静削のルナ ~砂沈みの水路~
乾季にのみその姿を現す、砂漠の灌漑(かんがい)水路。
膝下ほどの浅さで、水はどこまでも穏やかに流れていた。
しかし、この水路では毎年決まって行方不明者が出る。死体は浮かばず、血痕一つ残らない。ただ、水辺を歩いていたはずの足跡が、唐突に途切れているだけなのだ。
「きっと、この水路には恐ろしい呪いがかかっているんだべ」
「いや、悪辣な魔法使いの仕業に違いない」
見えない恐怖に怯える現地の人々や旅人の言葉を聞きながら、討伐者であるルナは静かに首を傾げた。膝下ほどの浅い水路で、人間が魔法のように消えるはずがない。必ず、物理的な理由があるはずだ。
ルナは数日間にわたり、水路沿いに座り込んで静かな観察を続けた。
そして、ある無風の日に違和感の正体を掴む。
足跡が消えている、まさにその場所。風も吹かず、流れも一定であるはずの水面が、ほんのわずかに震え、小さな波紋を生んでは消えていたのだ。
「……砂鏡魚(さきょうぎょ)」
ルナはぽつりと呟き、謎の正体を悟った。
古くからそう呼ばれているが、実際は魚ではなく、浅い水路の底に潜み、砂と水の境界を泳ぐ「砂潜竜類」の一種だ。
彼らは目で獲物を追うことはしない。水面を伝わる微細な振動だけを感知し、近付いた獲物の足首に食らいついて、そのまま一瞬で砂の下へ引きずり込む。だから足跡だけが途中で消滅し、誰の目にも触れることなく人が消えていたのだ。
ルナは槍を手に取り、自らが囮となって静かに水路へと足を踏み入れた。
ちゃぷり、と小さな波紋が広がる。
直後、砂の下で何かが蠢いた。水面が大きく盛り上がり、巨大な顎を持った砂鏡魚が砂塵とともに飛び出してくる。
しかし、ルナの冷徹な眼差しは、眼前に迫る魔獣本体を見てはいなかった。
彼女が見つめていたのは、水面だった。
――《静削(せいさく)》
ルナの槍が、音もなく水面を滑る。
切り裂かれたのは魔獣の肉体ではない。水面を伝わっていた「波紋」そのものだ。
自らの命綱である振動(センサー)を突如として断ち切られた砂鏡魚は、空間の把握を失い、空中で一瞬だけ不自然に停止した。
ルナにとって、その一瞬の隙があれば十分だった。
「そこ」
洗練された二撃目が、迷いなく砂鏡魚の首元を貫く。
水飛沫すら最小限に抑えられた、あまりにも静かな討伐劇。後に残されたのは、美しい砂色の鱗を持つ竜の姿だけだった。
遠くから様子を窺っていた住民たちが、恐る恐る近付いてくる。
「……それ、食べるんですか?」
おずおずと尋ねる村人に、ルナは静かに頷いた。
皮:丈夫な防水革になる。
歯:鋭く頑丈な釣り針になる。
鱗:美しい工芸品として高く売れる。
肉:干して貴重な保存食になる。
「捨てる場所は、ほとんどありません」
その日の夕暮れ。
ギルドのカウンターで、受付嬢が依頼書に解決の印を押し込んだ。
「これで、連続失踪事件も解決ですね」
「ええ」
短いやり取りを終え、ルナは赤く染まる砂漠の街を歩きながら、静かに振り返る。
人は、得体の知れない魔獣を恐れる。けれど同時に、人々の豊かな暮らしは、その魔獣の恵みから出来ているのだ。
水路で消えていたのは、人ではない。
見えない恐怖に怯え、観察を怠った魔獣の「勝ち筋」だったのだ。

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