『静削の巡礼路』第二景|テスカトルテノチティトラン 滞在六日目
朝
市場へ向かう。
今まで視界の表面で捉えていたのは、焼きトウモロコシ、豆、干し肉程度であった。今日は意識を明確に切り替え、その物流構造を観察する。何が売られているのか、どこから来たのか、誰が運んでいるのか。
市場中央
乾燥唐辛子、豆、トウモロコシ、香草、岩塩、干し肉。
思った以上に、視界のすべてが「保存食」によって占有されている。
港湾都市サン・デ・ウルアでは魚介の鮮度が主役だった。だが、この黒石の街では「保存の技術」そのものが主役だ。環境が物流を規定している。
昼
市場の食堂。
巨大な石造りの煮込み鍋から、無骨な熱気が立ち昇っている。
黒曜石職人、荷運び夫、神官、巡礼者、社会的階層の異なる人間たちが、全員で同じ鍋を囲んでいた。
ルナも一椀を購入。熱い。塩気が強い。豆の比率が異常に高い。
だが、嚥下するごとに、高地の冷気で縮こまっていた身体の駆動が楽になっていく。高地においては、味の装飾よりも栄養効率こそが正義なのだろう。
午後
市場の裏手。
香草を干している老婆を視認。昨日の共同水場にいた老人とは別人だ。
だが、この街の老人たちは、外来の旅人である私へ妙に頻繁に音声をかけてくる。
「旅人さん。食べたかい?」
「……食べた」
「なら大丈夫だ」
何がどう大丈夫なのか、その判定基準は不明だ。しかし、高地の人々の生存共同体においては、明確な意味を持つ記号なのだろう。
夕刻
市場が閉じ始める。
残った食材は、手際よく塩漬け、乾燥、燻製へと処理されていく。無駄の排除。徹底的な引き算の管理だ。
夜
宿へ帰還。今日市場で購入した、無骨な干し肉を齧る。硬い。しょっぱい。
あの密林の酒場で食した、濃厚な熱を帯びた肉料理とは対極にある、ただ生存のみを目的とした無骨な質量。だが、高地の冷気の中では、この極限まで削ぎ落とされた塩分が妙に美味いと脳内システムが感知していた。
窓の外を眺める
火が見える、水が見える、そして今日、その内奥にある食が見えた。
ようやく、このテスカトルテノチティトランという街の生活の骨格が、少しだけ見えてきた気がした。
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