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「ちゃんと説明しないと、私が悪いことになる」責められないように動いていた私


誰かと話している時、まだ責められてもいないのに、説明が増えることがある。

「でも、私はちゃんとやった」
「それには理由があった」
「私だけのせいではない」

実際に口に出すこともあれば、言葉にはしなくても、頭の中で弁明していることもある。

なぜ、私はこんなに説明したくなるのだろう。

先日、ふと気づいた。

私は、嫌われないように生きてきたわけではなかった。

それよりもずっと強く、
責められないように生きてきたのだと思う。

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根底にあったのは「私は悪くない」


私の中に強くあったのは、

「私は悪くない」
「私を責めないで」

という防御だった。

何かを言われる前から、自分が悪いことにされる可能性を感じ取っている。

だから、先に理由を説明する。
誤解されない言い方を探す。
ここまでやったのだから、私の落ち度ではないと示せる状態にしておく。

自分を責めているというより、説明することで、相手に責めるのをやめてもらおうとしていたのかもしれない。

正しい答えを探しているようで、
本当は、私が悪いことにならない答えを探していた。

正解ではなく、無罪を探していたのだと思う。

責められないために、先に合わせる

この防御は、言葉だけではなく、行動にも表れていた。

頼まれたことを断らない。
相手の希望を先にかなえる。
何か言われないように、抜けなくやる。
あとから説明を求められても困らないように、全力を尽くす。

そこに「私はどうしたいか」がなかったわけではない。

ただ、それより先に、

「これをしておけば責められないか」
「この言い方なら悪く受け取られないか」

という基準が置かれていた。

この動きを整理している中で、
AIが「予防的服従」という言葉を出してくれた。

正式な心理学用語ではない。

責められてから従うのではなく、
責められないように、先に相手へ合わせておく。

今の私の動きを、よく表している言葉だと思った。

以前、私は自分の中にある「奴隷マインド」に気づいたことがある。

相手の言うとおりにしておけば、責められずに済む。
全面的に従えば、自分の非にはならない。

その感覚とも、きれいにつながった。

私はただ、真面目で全力だったのではない。

全力でやったという証拠をつくることで、
「私は悪くない」と守ろうとしていたところもあったのだと思う。

問題が起きた後は、自分の落ち度を探す

一方で、私は何か問題が起きた時、自分の落ち度を探すことも多い。

「私は悪くない」と思っているのに、自分の非を探す。

一見すると、矛盾しているように見える。

けれど、私の中ではつながっていた。

相手にも問題があると思えば、本来は相手に何かを伝える必要がある。

私は嫌だったと伝える。
こちらの希望を伝える。
相手がどう反応するかを引き受ける。

それは、私にとって負荷の大きいことだった。

けれど、

「私にも落ち度があった」
「だから、こうなったのも仕方がない」

と自分の中で着地させれば、相手に働きかけなくて済む。

自分の非を認めていたというより、
自分の非にしておけば、相手を動かさなくて済んだのだ。

人がどう反応するかは、私には決められない。

けれど、自分の落ち度なら、自分で見つけられる。
自分が折れれば、自分の中だけで話を終えられる。

だから、自分の落ち度は、
問題を一人で終わらせるための落とし所になっていたのだと思う。

弁解がにじむ時に、見てみたいこと

会話の中で、説明が増える。

頼まれていないのに、理由を並べる。

何か言われる前から、自分の正しさを証明したくなる。

そんな時、私はまた、

「私は悪くない」
「私を責めないで」

と身を守っているのかもしれない。

弁解する自分を、さらに責める必要はないと思う。

それも、責められないように身を守ってきた反応なのだと思う。

ただ、

いま私は、伝えたいことを話しているのか。
それとも、悪くないことを証明しようとしているのか。

そこが見えるだけでも、少し違う。

責められない答えを探している時には、
自分がどう感じているかも、
どこまでなら引き受けたいかも、
見えにくくなっていることがある。

すぐに弁解をやめなくてもいい。
すぐに相手へ何かを言えなくてもいい。

まずは、

「私は今、責められないために動いているのかもしれない」

と気づく。

その時初めて、責められない答えだけではなく、
自分が選びたい答えも視界に入ってくるのだと思う。

よければ一言だけ。いまのあなたにいちばん近かった一文、どれでしたか。(読むだけでももちろん大丈夫です)

▼あわせて読みたい

責められたように感じた瞬間、「また私が悪いの?」と反論したくなることがあります。

それは反省を拒んでいるのではなく、まず自分を守ろうとしているのかもしれません。

「私は悪くない」と強く思う時の内側について書いた記事です。

すぐに答えや解決策を探す前に、「私は今、何をしているんだろう」と見てみる。

責められないために説明しているのか、相手に合わせているのか。

自分の現在地に気づくことについて書いた記事です。

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ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。


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