見出し画像

ご近所事件簿 第10話「勝じい、宝くじの甘い罠」



あらすじ

商店街の常連・勝じいが「二億円当選」をうたうメールに心を奪われる。
手数料を先払いすればすぐ受け取れるという甘い罠――手数料詐欺だ。
おきよが必死に説得するも、頑固な勝じいは耳を貸さない。
そこへ現れた芹沢俊平が、具体的な詐欺の手口を一つひとつ示し、
ついに勝じいは目を覚ます。




「勝じい、宝くじの甘い罠」

※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※本話には特殊詐欺(手数料詐欺)に関する啓発を目的とした描写を含みます。


夕暮れの不穏

 秋風が商店街の暖簾を小さく揺らし、まんぷく亭の提灯がコトンと音を立てた。
 そのカウンターで、勝じいがいつになくそわそわとスマホを覗いている。
 老眼鏡越しに目を細め、指が震えているのが見えた。

「勝さん、煮込み冷めるよ」おきよが声をかける。
「おう……いま、えらいことが起きてるでな」

 その言い方に、佐藤美咲も神崎文人も顔を上げる。
「何か当たったんですか?」美咲が身を乗り出した。
「そうだ。宝くじの一等だとよ。スマホにメールが来た。二億円だと!」
「二億!?」美咲が声を上げた。
「ちょっと待って」文人は眉をひそめる。「どこのメールです?」
「ほら、ここに……“特別抽選当選通知”。手数料を先に振り込めば、即日入金だと書いてある」

 店内の空気が一瞬、ひやりとした。


女将の説得

「勝さん、それは詐欺だよ」おきよの声は低かった。
「詐欺? わし、ちゃんと買っとる。年末ジャンボだぞ。もしかしたら……」
「公式の宝くじ当選なら、手数料なんてない。振込依頼メールも来ない。受取は銀行か郵便局で、身分証を持って直接確認するんだよ」

 勝じいは腕を組み、顔をしかめた。
「だが、このメール、住所も電話も書いてあるし、ほら銀行口座も……」
「住所や電話は拾って書ける。銀行口座だって“受け取り”じゃなくて“先払い”させるための罠さ」おきよはため息をついた。「勝さん、お願いだから振り込まないで」

 だが勝じいは首を振った。
「わし、長年くじを買い続けとる。やっと夢が叶ったかもしれん。誰が邪魔しても、今度こそ……」

 おきよは匙を投げるように肩を落とした。
「もう、煮込みが煮崩れるよ。あんたの頭も一緒に煮崩れそうだ」


芹沢の登場

 その時、ガラリと戸が開いた。
「ただいまー!」芹沢俊平が大きな声で入ってきた。
「俊平さん、勝さんが――」美咲が一息で事情を説明する。

 芹沢は勝じいの隣に腰を下ろした。
「ほう、二億円。景気がいいねぇ。……勝さん、メール見せてくれます?」
「おう、これだ」

 芹沢はスマホを受け取り、画面をスクロールしながら口角をわずかに上げた。
「見事に詐欺のテンプレですね。
 ①差出人のドメインが海外サーバー
 ②日本語が微妙に変
 ③“先に振込”という条件
 この三拍子は、僕の取材ネタにも何度も出てきた」

 勝じいは目を丸くした。
「でも、宝くじの買い方まで細かく書いてあるぞ」
「公式サイトをコピペしただけです。URLをタップしてみてください――あ、しないでください。開いた瞬間にウイルスに感染する可能性があります」

 芹沢はスマホをテーブルに置き、勝じいの目をまっすぐ見つめた。
「勝さん。これは夢じゃなくて罠です。
 振り込んだ瞬間、二億円どころか、あなたの貯金が抜かれる。
 たとえ一万円でも払ったら、次から次へ“追加の手数料”がやって来る。
 最終的には銀行口座を凍結され、借金まで背負う人もいる」


目が覚める瞬間

 勝じいの指が震えたまま止まった。
「……わし、だまされとったのか」
「だまされる寸前で止まった。それが大事です」芹沢はやわらかく言った。
「ここでやめれば、被害はゼロ。これは未遂です」
「未遂……」勝じいは深く息を吐いた。「俊平、ありがとう」

 おきよが腕を組んだまま、ようやく微笑んだ。
「ほらね、言ったろ。わしより俊平さんの言葉のほうが効くんだ」
「効くっていうか……」美咲が笑った。「芹沢さん、こういう話何回も取材してるから説得力があるんですよ」
「取材というか、ネタ集めというか」芹沢は苦笑する。


警察へ

「一応、警察に相談しませんか」文人が口を開いた。
「詐欺グループの手口を共有することで、次の被害を防げます」
「そうだな」勝じいはうなずいた。「俺みたいな年寄りが、まただまされるかもしれん」

 まんぷく亭の電話で、警察相談窓口に連絡。
 対応した警官は事情を聞き、メールのスクリーンショットとアドレスを求めた。
「典型的な手数料詐欺ですね。未遂で止まってよかったです。最近はAI翻訳で日本語が自然になっているので、だまされる人が後を絶ちません」と警官は言った。

 勝じいは受話器を置き、安堵の息をついた。
「これで町内会にも話せる。わしみたいな人間が一番狙われるんだな」


その夜のまんぷく亭

 湯気が再びゆっくり立ち上り、店内に安心した空気が戻った。
「危ない橋を渡る前に戻ってこられて、ほんとうによかった」おきよが煮込みをよそいながら言う。
「タマも心配してたよ」美咲が膝にのったタマを撫でる。タマは短く「ニャ」と鳴いた。
「お手柄は俊平さんとタマだね」文人が笑う。
「俺はただ話しただけだ。タマは…見抜いてたのかも」芹沢が目を細める。

 勝じいは湯気越しにみんなを見渡した。
「二億円よりも、こうしてみんなで囲むこの煮込みが、何よりの宝だな」
 その言葉に、店内が温かい笑いに包まれた。


©宇都宮幸宏

いいなと思ったら応援しよう!