ、じいちゃん」美咲が即ツッコミ。
「へえ、俊平さん、やったじゃない」おきよが笑う。「お祝いの煮込みを濃いめにしてやろう」
「煮込みもいいが、まずはダウンロードというやつを――」と芹沢。
「端末は?」神崎文人がすっとノートPCを開いた。
「端末? それなら、USBは持ってきた!」

彼は誇らしげに銀色のスティックを掲げると、カウンターの上に置いた。タマが鼻先でちょいと突く。

「……USBをPCにさして、BookNestにアップロードして、審査を通して……」文人が手順を唱えながらクリックする。
次の瞬間、画面にずらりと並んだファイル名を見て、全員の視線がフリーズした。

「『honpen_final_kansei_2(1).docx』、『honpen_final_hontou_no_kansei_3.pdf』、『honpen_final_saishin_zettaikore.jpeg』……」
「ジェイペグって何だ?」芹沢が胸を張る。
「画像です!」美咲。
「じゃあ文字はどこへ行った!」
「そのJPEGに“スクショ”で入っちゃってますね……」文人が額に手を当てる。
「なんと。活字が絵に化ける時代か。前衛だ」
「前衛じゃなくて前代未聞だよ」おきよが鍋をかき混ぜながら笑った。「まずは“本文は文字”、表紙は“絵”にしな」

「表紙は作った。どーんと俺の顔のアップだ。読者に魂を直送する」
「サイズは?」
「LLだ」
「服じゃないの!」美咲が机に突っ伏す。

文人が説明を始める。「BookNestは推奨サイズが決まってます。解像度と容量、比率……」
「解像……容量……比率……」芹沢はその三語を、まるで古代呪文のように復唱し、頭を抱えた。「目次は心で読むものだろう?」
「電子だと“心の目次”は表示されません」と明日香がスマホを掲げる。「見出しをちゃんと付けて、目次リンクを作るの。読者は指でタップして飛ぶから」
「飛ぶのか」
「紙よりずっと飛びます」
「紙も飛ぶよ、風でね」勝じいがうんうん頷く。

その間にも画面は無情だ。
――エラー:目次情報が不足しています
――警告:表紙画像の容量が上限超過
――注意:本文に画像(JPEG)のみが含まれています

「ほら来た」文人が深呼吸。「まずは本文を“文字データ”に戻します。JPEGのスクショからテキスト起こし……時間かかるけど、段落だけでも整えれば目次が作れます」
「おお、文人くんが頼もしい」おきよが頷く。「美咲、表紙はどうする?」
「私がリサイズと圧縮やります。タイトルロゴもシンプルに」
「おお、明日香ちゃんは?」
「SNSで“BookNest配信予定”の告知を作るね。でも“予定”ね。“配信中”にすると嘘になるから」
「えらい。うちの店は正直が味なんだよ」

そこへ、煮込みの大鍋がぐつっと沸いた。
「味がのってきた。今日は祝いだ、火を強めよう」
おきよが一歩踏み出し――
足元のLANケーブルに、ひっかかった。

「ぎゃっ」
ケーブルがスポッ。
Wi-Fiルーターのランプが、一斉に沈黙。
画面が“オフライン”の青い顔になる。

「回線が落ちた!」
「やっきりするだねぇ……」勝じいが頭を掻く。
「だ、だもんで焦らず、いったん接続を……」文人がしゃがみ込み、ルーターを確認する。
「私は火を弱める! ケーブルを跨ぐ時は膝を上げる!」おきよが宣言。
「俊平さん、USBは抜かないで!」美咲が指示。
「抜かない、抜かないとも! 俺は今、世界と繋がっている」
「画面は繋がってません」明日香が苦笑い。

そのとき、タマがスッとキーボードの上に乗った。
「おっと、タマ!」
小さな肉球が、Ctrl+Zを押す。もう一歩でCtrl+S。
「戻す、そして保存……いい順番だ……」文人が感嘆のため息を漏らす。
さらにタマがスペースバーを踏み、ルーターの電源ボタンの上でちょこんと座る。カチ。
ランプが復活。
画面に、世界が戻る。

「戻った!」
「タマ、君は編集者か?」芹沢が目を潤ませる。
「編集なら“締切”も押さえるんだよ」おきよが笑い、鍋を静かに撫でた。「火もね」

回線復帰と同時に、ドタバタの再開だ。
美咲が表紙のサイズを整え、容量を半分以下に。
文人はOCRで吸い上げた本文に見出しレベルを付与し、目次を生成。
明日香は告知画像に「#BookNest」「#電子書籍」「#ご近所事件簿スピンアウト?」のタグをつける。
「“スピンアウト?”の“?”がいいねえ」芹沢がご満悦。「曖昧さは想像力の母だ」
「でもジャンルと価格は曖昧にしないでください」文人がピシャリ。「小説/一般、税別でこのくらい」
「値段……! いくらにすれば、魂が軽すぎず重すぎない?」
「まずは読者に手に取ってもらう重さで。鍋一杯分より少し軽く」おきよがウインク。
「鍋で例えるな」勝じいが笑って咳き込む。

ほどなく“検証”ボタンが青く光った。
「いくよ」文人。
「いっけー!」美咲。
「お願いします」明日香。
「諸君、歴史的瞬間だ」芹沢が両手をひろげ――タマがEnterを踏んだ。

回転する待機アイコン。
静寂。
鍋のコトコトという音だけが、時間を煮詰める。
そして――

審査通過
配信準備完了
BookNest:新刊『ご近所から宇宙へ(仮)』を受理しました。

「で、出たぁぁぁ!」
まんぷく亭に、拍手と歓声が弾けた。
勝じいは涙目で徳利を掲げる。「宇宙へ! 乾杯!」
「まだ“準備完了”だから、正式配信はちょっと後だよ」と文人が現実に戻す。
「現実は鍋の火加減と同じ。焦らず、でも弱すぎず」おきよが火を見つめる。

「ところで……」美咲が画面を覗き込む。「俊平さん、あらすじが“未入力”です」
「――なんだって?」
「“心のあらすじ”は、表示されません」明日香が肩をすくめる。
「読者は“心で読む”んだろう?」
「読むけど、最初の“入口”がいるの。三行で、読者が迷わず入る扉を」
「三行……三行……」芹沢が宙を見つめる。その瞬間だけ、店の喧噪が遠のいた。
「――書くよ」
彼はキーボードに向かい、指を軽く震わせ、たちまち三行を打った。

これは、商店街と宇宙のあいだにある台所の物語。
騒がしい夜に、人は笑い、誰かを助け、誰かに助けられる。
そして、明日も暖簾は揺れて、物語は湯気になる。

沈黙のあと、拍手。
「うまい」おきよが短く言う。「味がある」
「湯気が見える」明日香が微笑む。
「猫の句読点も効いてる」文人がタマの頭を撫でる。
「句読点は“ちゅ〜る”で打つの」美咲が笑う。

そこへ、BookNestからもう一つ通知が跳ねた。

配信開始:一部地域
「おお、もう半分出た」
「半分ってなんだ、地球は丸いぞ?」勝じいが目をぱちくり。
「地域ごとに反映時間が違うんです」文人が説明する。
「じゃ、反映した地域に向けて“試食会”だね」おきよが器を並べる。「“ご近所から宇宙へ(仮)”の発売記念、まんぷく亭・星見煮込み」
「名前が良すぎる。料理本に転向したら?」
「転向はしない。両立するのさ」おきよは胸を張る。「料理も物語も、火が通ると甘くなる」

ひと息ついて、全員で煮込みをすすった。塩気がふわりとほどけ、出汁が舌の奥で丸くなる。
「……うまい」芹沢が目を細めた。「文章も、こうして煮詰められたらいい」
「煮詰めすぎると、焦げます」文人。
「じゃあ、焦げを香ばしさと呼ぶ流派で」
「それは後付けだよ!」美咲が笑う。

タマがカウンターからノートPCへぴょん。
画面に“最初の読者レビュー”の通知がポンと浮いた。

「台所で生まれる宇宙、分かる気がする。次回も読みたい」
「――やった」芹沢が小さく息を呑む。「世界のどこかの一人が、今、俺の言葉を受け取った」
「一人いれば十分。そこから二人、三人」明日香が言う。「光は少し遅れて届くけど、ちゃんと届くから」
「そうだね」文人が夜空を見上げる。「星の光と同じだ」

「で、次は映画だ!」芹沢が突然、拳を握った。
「早っ!」全員のツッコミが綺麗に重なる。
「映画化って、どうやって?」美咲。
「予告編を撮る。BookNest配信記念・自主制作映画だ。タイトルは――『ご近所パニック・オブ・ザ・イヤー』!」
「長い」文人。
「鍋が主役なら観る」勝じい。
「台所でクランクインだよ」おきよがエプロンを結び直す。
「タマはプロデューサー」明日香。
「ギャラはちゅ〜るだ」美咲。

そのとき、画面がもう一度だけ明滅し、配信地域が“全国”に切り替わった。
拍手。
鍋の湯気が、まるで花火のようにふわりと開いた。

芹沢は人差し指を胸ポケットのメモ帳に滑らせ、そっと一枚めくった。
「俺は、書く。ドタバタも失敗も含めて、ぜんぶ物語にする。BookNestは港(ポート)じゃない、巣(ネスト)なんだ。ここから飛ぶ」
「飛んだあと、夜風で冷めないように」おきよが器を差し出す。「帰ってきたら、また温め直してやるよ」
「温め直した方が旨くなることも、ある」勝じいが頷く。
「うん」明日香が笑う。「次の“通知”、楽しみにしてる」

タマがEnterキーの角に前足をのせ、満足そうに「ニャ」とひと声。
外の路地には、配信開始の瞬間を祝うように、風鈴がちりんと鳴った。
ご近所の夜は静かで、やさしく、そして少しだけ賑やかだった。


©宇都宮幸宏


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