野球部を3年で見限った私が、いまトップダウンを練習している~自律分散の信念と限界~
株式会社Unyte CEOの上泉です。
前回は、高2の冬の出来事をきっかけに「人間を生活のための苦役労働から解放する」を人生のテーマにするまでの話を書きました。今回はもう一つの原点、組織観の話です。
先に結論を書きます。自律分散(=各自が自分のパートを果たしていれば、手段は問わない組織のあり方)は、私の本気の信念です。その信念に導かれて、私はDAOの会社を作りました。一方で最近は、自律分散は「何かを成し遂げる手段」としては万能ではない、とも考えるようになりました。信念は信念として持ち続けながら、トップダウンで決め切る力を、克服すべき弱点として練習する。今回は、この両方を認められるようになるまでの話です。
朝6時の電車と、させてもらえなかった打撃練習
私は中学で野球部に入っていました。朝練があったので、毎日6時すぎには家を出る生活です。それを3年間続けた末に出した結論は、「自分は野球部に向いていない」というものでした。
野球そのものが嫌いだったわけではありません。向いていなかったのは、組織のあり方のほうです。たとえば、自分の課題はバッティングだから、その練習に時間を使いたい。しかしその日、全体で守備練習をやると決まれば、それに従うしかありません。個人の課題や意図よりも、常に全体最適が優先される。自分なりに考えて立てた計画が、自分の外側で決まった方針に上書きされていく。あの構造に、私はどうしてもなじめませんでした。
加えて、理不尽に怒られることへの強い抵抗もありました(この話は以前、「怒らない。でも、黙らない。」という記事で詳しく書きました)。合理的な理由もなく、意図を持って取り組んだ活動の方向を強制的に変えられる。振り返るとこの2つはつながっていて、要するに私は、「全体のために個が黙って従う」というピラミッド型の統治そのものが苦手だったのだと思います。
軽音部は、いま思えばDAOだった
高校では軽音部に入りました。父の影響で中学2年の頃からギターを弾いていて、これはとても楽しいという感覚があったためです。そしてこの軽音部が、野球部とは何もかも逆の組織でした。
練習は必須参加ではなく、メニューも自分で決められます。求められることはただ一つ、集まる日に自分のパートがしっかりできていること。それさえ果たせば、どこでどう練習するかという手段は一切問われません。この環境が自分の気質に驚くほど合っていて、学内のライブはもちろん、外部のライブハウスでのライブにも積極的に参加するほど、力を入れて活動することができました。
後年、DAO(分散型自律組織)という概念に出会ったとき、真っ先に思い出したのがこの軽音部です。野球部をピラミッド組織だとすれば、軽音部はまさにDAOに近い。各自がパートを果たせば、手段は問わない。私の組織観の原型は、この野球部と軽音部の対比にあります。
だから私は、DAOの会社を作った
大学を出てパナソニックで働いていた頃、世の中ではweb3が大きな盛り上がりを見せていました。私もいくつかのDAOに参加し、NFTを買い、その世界に浸かっていきました。
DAOに惹かれた理由は、いま振り返れば明確です。それが「軽音部」だったからです。上長の承認ではなく、各自の自律的な活動で物事が進んでいく。所属や肩書きに関係なく、自分のパートを果たした人が組織を動かしていく。それは自分の価値観に合っていただけでなく、自分が将来作りたい世界の1つの理想像のようにも思えました。そこで私は、勤務時間の外でDAOを支援するツールを作り始めました。
そんな折に、ゼミの先輩からベンチャーキャピタルのEast Venturesを紹介してもらいました。やりたいことやビジョンを面白がっていただき、「フルタイムでやるなら出資する」と言っていただけたこともあり、社会人1年半ほどでパナソニックを辞めて起業しました(この決断の話は、来週改めて書きます)。中学で覚えた違和感と、高校で見つけた理想が、そのまま事業になった。価値観と仕事が完全に一致した、幸福な起業だったと思います。
現場で見えた、自律分散の2つの課題
ところが、です。DAOの運営を支援するツールを提供しながら、複数のDAOやコミュニティとガバナンスのあり方を議論する日々の中で、理想像であるはずの自律分散が現場でうまく回っていない場面を、数多く見ることになりました。
課題は大きく2つありました。
1つ目は、意思決定の遅さです。多くのDAOは投票によって意思決定を行いますが、起案から投票の呼びかけ、結果の確定、実行への反映まで、1つの変更に1ヶ月以上かかることも珍しくありません。一方で、株式会社であれば責任者が意思決定をすればすぐに着手できます。変化の速い新興分野で戦うことの多いDAOにとって、この差は致命的でした。
2つ目は、貢献に報いる仕組みの欠如です。そもそも誰がどんな貢献をしているのかが見えず、貢献に対応する報酬の基準も定まっていない。株式会社であれば給与で報われるはずの貢献が、多くのDAOではボランティアで成り立ってしまっている。その結果、熱意を持って参加した人が、手応えを得られないままモチベーションを失い、静かにフェードアウトしていく。そういう光景を何度も見ました。
信じている組織のかたちが、信じているだけでは回らない。これが、現場に立って初めて分かったことでした。
「分散か集権か」ではないはずだ

では、どうすればいいのか。中央集権に戻せば意思決定は速くなりますが、それでは一般的なピラミッド組織への逆戻りで、本末転倒です。分散性を守って停滞し続けるか、速さのために集権へ戻るか。この二択に対して、2023年の年明け、私は人生で初めてのnote記事を書き、第三の道を提案しました。ティール組織の意思決定モデルを、DAOに持ち込むというものです。
ティール組織の議論では、全員のコンセンサスで意思決定しようとする組織の課題が、「物事がいつまでも決まらない、集団的なエゴの嵐」と表現されます。初めて読んだとき、耳が痛くなりました。まさに現場で見ていた光景そのものだったからです。
その処方箋が「助言プロセス」でした。原則として、誰がどんな決定を下してもよい。ただし決定の前に、すべての関係者と専門家に助言を求めなければならない。助言を取り入れる義務はないものの、真剣に検討する必要はある。つまり、全員の合意という薄い妥協を目指すのではなく、決定の主体を個人に残したまま、独断だけを禁じる設計です。私はこれをDAO向けに具体化して、取り組みたい内容を起案し、助言したメンバーが起案に電子署名を行い、必要な数の署名が集まり次第確定して実行する、という仕組みを提案しました。全体投票よりも圧倒的に速く、それでいて分散性は保たれます。
この提案は、いまでも理想形の1つだと思っています。ただ、正直に書くと、当時の私にはまだ見えていないことがありました。仕組みをどれだけ磨いても、それだけでは解けない問題が残る、ということです。
信念と弱点を混同していた
会社を経営する立場になって痛感したのは、成果を出すべき局面では、誰かがトップダウンで決めて進めることがどうしても必要になる、という現実でした。全員が腹落ちするまで待てない場面、選択肢を捨てて1つに絞らなければならない場面は、事業をやっていれば必ず来ます。そして私は、それがとても苦手でした。
このシリーズの初回に書いたとおり、私はトップダウンで決め切ることが苦手です。そして決め切れない自分を、「自分は自律分散を信じているから」と説明したくなる誘惑が、ずっとありました。しかし正直に振り返ると、思想に従ってトップダウンを控えたというより、単に決め切れなかっただけの場面が多かったのです。信念と弱点を混同していたのだと思います。
そこで、いまは2つを切り分けています。自律分散が良いというのは、価値観としては本気の信念です。ここは変わりません。一方で、何かを成し遂げる手段としては、自律分散だけでは足りない。成果を出す局面では、ある程度トップダウンで決めて進めることも必要で、それができないのは思想の帰結ではなく、克服すべき自分の弱点である。だから私はいま、トップダウンを練習しています。決め切るべき局面を意識的に見極めて、そこでは自分が決める。苦手さそのものは、AIに選択肢を絞らせて決断を迫らせる仕組みで補強しながら(この実装は初回の記事に書きました)、決める練習を続けています。
野球部を見限った人間が、めぐりめぐって、いまトップダウンを練習している。皮肉な話に見えるかもしれませんが、私はむしろ、これで信念のほうがまっすぐになったと感じています。弱点の言い訳に使われている思想は、いつか思想ごと疑われてしまうからです。
それでも、理想は「パートを選べる」側にある
最後に、誤解のないように書いておきます。トップダウンを練習しているからといって、ピラミッド組織に転向したわけではありません。組織のデフォルトはあくまで自律分散に置き、トップダウンで決め切るのは局面を限った例外とする。この順番を変えるつもりはありません。
というのも、私が自律分散を信じる理由は、効率でも流行でもないからです。原点にあるのは、合理的な理由なく他者から制約を受けることへの抵抗、つまり、すべての人は不当な制約を受けずに自分の意志で動けるべきだ、という価値観です。自分の課題を自分で選び、自分のやり方で果たす。中学の私が野球部で奪われ、高校の軽音部で手にしたものは、要するにこの自由でした。
全員が自分のパートを自分で選べる組織。その先にある、出自や環境に関係なく、誰もが自分のやりたいことに取り組める社会。理想はいまも、そちら側にあります。トップダウンの練習は、その理想を諦めないための、いわば筋力づくりのようなものだと考えています。
次回は、今回少しだけ触れた「パナソニックを1年半で辞めた話」と、それでも持って出た水道哲学について書きます。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
