1兆円が動く「フィジカルAI」の構造変革:レイヤー構造で読み解く全体像とスタートアップの生存要件
2026年に入り、フィジカルAIへの期待は一段と高まっています。ロボットや機械が現実世界を認識し、判断し、物理的なタスクを実行するためのAIが、研究開発のテーマにとどまらず、産業政策やスタートアップ投資の中心的な論点になり始めているためです。
日本政府は、2025年12月に閣議決定した「人工知能基本計画」でフィジカルAIを新たな技術進展として明記し(出典:内閣府「人工知能基本計画」(令和7年12月23日閣議決定))、その基盤となる国産モデルの開発などに向け、2026年度から5年間で約1兆円規模を支援する方針だと報じられています(出典:時事通信)。
米国では、ロボット向け基盤モデルを開発するSkild AIが14億ドルを調達し、評価額を約7か月で45億ドルから140億ドル超へと3倍以上に引き上げました(出典:Crunchbase News)。
もっとも、「フィジカルAI」という言葉の下には、自動運転、工場・倉庫の自動化、建設機械、ヒューマノイド、家庭用ロボットまで、技術的難易度も実用化の時間軸も異なる領域が含まれています。どの用途から普及し、経済価値がスタックのどこに蓄積され、どの国・地域のプレイヤーがそれを獲得するのかは、まだ定まっていません。
本稿では、①フィジカルAI普及のタイムライン、②レイヤーごとの主要プレイヤー、③各レイヤーの経済性、④汎用モデルの射程とバーティカルデータがmoatになる条件、⑤地政学と日本の勝ち筋、の順に整理します。そのうえで、日本のスタートアップがどのレイヤーで戦うべきかを考えます。
1. フィジカルAIはいつ来るのか
1.1 主戦場シフト論――AIのフロンティアは「物理世界」へ
グローバルの強気論を象徴するのが、NVIDIAのJensen Huang氏です。同氏はCES 2026で、機械が現実世界を理解し、推論し、行動し始める「フィジカルAIのChatGPT moment」の到来を宣言しました。注目すべきは、その恩恵を最初に受けるのは「ロボタクシー」だと述べた点です。発表の主役もヒューマノイドではなく自動運転AI基盤「Alpamayo」でした(出典:Axios)。NVIDIAが描いているのは、デジタル空間で進展してきた生成AIのフロンティアが、自動車やロボット、工場などの物理世界へ拡張していく未来です。
同様の見立ては急速に広がっています。ソフトバンクグループの孫正義氏はフィジカルAIとロボティクスを次の1兆ドル規模の事業機会と位置づけています(出典:CNBC)。
1.2 実装リアリズム――デモから実用化までの「遠すぎる道のり」
他方、デモから実用製品までの距離を甘く見るな、という時間軸への警鐘もあります。
代表格が、Tesla元AI責任者・OpenAI創業メンバーのAndrej Karpathy氏です。同氏は「今はエージェントの年ではなく、エージェントの10年(decade of agents)」と述べ、その根拠として自動運転での実体験を挙げています。2014年に体験したWaymoのデモはほぼ完璧で「もう解けた」と感じたが、そこから10年以上経ってもなお遠隔オペレーターの支援を要する。信頼性を90%から99%、99.9%へと一桁ずつ上げるには、それぞれ同じだけの膨大な作業が要る――同氏はこれを「march of nines(9の行進)」と呼び、デモと製品の間にある本質的な距離だと説明しています(出典:Dwarkesh Podcast(2025年10月))。
慎重論は、実装に時間がかかるという指摘だけではありません。現在主流の技術経路そのものでは、現実世界を扱う知能に到達できないのではないか、という懐疑もあります。
その代表が、Metaを離れて世界モデルの開発を掲げるAMI Labsを設立したYann LeCun氏です。同氏は、家猫ほど機敏な家庭用ロボットも、あらゆる環境で自律的に走行できる自動車も存在しない理由として、現在のAIが、行動の帰結を予測する内部モデルである「世界モデル」を欠いていることを挙げています。そのうえで、人間に近い知能の実現には「大きな概念的ブレークスルーが必要だ」と主張しています(出典:MIT Technology Review(2026年1月))。
ヒューマノイドに限れば警鐘はさらに強く、iRobot共同創業者のRodney Brooks氏は現在の投資熱をバブルと呼び、最大のボトルネックである器用な手作業(dexterity)について「Dexterityは2036年を超えても人間の手に比べて貧弱なままだろう」と予測しています(出典:Rodney Brooks "Predictions Scorecard, 2026 January 01")。
1.3 争点は「どの用途から、どの時間軸で来るか」
分岐を整理する軸は2つあると考えています。
環境の構造化度と失敗コストです。構造化されており失敗コストを管理できる領域――工場、倉庫、運行エリアを限定したロボタクシー――では、実運用への導入や、実運用を見据えた検証が先行しています。BMW工場でのFigure 02の11か月配備(出典:Figure AI)や、JAL・GMO AI & Robotics による羽田空港での実証(出典:JALプレスリリース)はその例です。
逆に、非構造化で失敗コストが高い領域――家庭、開放環境、器用な手作業――では、march of ninesが長く続くはずです。タスクの反復性や導入コストなど他の要因も普及速度を左右しますが、実装難易度を大きく分ける基本軸はこの2つです。
なお、LeCun氏の世界モデル論はこの時間軸へのワイルドカードです。同氏は2027年までにパラダイムシフトが起きると予告しており(出典:Humanoids Daily)、その成否は、とりわけ非構造化環境における認識・予測・計画能力の進展速度を左右する観測ポイントです。
したがって、少なくとも2020年代後半の中心は、構造化環境における産業実装の拡大になる可能性が高い。一方、家庭を含む非構造化環境で、人間に近い汎用性を持つロボットが広く普及する時期については、2030年代を見据えてもなお不確実性が大きいと言えます。
2. レイヤーごとのプレイヤー
フィジカルAIのプレイヤーは、価値提供の違いに応じて4つのレイヤーで整理すると見通しが良くなります。L1は、環境を認識し、推論し、行動を決定する「脳」。L2は、その知能を載せて実際に動く「身体」。L3は、ロボットの学習・検証・配備・運用を支える「開発・運用基盤」。L4は、アクチュエータ、精密部品、電池、半導体など、ロボットを物理的に成立させる「基盤部品・計算資源」です。
レイヤー1|ロボット基盤モデル「ブレイン」層
異なる形状や用途のロボットに展開可能な、認識・推論・行動生成のモデルを提供する層です。特定の一機種に閉じず、複数のロボット形状やタスクに適応できる汎用性を目指すプレイヤーに、巨額のVCマネーが流れ込んでいます。
序文で触れたSkild AIが、その代表例です。同社は2026年1月、SoftBank Group主導のシリーズCで約14億ドルを調達し、評価額は140億ドル超に達しました。約7か月前の評価額約45億〜47億ドルから、3倍前後に上昇したことになります(出典:Crunchbase News)。同社が開発する「Skild Brain」は、特定の一種類のロボットに閉じず、脚式、車輪式、マニピュレーターなど、異なる身体に適応する“omni-bodied”な基盤モデルを掲げています。企業やロボットメーカーへの提供を進めており、2025年には売上がゼロに近い状態から約3,000万ドルに達したと報じられていますが、これは非公開企業に関する報道値である点には留意が必要です(出典:The Robot Report)。
Physical Intelligence(π)も2025年11月、CapitalG主導のラウンドで6億ドルを調達し、評価額は56億ドルに達しました。同社は複数のロボット形状に適用できる汎用的な制御モデルを開発し、実環境での試験も進めていますが、現時点では大規模な商用展開よりも、モデル開発とデータ収集を優先する段階にあります(出典:The Elec(Bloomberg報道引用))。
既存勢では、Google DeepMindがGemini Roboticsでロボット基盤モデルに参入し、CES 2026ではBoston Dynamicsとの提携を発表しました。Gemini Roboticsを新型Atlasなどに統合し、異なる環境やタスクに適応できる知能の開発を目指しています(出典:Boston Dynamics公式発表(2026年1月5日))。
NVIDIAは複数のレイヤーを横断しています。ロボット基盤モデルのGR00TはL1に位置する一方、CosmosやIsaac Sim、Isaac Labは、学習データの生成やシミュレーションを担うL3の開発基盤として機能します。単一レイヤーのプレイヤーというより、フィジカルAI開発の統合プラットフォームを構築している点が特徴です(出典:NVIDIA公式ブログ)。
このレイヤーの価値は、特定の一機種に閉じない制御知能を確立し、複数のハードウェアや用途へ展開できることにあります。ただし、ハードウェアごとの追加学習や安全検証、現場への適応が不要になるわけではありません。それでも、適応コストを十分に抑えられれば、ハードウェア本体を製造する企業よりも高いソフトウェア的スケーラビリティを実現できる可能性があります。
レイヤー2|「身体」層(ハード+AI垂直統合)
身体部分を開発し、ハードウェア、制御AI、データ収集、現場導入までを垂直統合するレイヤーです。
米国では、Figure AIが2025年9月にシリーズCで10億ドル超を調達し、評価額は390億ドルに達しました(出典:Figure AI公式)。
中国勢では、UnitreeやAgiBotが、製品価格と生産規模の両面で存在感を高めています。Unitreeは低価格帯の四足歩行ロボットとヒューマノイドを展開し、2026年3月には上海証券取引所への上場を申請しました。AgiBotも2024年末から量産を掲げ、2025年には数千台規模を出荷したと報じられています(出典:KraneShares(Unitree IPO目論見書ベース))。TrendForceは、2026年の中国ヒューマノイド出荷でUnitree・AgiBotの2社が合計約8割を占めると予測しています(出典:TrendForceプレスリリース(2026年4月9日))。
このレイヤーの競争軸は「最も賢いロボット」を作ることではなく、価格、耐久性、安全性、現場でのデータ回収、量産立ち上げまでを一体で回せるかです。米国勢は基盤モデルや巨額資本を軸に、汎用性の高い知能と垂直統合型の製品開発を進めています。一方、中国勢は、部品サプライチェーン、低価格化、量産速度に加え、大規模な実機データ収集を強みにしています。両者の競争は「米国のAI対中国の製造」という単純な分業ではなく、知能、データ、ハードウェア、量産能力をどこまで一体化できるかを巡る競争です。
レイヤー3|開発・運用基盤層――シミュレーション、データ、フリート管理
ロボットの学習、検証、配備、運用を支えるソフトウェア基盤の層です。実世界での試行錯誤にはコストと危険が伴うため、シミュレーション、合成データ生成、学習データ管理、安全性評価が重要になります。実運用に入った後は、複数機体の状態監視、遠隔介入、ソフトウェア更新、稼働データの回収を担うフリート管理も必要です。
隣接領域の代表例が、Fei-Fei Li氏率いるWorld Labsです。最初の商用プロダクト「Marble」は、テキストや画像、動画から、探索・編集可能な3D世界を生成するツールです(出典:World Labs公式ブログ)。
こうした空間生成技術は、将来的にロボット学習用の環境生成やデジタルツインへ応用される可能性があります。ただし、現在のMarbleを、そのまま高精度な物理シミュレーターやロボット用World Modelとみなすことはできません。物理法則に沿った相互作用や、行動結果の正確な予測まで担えるかは、別途検証が必要です。
よりフィジカルAI開発に直接近い位置にあるのが、NVIDIAのCosmosです。NVIDIAはCosmosを、ロボティクス、自動運転、物理シーンの理解に向けたWorld Foundation Modelのプラットフォームとして位置づけています。実世界の動画データをもとに、物理的に整合した合成データや将来状態を生成し、モデルの学習・評価に活用する構想です(出典:NVIDIA公式ブログ)。
同じL3でも市場が立ち上がるタイミングは異なります。シミュレーション、合成データ生成、学習データ管理は、ロボットの大量普及を待たず、研究開発段階から需要が生じます。一方、フリート管理は、実運用される機体数が増えるほど価値が高まります。
いずれも、実世界での試行錯誤や運用に伴うコストを下げ、フィジカルAIの開発・配備を支える「見えないインフラ」になり得る領域です。
レイヤー4|コンポーネント・計算基盤層――フィジカルAIの「つるはし」
最後が、フィジカルAIを物理的・計算的に成立させるコンポーネントと計算基盤の層です。アクチュエータ、減速機、ベアリング、センサー、電池、エッジ半導体などが含まれます。特定のロボットメーカーの勝敗にかかわらず需要が生じ得るため、フィジカルAIにおける「つるはし」と位置づけられます。
Morgan Stanleyがヒューマノイドのバリューチェーンを整理した「Humanoid 100」には、減速機・直動部品・ベアリングのTHK、NSK、モーターのNidecなど、日本の精密部品メーカーが多数リスト入りしています(出典:Morgan Stanley "The Humanoid 100: Mapping the Humanoid Robot Value Chain")。
フィジカルAIの進化は、AIモデルだけでは決まりません。高トルク・小型・軽量なアクチュエータ、長時間稼働と安全性を両立する電池、リアルタイム推論を支えるエッジコンピュートと、それらを量産品質で供給するサプライチェーンがなければ、実世界には広がらないからです。電池領域でも、Samsung SDIが全固体電池でロボット需要を意識し、LG Energy SolutionがBoston DynamicsのAtlas向けにセルを供給するなど開発競争が始まっており(出典:McKinsey "Turning humanoid supply chain constraints into billion-dollar wins")、電池はロボットの稼働時間と用途範囲を左右する戦略部品になりつつあります。
L4は、個別の完成品メーカーを選び切らなくても、フィジカルAI市場全体の成長に投資できる領域です。ただし、「つるはし」であることがそのまま高収益を意味するわけではありません。汎用品は価格競争や完成品メーカーによる内製化にさらされるため、L4で高い価値を取りやすいのは、性能がロボット全体の能力を制約し、認証や共同設計を通じて顧客の設計に深く組み込まれた、容易に代替できないコンポーネントです。
したがってL4では、市場の成長性だけでなく、技術的ボトルネックを握っているか、顧客との共同設計がスイッチングコストになるかが重要です。
3. 各レイヤーの経済性――価値はどこに残るか
3.1 「ハード」に加え、「知能」にも巨額資金が流れ始めた
The ElecがPitchBookの「Q4 2025 Robotics & Physical AI VC Trends」を引用して報じたところでは、2025年のロボティクス/フィジカルAIへのVC投資額は276億ドルと、前年の137億ドルからほぼ倍増しました。うち、ロボット基盤モデルのスタートアップだけで22億ドル超が投じられています(出典:The Elec(PitchBook引用))。
ロボット本体を開発する企業だけでなく、異なるハードウェアや用途へ展開可能な「知能」そのものが、独立した投資対象になり始めています。背景には、基盤モデルを複数の機体や顧客へ横展開できれば、本体を一台ずつ製造・販売するモデルとは異なる、ソフトウェア的なスケーラビリティを実現できるという期待があります。
3.2 ハードは「個別部品」から「統合サブシステム」へ
一方で、ハード側も一枚岩ではありません。McKinseyは、単一部品を供給するだけでなく、アクチュエータ・モジュールやコンピュート/制御スタックのような統合サブシステムまで担うことが、部品メーカーにとってより大きな価値獲得機会になると分析しています(出典:McKinsey)。
自動車産業にたとえれば、個別のねじやベアリングを供給する企業よりも、パワートレインや制御システムのように、複数部品を統合して車両性能を左右する中核サブシステムを担う企業の方が、一般に大きな付加価値を取りやすい構図です。
McKinseyの試算では、アクチュエータはヒューマノイドのBOMの40〜60%を占める最大のコスト項目とされています。自動車部品大手Schaefflerが、NEURA Robotics、英Humanoid、中国Leju Roboticsと相次いでヒューマノイド向けアクチュエータ関連の提携を結んでいることも、標準が固まる前の段階から統合サブシステムに関与しようとする戦略の一例と見ることができます(出典:McKinsey・前掲)。
3.3 ただし「ハード=薄利」の通説には反例がある
もっとも、「価値はすべてソフトに寄る」と単純化するのも危険です。Unitreeは2025年に5,500台のヒューマノイドを出荷し、約60%の粗利率を確保したとIPO資料に基づき報じられています(出典:KraneShares)。
同社の高い粗利率には、主要コンポーネントの内製、低コストなサプライチェーン、研究・教育用途を中心とする販売構成など、複数の要因があると考えられます。少なくとも、ハードウェアであること自体が、必ずしも低粗利を意味するわけではありません。
したがって、Value Captureは「どのレイヤーにいるか」だけでは決まりません。そのレイヤーの中で、技術的なボトルネックや標準を握れるか、どこまで垂直統合できるか、そして価格決定力を持てるかにも依存すると言えるでしょう。
4. 汎用モデルはどこまで食うか――バーティカルデータがmoatになる条件
第3章で見た「価値がどのレイヤーに残るか」を最終的に左右するのが、この論点です。現場データを持つ者がAIの性能改善を継続的に先取りできるなら、Value Captureはデータ保有者に寄ります。逆に、汎用モデルと合成データだけで性能の大半を獲得できるなら、価値は計算資源とモデル開発者に寄ります。
先に本章の結論を述べると、広く観察可能で、環境をまたいで共通する能力ほど、汎用モデルに吸収されていきます。バーティカルデータがmoatになるのは、①実際にやってみないと得られないデータを、②継続的に、③単一現場に閉じない構造で集められる場合です。
以下、「汎用モデルの射程はどこまでか」→「その外に何が残るか」→「残った領域で何がmoatになるか」の順に見ていきます。
4.1 汎用モデルの射程――「観て学べるもの」は飲み込まれていく
まず、汎用モデル側の到達点を示す研究が、2026年に入って立て続けに出ています。
一つ目が、Meta FAIRとNew York Universityが2026年3月に発表した論文「Beyond Language Modeling: An Exploration of Multimodal Pretraining」です。同論文は、言語、動画、画像とテキストのペア、行動条件付き動画を含む多様なデータで、基盤モデルをゼロから事前学習する統制実験を行いました。
その結果、汎用的なマルチモーダル事前学習からWorld Modelingの能力が立ち上がることに加え、特定のナビゲーション課題では、ドメイン固有データの比率を事前学習全体の約1%まで増やした時点で性能改善がほぼ飽和しました。あらゆるタスクで「1%あれば十分」という意味ではありませんが、大規模で多様な汎用データが基盤能力を形成し、タスク固有データの限界価値を下げ得ることを示しています(出典:arXiv:2603.03276)。
二つ目が、NVIDIA GEAR Labなどが2026年2月に発表した「EgoScale」です。同論文は、2万854時間超のアクションラベル付き一人称視点の人間動画でVLAモデルを事前学習し、人間データの規模と検証損失の間にlog-linearなスケーリング則が成立すること、さらにその検証損失が実ロボットの下流性能と強く相関することを示しました。
決定的なのはその先です。大規模な人間動作データによる事前学習と、人間・ロボット間の動作表現をそろえる追加学習を経ることで、約100件の遠隔操作デモによる適応が可能になりました。さらに一部の新規タスクでは、限定された実験条件ながら、ロボットデモ1件だけのone-shot適応も実現しています。学習した運動の事前分布が、異なる身体構成のロボットにも転移した点を含め、実機側で必要となるデータ量を大きく減らせる可能性を示しています(出典:arXiv:2602.16710、NVIDIA Researchプロジェクトページ)。
この2本が共通して示すのは、大規模で多様な動画・人間行動データが物理世界に関する基盤能力を形成し、下流タスクで必要となる個別データ量を圧縮し得るということです。しかもEgoScaleが用いたのは、特定顧客のロボット稼働ログではなく、人間の日常動作を記録した一人称視点動画でした。大規模な収集・ラベリング体制は必要ですが、顧客現場へのアクセスや実機の大量配備を前提としない点で、従来のロボットデータよりスケールさせやすいデータ源です。
ここから引ける線は明確です。公開動画、シミュレーション、人間の動作データから学べる、環境横断的な認識・予測・運動能力は、汎用モデル側に集約されていきます。「自社には作業動画があるから、事前学習の勝負で勝てる」という発想は、少なくとも視覚と動作の対応づけを中心とするタスクでは成立しにくくなります。
4.2 汎用が届きにくい領域――「やってみないと取れないもの」
では、何が現場側に残るのでしょうか。汎用モデルの射程には、大きく二つの限界があります。
第一に、物理的な限界です。指先の微細な器用さに不可欠な接触や力覚のフィードバック、失敗からの復旧、現場固有の例外対応は、観察やシミュレーションだけでは完全に再現できません。実際に環境へ介入し、その結果を観測する必要があります。
第1章で見たKarpathy氏の「march of nines」が示す通り、信頼性を99%から99.9%へ引き上げる最後の桁は、実運用の中でしか磨きにくい領域です(出典:Dwarkesh Podcast(2025年10月))。
第二に、アクセスと制度の限界です。安全基準や規制そのものは公開されていても、現場で実際に採用される作業手順、例外時の判断、責任分界、監査対応、失敗と復旧の履歴まで、機械学習に使える形で公開されているとは限りません。
こうした情報は、実配備と顧客との関係、業務システムとの接続を通じて初めて得られます。ここではモデルの賢さだけでなく、誰が現場に入り、誰がデータへアクセスし、誰が実行結果に責任を持つかが競争力を左右します。
重要なのは、汎用モデルの進化がこの領域を消すのではなく、そこへの入場料を下げるという点です。少量の実機データで適応できるようになれば、現場アクセスを持つプレイヤーの導入コストは下がります。つまり汎用モデルの進化は、バーティカルプレイヤーにとって脅威であると同時に、最大の追い風でもあります。
4.3 moatになるのは現場データの「収集構造」
ただし、現場側に残るデータが、すべてmoatになるわけではありません。ここで効くのが、日経Roboticsが示す「ユーザーとしての立場」と「ベンダーとしての立場」の区別です(出典:日経Robotics 2026年7月号・前編)。
単一企業・単一業務に閉じた現場データは、ラストマイルの性能改善や自社工場の生産性向上には大きな価値を持ちます。ユーザーとして勝つには、それで十分です。
一方、ベンダーとして価値を取るには、その学習を他の顧客や現場へ再利用できる必要があります。汎用モデルの進化によって、現場ごとにゼロから集めなければならないデータ量は減っていくため、固定された過去データを一度保有しているだけでは、防御力は時間とともに低下します。
必要なのは、多数の現場・多様なタスクからデータを継続的に集め、それを共通モデルの改善へ戻し、全顧客の性能向上として返す構造です。Sacraは、Skild AIの事業モデルについて、顧客の実配備から得られる学習をグローバルモデルへ戻す「horizontal learning flywheel」を志向していると分析しています(出典:Sacra)。
もちろん、顧客データを横断利用できるかは、契約、データ所有権、機密性、規制、機体間のデータ互換性に左右されます。だからこそ、moatになるのは単なる導入台数ではなく、こうした契約や権利の設計まで含めて、学習可能なデータを回収・正規化し、共通モデルの改善へ速く還流できる仕組みそのものです。
まとめると、問いは「データを持っているか」ではなく、「やってみないと取れないデータ」を継続的に生み出し、それを単一現場に閉じず、他の現場へ転用できる形で蓄積できるかです。
この条件を日本のプレイヤーに当てはめるとどうなるか。それが次章の、日本の勝ち筋とスタートアップの戦い方につながります。
5. 地政学と日本の勝ち筋――その価値を誰が取るか
5.1 中国の構造優位は「コスト」ではなく「エコシステム」
中国の優位は、もはや価格だけの話ではありません。CNBCは、中国がヒューマノイドの導入・配備で大きく先行しており、西側企業の概ね半分程度のコストでロボットを生産していると報じています(出典:CNBC)。
その背景には、部品と材料の厚い供給網があります。ヒューマノイドのBOMで最大のアクチュエータの中核部品――ハーモニック減速機、プラネタリーローラーねじ、希土類磁石など――では中国サプライチェーンの存在感が非常に大きく、South China Morning Post経由の試算では、TeslaのOptimus Gen 2を中国サプライヤー抜きで製造した場合、BOMコストは約4.6万ドルから約13.1万ドルへ約3倍に膨らむ可能性があるとされています(出典:McKinsey)。レアアース供給でも中国は採掘の約69%、磁石の加工・精製の約90%を占めます(出典:McKinsey・前掲)。特許面でも、Morgan Stanleyが2025年12月に公表した最新調査「Robot Almanac」によれば、中国は過去5年間で7,705件のヒューマノイド関連特許を登録し、米国(1,561件)の約5倍に達しています(出典:South China Morning Post)
つまり中国の強さは「安く作れる」ことだけではなく、部品、材料、量産、政策支援、実証現場、特許蓄積が同じエコシステム内で回っていることにあります。この構造優位があるからこそ、低価格で市場を取りながら、量産データとサプライチェーン学習を同時に蓄積できるのです。
5.2 日本の強みは「部品」と「現場」
この中で、日本の立ち位置は中国や米国とは異なります。政府の官民投資ロードマップ素案によれば、日本は産業用ロボット市場(約0.8兆円)で世界シェア約7割を持ち、モーター、減速機、センサー等の主要部品でも高い競争力を有する一方、サービスロボット市場(約2.8兆円)でのシェアは1割強にとどまります。同素案は、アクチュエータ、モーター、減速機、蓄電池等の設計・製造能力の強化を、経済安全保障上の課題として掲げています(出典:内閣官房・日本成長戦略本部 官民投資ロードマップ素案)。
つまり、日本の国・大企業レベルの勝ち筋は比較的明確です。
第一に、Morgan Stanleyの「Humanoid 100」に並ぶような高精度コンポーネントを、単体部品から統合サブシステムへ進化させること。第二に、世界シェア7割を持つ産業用ロボットの現場網を生かし、工場・物流・インフラといった構造化環境で、実装・運用の知見を蓄積することです。
中国が「量産エコシステム」で勝つなら、日本は「高信頼コンポーネント」と「産業現場での実装知」で勝つ。この非対称なポジションを取れるかが、日本のフィジカルAIにおける勝ち筋だと考えています。
5.3 スタートアップはどこで戦うべきか
前述した高精度コンポーネントや統合サブシステムは、日本全体としては有望でも、Schaeffler、Bosch、THK、Nidecら大手企業の主戦場であり、資本集約的で量産品質・顧客基盤・サプライチェーンの蓄積がものを言います。例外はあり得ますが、新規スタートアップが真正面から割って入る余地は大きくないと考えています。
その前提で、スタートアップの選択肢を4つに整理します。判断軸は必要資本の大きさと、持続的な防御力を作れるかです。後者については、第4章で整理した通り、汎用モデルでは代替しにくいデータを継続的に取得し、単一現場に閉じず製品改善へ還流できるかが重要になります。
選択肢1|L1ブレイン(基盤モデル)への正面参戦
最も非線形なリターンが狙える一方、最も資本集約的な戦場です。
第4章の整理で言えば、L1参戦とは「観て学べるもの」の領土を計算資源と汎用データの規模で取りに行く勝負であり、だからこそ純粋な資本競争になります。Skild AIやPhysical Intelligenceの調達額が示す通り、このレイヤーに正面から参戦するには、参戦チケットだけで数百億〜数千億円規模の資本が必要になります。
日本と米国ではVC市場の規模や機関投資家からの資金流入に大きな差があります。したがって、L1に挑む日本発スタートアップは、国内資本だけで完結する前提を置かず、研究、人材、顧客、資金調達のすべてをDay 1からグローバルに設計する必要があります。
選択肢2|L2ボディ
L2ボディは、ロボット本体を握ることで、ハードウェア、制御AI、データ、保守・運用まで広い収益機会を取りに行けるレイヤーです。一方、汎用ヒューマノイドで中国勢の量産力や、Figure AI、Teslaなどの資本力と正面から競うのは、日本のスタートアップにとって分の悪い戦いです。
勝機があるとすれば、汎用的な人間型を目指すのではなく、特定の環境や作業に身体を最適化することです。たとえば、防爆、クリーンルーム、狭隘空間、高温・高湿、放射線環境など、人間が入りにくく、既存の汎用ロボットも使いにくい領域です。
ただし、特化型ハードウェアを売り切るだけでは、価格競争や模倣にさらされます。導入後も保守、遠隔介入、稼働データの回収、継続的な性能改善まで担い、ハードウェアを運用型のビジネスへ転換できるかが重要です。
選択肢3|現場データ×運用力のバーティカル層
私が最も有望だと考えるのが、この領域です。L1や汎用ヒューマノイドに比べて必要資本が小さく、日本の産業集積と現場アクセスを生かしやすいためです。
第4章で見た通り、汎用モデルの進化は、この層にとって脅威であると同時に追い風です。汎用モデルが賢くなり、少量の実機データで適応できるようになるほど、現場導入の初期コストは下がります。
ただし、その恩恵は競合にも及びます。したがって、単に特定業界へ汎用モデルを持ち込むだけでは防御力になりません。勝つためには三つの条件があります。
第一に、「やってみないと取れないデータ」を伴う業務を選ぶこと。接触、力覚、失敗、復旧、例外対応など、動画やシミュレーションだけでは再現しにくいタスクほど、現場で得られるデータの価値が残ります。
第二に、現場へのアクセスと運用責任が参入障壁になる業界を選ぶことです。規制、安全認証、責任分界、保守体制が重要な領域では、公開情報を学習しただけのモデルは、そのまま業務を担えません。顧客との信頼関係、業務システムとの接続、導入後の責任体制まで含めて初めて参入できます。
第三に、顧客ごとの学習を共通製品へ戻す構造を、最初から設計することです。単一現場のデータにも価値はありますが、その学習が一社専用のカスタマイズに閉じれば、ベンダーとしてのスケールにはつながりません。単なる受託開発やSIではなく、複数の現場から得た失敗、例外、復旧、成果を共通化し、次の導入を速くする必要があります。
日本には、この改善ループを作るうえで比較優位があり得ます。Preferred Networksの岡野原大輔氏も、日本企業が持つ現場データがフィジカルAIにおいて決定的な差になることは難しいとしつつ、日本には産業集積があり様々な現場データを集めやすいこと、データ収集設計・実証先・導入先が多く改善ループを作りやすいという面では比較優位があり得ると指摘しています(出典:日経Robotics 2026年7月号・前編より引用)。
つまりこのレイヤーの勝ち筋は、現場データを保有することではなく、業務設計、ロボット運用、安全要件、遠隔介入、継続改善まで含め、現場実装そのものを再利用可能なプロダクトへ変えることです。
選択肢4|開発・運用基盤――複数の機体と現場をつなぐ
もう一つの有望領域が、第2章のL3に当たる開発・運用基盤です。具体的には、フリート管理、データパイプライン、安全性評価、シミュレーション、遠隔監視、人間による例外介入、運用ログの構造化などが含まれます。
この層は、フィジカルAIの「見えない配管」です。ロボット本体を製造する必要がなく、研究開発段階から需要があるため、比較的少ない資本で始められます。
選択肢3との違いは、出発点にあります。選択肢3は特定業界の業務成果から入り、現場実装を共通製品に変えていく戦略です。選択肢4は、複数のロボットを安全かつ効率的に開発・運用するための共通基盤から入ります。
一方で、両者は補完関係にあります。フリート管理や運用ログの構造化は、複数現場から学習を回収するための技術基盤です。ミドルウェアとして多数の現場へ入り込み、そのデータを許諾と標準化の下で製品改善へ戻せれば、単なる「つるはし売り」を超えた防御力を作れます。
まとめると、日本のスタートアップにとって相対的に再現性が高いのは二つです。選択肢3の、特定業界の現場実装をプロダクト化するバーティカル戦略。そして選択肢4の、複数の機体と現場をつなぐ開発・運用基盤です。
いずれも、日本の産業現場へ入り込めることを出発点としながら、顧客ごとの学習を単発の受託に閉じず、横断的な製品改善へ変えることが条件になります。
中国の量産力や米国の資本力と同じ土俵で競うのではなく、日本の産業集積を、再利用可能なデータとソフトウェアへ変換する。これが、日本のスタートアップにとって最も現実的で、同時に大きな価値を取り得るフィジカルAIの勝ち筋だと考えています。
まとめ――「いつ来るか」より「どこに張るか」
本稿の要点は3つです。
第一に、フィジカルAIの時間軸は、用途ごとに分けて考える必要があります。工場や空港のように環境を管理しやすく、失敗コストを抑えやすい領域では、BMW工場での実運用や、JALによる羽田空港での実証など、導入に向けた動きが始まっています(出典:Figure AI、JALプレスリリース)。一方、家庭や開放環境で、人間に近い汎用性を持つロボットが広く普及する時期については、2030年代を見据えても不確実性が大きい。Brooks氏らによるdexterityへの懐疑は、特にこの後半の時間軸に対する警鐘として受け止める必要があります。
第二に、価値は単純に「ハードからソフトへ移る」のではありません。複数の身体や用途へ展開できるL1の基盤モデルや、開発・運用を横断的に支えるL3には、ソフトウェア的なスケーラビリティが期待されています。一方、Unitreeの事例が示すように、ハードウェアであること自体が低収益を意味するわけではありません。主要部品、量産、データ収集、現場導入までを深く統合できれば、ハード側でも高い収益性を実現し得ます。また、アクチュエータ・モジュールやコンピュート/制御スタックのような統合サブシステムは、ハード側に残る重要な価値獲得領域です。Value Captureを決めるのは、レイヤーだけでなく、その中で技術的なボトルネックや標準、価格決定力を握れるかです。
第三に、データの価値を分けるのは、単なる保有量ではなく「取得と還流の構造」です。公開動画やシミュレーションから学べる、環境横断的な認識・予測・運動能力は、汎用モデル側へ集約されていきます。一方、接触、失敗、復旧、例外対応、制度上の判断など、実際の介入を通じて初めて得られる学習信号は、現場側に残ります。ただし、それも単一現場に閉じたままでは持続的なmoatにならず、複数の顧客・現場から継続的に集め、共通の製品改善へ戻す構造が要ります。
この基準を日本に当てはめると、国・大企業レベルの勝ち筋は、高精度コンポーネントを統合サブシステムへ進化させることと、産業現場で実装・運用の改善ループを回すことにあります。
スタートアップにとって相対的に有望なのは、その改善ループ自体をプロダクトにする二つの戦場です。一つは、特定業界の複数現場から学習を集め、業務設計、ロボット運用、安全要件、継続改善までを提供するバーティカル層。もう一つは、複数の機体や現場をつなぎ、データ収集と運用を支える開発・運用基盤層です。L1の基盤モデルにも大きな機会はありますが、世界水準の研究力と、成長段階に応じてグローバル資本を取り込める設計が前提になります。
フィジカルAIが到来する前提で、どの地点に、どの構造で張るか。日本には、コンポーネントの蓄積と産業集積という固有の強みがあります。それを「現場データ神話」に安住する材料ではなく、意図的なデータ収集網と資本設計に転換できるか。ここが、次の数年の分岐点だと考えています。
(注:本記事に記載の数値・日付・ファクトは、2026年7月12日時点で確認できた公開情報に基づき、各所に出典を明記しています。本記事は筆者個人の見解・分析を含むものであり、筆者が所属する企業・団体の公式見解を示すものではありません。また、特定の投資判断や事業判断を推奨するものではありません。)

