静削の巡礼路第四巡礼路|二日目黒い石
朝
目を覚ます。
湖畔は静かだった。
風が草を揺らしている。
耳に届くのは、それだけだった。
昨日まで漂っていた花の匂いは、もう感じない。
代わりに乾いた土の匂いがする。
湿った湖の空気に混じる、土地そのものの匂いだった。旅は確実に進んでいた。
景色だけではない。
匂いもまた、少しずつ変わっている。
出発
舟は再び湖を進む。
昨日見えていた山は、今日もそこにある。
そして昨日より大きい。
少しずつ。だが確実に。
山はこちらへ動かない。
近付いているのは私の方だ。
それでも旅を続けていると、山の方が歩み寄ってきているような気がすることがある。
正午頃
湖沿いの小さな集落へ立ち寄る。
農地は少ない。花も見当たらない。
その代わり、奇妙なものが目に付いた。
黒い石だった。
道端
家の壁際。
倉庫の脇。
至る所に積まれている。
まるで薪でも置くような気軽さで。
私は一つ拾い上げる。
黒い。
滑らかな光沢がある。
陽光を受けると、表面が僅かに輝いた。
そして鋭い。
石というより刃物に近い。
「気を付けろ」
近くにいた老人が笑う。
「指を切るぞ」
私は石を見る。
確かに切れそうだった。
少し力を入れれば皮膚くらい簡単に裂くだろう。
見覚えがあった。
首都で何度も見たことがある。
刃物、工具、装飾品。
黒曜石。
「近いのか」
私は山を見る。
老人も山を見る。
「あの山の贈り物だ」
そう言った。
短い言葉だった。
だが十分だった。
石の出所も、この土地の暮らしも、その一言で理解できた気がした。
午後
さらに進む。
黒い石が増える。
家の基礎。
道具。
市場
昨日まで当たり前だったものが、今日は別のものへ置き換わっている。花畑の色は消えた。
代わりに黒曜石の光がある。
文明の色が変わった。
そのことが少し面白かった。
首都で見たもの。
遠い土地から運ばれてきたもの。
価値ある品として並べられていたもの。
それが今、生まれる場所へ近付いている。
旅とは不思議だ。
人は遠くで完成品を見る。
だが歩き続けると、その源流へ辿り着く。
川がどこから流れてくるのかを知るように。
夕刻
山はさらに大きくなった。
もう地平線の景色ではない。
そこに存在する地形だった。
白い煙が空へ伸びている。
細く。静かに。
途切れることなく。
穏やかに見える。
だが、その山は石を生み続けている。
静かだ
だが、生きている。そう思った。
夜
記録帳を開く。
今日見たものを書く。
花は見なかった。
黒い石を見た。
そして、その石は山から来ていた。
旅をしていると、物には出発地点があることを思い出す。花にも、黒曜石にも、川にも、たぶん人にも。
そう書いて、私は静かに記録帳を閉じた。
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