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「なんでいつも、私が引き取るんだろう。」——それ、昔の警報装置かもしれない

相手が困っている気配がすると、なぜか私のほうが落ち着かなくなることがある。

機嫌が悪い人。
話が通じない人。
自分の問題なのに、なぜかこちらが何とかする前提で寄ってくる人。

本来なら、その人が向き合うべきことのはずなのに。
気づくと私のほうが考え込み、動き、丸く収めようとしている。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
スキやコメント、フォロー、マガジン追加も、本当に嬉しいです。
ひとつひとつ、大切に読んでいます。
…今日もここに置いていきます。


頼まれたわけでもないのに、
「私がやったほうが早いかも」
「このままだと面倒になりそう」
そんなふうに、つい引き取ってしまう。

そしてあとから、ふと思う。


なんでいつも、私が引き取るんだろう。


相手が替わっただけ、なのかもしれない

最近、あることに気づいた。

もしかしたら私は、今の相手を見て反応しているというより、

昔の空気に反応しているのかもしれない。

子どもの頃、親の機嫌や空気に敏感だった人は少なくないと思う。

怒らせないようにする。
空気を読む。
先回りして火種を減らす。
丸く収める。

そうやって、その場をなんとか回す役を引き受けていた人もいる。

もちろん、そのときは必死だっただけだ。
「生き延びるための動き」と言ってもいいかもしれない。

でもその回路が残ったままだと、
大人になって相手が親じゃなくなっても、
似た空気を出す人の前で同じ動きが起きることがある。

不機嫌な人。
雑に投げてくる人。
責任をずらしてくる人。

相手は替わっているのに、

私のほうが昔の役割に戻ってしまう。

拾いに行く相手が、
親から別の誰かに替わっただけ。

そんなこともあるのかもしれない。


私の中の「警報装置」

こう考えると、少し腑に落ちることがある。

もしかしたら、私の中の反応は「性格」だけじゃない。

生き延びるための警報装置みたいなものかもしれない。

危ない空気。
不機嫌な気配。
責任を押しつけられそうな雰囲気。

そういうものを察知すると、
私の中のセンサーが先に反応してしまう。

「何とかしなきゃ」
「丸く収めなきゃ」
「引き取ったほうが安全かも」

そうやって体が先に動く。

それは弱さでも、甘さでもなくて、
たぶん昔の私を守ってくれていた反応だ。

ただ、ひとつだけ違うことがある。


今はもう、毎回それを使わなくても生きていける場所にいる。


古い地図を握ったまま歩いている

そんなふうに考えたとき、
もうひとつ浮かんできた比喩がある。

私はもしかしたら、


もうその地図じゃなくても歩ける場所で、

古い地図を握ったまま歩いているのかもしれない。

昔は、その地図が必要だった。

どう動けば安全か。
どこで空気を読むべきか。
どこで引き取れば火が消えるか。

その地図があったから、
乗り越えてこられたこともきっとある。

でも今は、同じ地図じゃなくても歩ける場所が増えている。

それでも昔の反応が残っていると、
必要以上に背負ってしまうことがある。


まずは「気づく」だけでもいい

だからといって、いきなり全部やめるのは難しい。

長い時間をかけて身についた反応だから、
簡単には抜けないのも自然だと思う。

でも、ひとつだけできることがある。

それは、

「今、警報装置が鳴っているだけかもしれない」

と気づくこと。

この状況は本当に危険なのか。
それとも、昔のセンサーが反応しているだけなのか。

そして、もうひとつ。

これは私が背負う話なのか。
それとも相手の課題なのか。

その確認が一度入るだけで、
少しだけ立ち位置が戻ることがある。

私はずっと、引き取るのが当たり前だと思っていた。

でも本当は、

引き取らないという選択もあってよかったのかもしれない。

昔の私には必要だった生存戦略も、
今の私には毎回使わなくてもいいのかもしれない。

そう思えた日は、
ほんの少しだけ肩の力が抜ける気がする。



もしよければ一言だけ。
この記事を読んで、いちばん「それ私かも」と思った一文はどこでしたか。
(読むだけでも、もちろん大丈夫です)



今回の話は、
「なぜ私はつい引き取ってしまうのか」という内側の反応の話でした。

でも実際の場面では、
気づくともう一歩進んで、

「助けたつもりが、私が担当になっている」

そんなことが起きることもあります。

その“席替え”が起きる瞬間については、こちらの記事でも書いています。

実際の場面でどう線を引くかは、こちらの記事に書いています。

👉 「え、なんで私が焦ってるんだろう。」——席替えを止める


そしてもうひとつ。

そもそも相手によっては、
どれだけ丁寧に説明しても話が噛み合わないことがあります。

それは、理解力の問題というより、

会話の「目的」自体が違う

「話せば分かるはず」と思って疲れてしまうときの構造については、
こちらの記事に書いています。

👉「話し合えばわかるはず」——なのに通じないのは“目的”が違うから


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