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確認しただけなのに、私が担当になる。


確認しただけなのに、私が担当になる。——その構図がしんどい

電話しなきゃいけないのに、手が動かない日がある。別に忙しいわけでもない。時間がないわけでもない。スマホは目の前にある。番号も分かってる。

なのに、指が止まる。

「やる気が出ない」たぶん、いちばん言いやすい言葉はそれ。

でも、ほんとに“やる気”の問題なんだろうか。
今日は、そこを見つめた話です。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。スキやコメント、フォロー、本当に嬉しいです。ひとつひとつ、大切に読んでいます。…今日も感謝の気持ちをここに置いていきます。




「確認しただけ」なのに、窓口が自分になる

私の場合、きっかけは“電話”でした。

用件は単純。確認したいことがあるだけ。別に揉めてないし、怒ってもいない。大ごとでもない。

それなのに、電話しようとすると体が引ける。

頭の中ではこう言ってる。

「いや、確認するだけだよ?」「確認して、終わり」「すぐ済む」「やれば楽になる」

……なのに、やれない。

この“やれなさ”って、たぶん外から見たら不思議だと思う。「さっさと電話すればいいのに」って。

私も思う。思うけど、動けない。

その理由が、今日やっと言葉になりました。

電話って、こちらからかけた瞬間に、空気が変わることがある。

電話をかけた瞬間、頭のどこかで思う。
「あ、これ…私が窓口になるやつだ」って。

「確認した人」が、窓口になる。「動いた人」が、担当になる。

確認のつもりで前に出たのに、次の瞬間から「担当者としての顔」を求められる。そういうルートに入ることがある。

その予感が、電話を持った瞬間、もう出てる。




やる気が出ないんじゃなくて、「担当者になる気がする」のが嫌だった

私の“やる気が出ない”は、これでした。

電話をかける=自分が主体になる=自分が責任を負う側に回る

このセットが、勝手に発動する。

もちろん、現実にはそんなに重い責任じゃないこともある。むしろ、ただの確認で終わることもある。

でも、私の中ではこう感じてしまう。

「この電話をしたら、私が動かす人になる」
「この電話をしたら、相手は“私に”返してくる」
「この電話をしたら、次の段取りまで私に返ってくる」

…これ、一回“そのルート”を踏んだことがあると、体が覚える。

だから、電話の前で止まる。

怠けてるんじゃなくて、「投げられた気分になる」のが嫌で、止まってる。

ここまで言葉にできた瞬間、私はちょっと安心しました。

「あ、私、やる気がないんじゃないんだ」
「“担当者化”が嫌なんだ」




そもそも、私が「確認したくなる」根っこ

もう一つ、気づいたことがあります。

私が「確認しておこう」と動きたくなる根っこに、“優しさ”だけじゃないものが混ざってる。

未来への不安。

最悪の妄想が膨らむ前に、確かめて安心したい。不安を小さくしたくて、確認したい。

だから私は、確認に走る。

でも、その確認が、担当者化の入口になることがある。

不安を消すために動いたのに、動いたことで「担当」が乗ってくる。

そして担当が増えると、また不安が増える。

…もし思い当たったら、たぶん同じループにいる。




まだ「不安」って言葉に気づけなくても大丈夫

ここ、いちばん言いたい。

たぶん多くの人は、最初はこう感じると思う。

「腰が重い」
「気が進まない」
「やる気が出ない」
「なんか嫌」

それでいい。その段階で止まってる自分を責めなくていい。

やる気の問題に見えるけど、その奥に「嫌だ」「怖い」「投げられたくない」が混ざってることがある。

今日の私は、電話の前で止まって、ようやくそれが見えた。




次回予告:押し付けられてるだけじゃない、「もらいに行ってる」時もある

ここまで書いておいて、もう一つだけ。

「押し付ける相手が悪い」それで終わらない話も、たぶんある。

私も、ある。

不安があるから、先回りして、根回しして、予防策を打って、結果として“担当者の席”に自分から座ってしまう時がある。押し付けられてるようで、私が“もらいに行ってる”時もある。

次回は、その瞬間をもう少し分解します。



「“確認しただけ”のつもりが、責任まで乗ってくる感覚」——もしここが刺さったら、次の2本もつながります。



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