【232日目】神仏習合
ご隠居からのメール:【神仏習合】
>>人格者を求めると、最終的には宗教に行きつくね。
ーー必ずしもそうとは言えない。たとえば、夏目漱石は、「皆さんはどうしても人格のある立派な人間になって置かなくては不可ない」と学習院の学生たちへの講演で説いた(『私の個人主義』)。しかし、最終的には宗教に行きつかず、一人の文学者として死んでいる。宗教に行きつかなくても人格者になる道があるのだ。
もちろん、漱石の人格は仏教、儒教、道教、神道、哲学、心理学、科学などの影響も受けてはいるが、最終的な核として宗教や科学に救いを求めていない。彼の人格はやはり文学的人格とみなしてよいと思う。
ただし、仏教、儒教、道教、神道、哲学、科学等から自分がよいと思う思想はしっかりとりいれている。漱石の教養は、いわば、いいところどりなのだ。
もう一人だけ例をあげると、『マルクスが日本に生まれていたら』(講談社)の著者で、日本型資本主義の経営者だった出光佐三だ。彼は資本主義にもいいところと悪いところがある、マルクスの思想にも正しいところと間違ったところがある。資本主義とマルクス主義のいいところどりをしなさいという。
これは日本人のご先祖さまが伝える神仏習合の知恵に近いと思う。高瀬の実家には神棚と仏壇があり、天皇陛下、皇后陛下、ご先祖様の写真が並んでいた。仏教、儒教、神道、道教のいいところどりをしていたのだと思う。
キリスト教やマルクス主義は、異端の思想を全面否定して、対立をあおる傾向がある(極みすぎて尖っている部分?)が、それでは世界平和は実現しない。やはり、神仏習合、和を以て尊しとなす、が人格者のめざすべき境地だ。
・我に七難八苦を与えたまえ(山中鹿之助)
・八徳(孫文)
・戒語を慎む(良寛)
・義を明らかにして利を図らず(山田方谷)
・仏様がいちばんよい死にどきを選んでくださる(佐藤徹)
大切にしたい言葉のなかに、尼子の落人と徹さんの言葉がともに入っているのは心強い。
返信:【Re_神仏習合】
『神仏習合、和を以って尊しとなす』ーーいいね。やはり、昔の偉人は、人格者を目指す為に「意識」し、言葉化してきてるんだろうな。たしかに、『神仏習合』、『和を以って尊しとなす』が唯一の世界平和の道かもしれない。イスラム教とキリスト教の不完全なところが明確な事例であり、気づきだな。
神道と仏教ーー両方の宗教(言語含む)を習得した、影響力のある聖徳太子のような人がでてきたら、中東戦争も終結するかもしれないが、なかなか難しいかな。神仏習合という考え方が、日本人が柔軟に物事を考えることのできる根幹かもしれない。
ある意味、精神的自由を手に入れている。いいとこ取りをしたうえで、話し合いが大切だということ。『息子へ紡ぐ物語』の語録に追加しておこう。
「貴美子さん(祖母)の手紙」のおかで、我が家に平和な日々が戻りつつあるが、息子は思春期ということもあり、自我を押しつけてくる。これは、まるで自分を見ているようで、いつも反省してしまう。
また、自分は、酔っ払うと威厳がなくなるらしく、娘に心配をかけてしまっているらしい。キャンプに行ったときには、手をつないでトイレまで連れて行ってくれるらしいよ。それでも家族に「性格は変わらないけど、人格者を目指そう」「戒語を慎もう」という話しをしているので良い時間にすることはできたと思う。
全国亭主関白協会では、このようなコトを言っていると習ったことがある。
「上手に尻に敷かれれば、妻が変わる。亭主が変われば、妻が変わり、妻が変われば、家庭が変わる。家庭が変われば日本が変わる。夫婦や家族の絆は魔法の三原則を身につけ、笑顔を引き出す「亭主力」を磨く事によってのみ希望が叶う」
夫婦間にも「神仏習合」「和を以て貴しとなす」の精神が必要だ。互いに思いやりや感謝すること、相手が嫌がることを、自ら律するようにしなければ、溝は大きくなるばかりだ。
前回の話【より道‐77】戦乱の世に至るまでの日本史_「佐々木一門」の整理①>>>
