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できていない私が、書く理由。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
スキやコメント、フォロー、本当に嬉しいです。
ひとつひとつ、大切に読んでいます。

本当は、お一人お一人の手をとって、目を見て「ありがとう」と言いたいです。
それくらい、届いていることが嬉しいです。



正直に言います。
私はいつも、noteでそれなりに大層なことを書いています。

「自分の時間をちゃんと守ろう」とか。
「無理する前に休んでいい」とか。

書いていることだけ読むと、
“分かっている人”みたいに見えるかもしれません。

でも現実の私は、全然そんなことありません。

スマホをだらだら見て、寝る時間がどんどん遅くなったり。
もうヘトヘトなのに、頼まれごとを断りきれなかったり。
「そろそろ休もう」と書いたその日の夜に、がっつり夜更かししていたりもします。

私生活を知っている人が読んだら、きっとこう思うはずです。
「いやいや、全然できてないやん」と。



たとえば私は、
「自分の時間を先に確保しよう」と書いたことがあります。

でも現実は逆で、
人の予定に合わせて動いてしまって、
強く意識しないと自分の時間は後回しになることがほとんどです。

「ちゃんと休む勇気も必要」とも書きました。
でも実際は、
気づいたら休むタイミングが分からなくなるまでがんばってしまうことの方が多い。

頭のどこかでは、
「人に頼っていいんだろうな」と分かっているはずなのに、
めったに人に頼りません。

そもそも人に頼ること自体が、選択肢にあがってこないタイプです。

書いていることと、やれていないこと。
その差は、想像以上に大きいなと思います。



だから、よくこう考えます。

「こんなにできてないのに、偉そうじゃない?」
「私、自分でできてないのに書いていいのかな?」
「自分で自分の首を絞めてるだけなんじゃない?」

正直に言うと、
記事を書くたびに、こういう声が頭の中でざわざわします。

この声が大きくなりすぎて、
書く前に手が止まる日もあります。



ただ最近、ひとつだけ気づいたことがあります。

私はずっと、
「できてる/できてない」を0か100かで見ていました。

100続かなかったら0。
3日続いて、4日目で崩れたら0。
「結局、私はこうだよね」でまとめてしまう。

でも本当は——

100のうち「1だけできている日」も、ちゃんとある。

そのことを、少しずつ認められるようになってきました。

いつもなら全部引き受けていた仕事を、
「ここだけはお願いしてもいいですか」と一言だけ頼めた日。

5分だけでも、スマホのアプリを閉じて、
キッチンまで水を飲みに立てた夜。

「また抱え込んでるな」と気づけた、その“気づきそのもの”だって、
本当は0ではないはずです。



前は、
できてないところを見つけると、すぐ「責める」に行っていました。

「ほら、またやってない」
「だからダメなんだよね、私」

責めると、一瞬はスッキリします。
「ちゃんと反省した私」というポジションに、落ち着けるからです。

でも、そこで終わってしまう。

責めることで安心して、
そのあと、何かを変えるところまでいかない。

責めるって、ある意味とても“完結しやすい”んだと思います。
そこで物語が終わるから。

だから最近は、
「責める」よりも「把握する」方に意識を向けてみようとしています。

今日の私は100のうちどの辺にいる?
0なのか、1なのか、20くらいはあるのか。

いまの自分の位置を、
できるだけ正確に眺めてみる。

責めてしまうと「ここで終わり」になるけれど、
位置を認識できると「ここからどうする?」が始められる気がしています。



じゃあ、そんな中で、なぜ私は書くのか。

それは、
「できない自分」を隠して成功談だけを書くよりも、
「できていない自分ごとテーブルに乗せて書く」方が、
自分に対していちばん正直でいられるし、
そのほうが結果的に、読んでくれる人にとっても
いちばんリアルな現実だと思うからです。

私が書いているのは、
完璧な人の正解ではなくて、
途中の人の記録です。

つまずいたところも、
何度も戻ったところも、
ゆっくり進んだ日も、
後ろに下がった日も。

その全部を含めたまま、
それでもどこかで「まだ終わりにしたくない」と感じている自分の記録です。

イタイ、イタイわ、と思いながら自分で自分に向かって書いています。

記事を書くたびに、
「ほら、また同じところで止まってるよね」とか、
「それでも今日はここまでは来てるよ」とか、
自分で自分に向かって言い聞かせている感覚に近いです。

たぶん私は、「進みたいから書いている」というだけじゃないのだと思います。

書きながら、自分に「これでいい?」と問いかけ続けているから、
少しずつでも、立っている位置がずれていく。

同じ場所に立ち止まっているように見える日も、
昨日とまったく同じ気持ちで立っているわけではありません。

昨日よりほんの少しだけ、
自分を見る角度が変わっていたり、
「ここまでは出来てたな」と言える範囲が変わっていたりする。

今日できなかったことに気づいて、「ああ、できなかったな」と後悔することも、
「じゃあ、明日はどこまでならやれそう?」と
自分に聞き直すための、小さな足がかりみたいなものだと、今は思っています。



きっと私はこれからも、
何度も同じところでつまずくことでしょう。

また抱え込みすぎて、
夜に「またやってるな」と落ち込む日もあるはずです。

それでも、その中に、
100のうち1だけでもできたことがあったなら、
できなかった自分だけじゃなくて、その1も一緒に見てあげたい。

0か100かで自分を裁くのではなく、
「いまはこの辺にいるな」と
自分の位置を把握しながら進んでいくこと。

私はその途中経過を、
これからもここに置いていこうと思います。

読んでくださり、ありがとうございました。

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