【229日目】小糠三合あれば、養子にはいくな
ご隠居からのメール:【小糠三合あれば、養子にはいくな】
横溝正史『八つ墓村』もファミリーヒストリー小説のうちに加えてもいいかな。登場人物、多治見要蔵の姓が、戦国期、備中の代官であった「多治部氏」と「新見氏」の名前からとったのだろうと推測する人はいても、多治見要蔵の「要蔵」の文字が、太宰治『人間失格』の大庭要蔵の「葉蔵」から転用し、命名したのではないかというトンチンカンで、とんでもない説をとなえる人物があらわれた。他ならぬロクデナシの息子Little vaaaderである。
そんな息子を育てた自分は、「生まれてスミマセン」というべきか、それとも、「生まれてヨカッタ」というべきか。
それに比べて、清水昭三『小糠三合異聞』はあきらかにファミリーヒストリー小説だ。「小糠三合あれば、養子にはいくな」ということわざが使われている。小糠三合もないほどの貧しい暮らしをしているならともかく、せめて小糠三合があれば、苦労することがわかっている養子なんかにいくなという意味である。
養子だらけの我が家でいえば、高祖喜代太郎が五世の祖弥左衛門の養子として長谷部氏の家督をついでいるが、不思議なことに、弥左衛門の長男友次郎は養子喜代太郎の養子になっている。なぜ実子がいるのにわざわざ養子をとったのか、そして実子が養子の養子になったのか、理由がわからない。
その後、喜代太郎・伊曽夫妻と友次郎・イシ夫妻と二代続けて子宝に恵まれなかった。そこへ、隣家の松田氏から伝蔵さんが、友次郎・イシ夫妻の養子としてもらわれてきたが、養子縁組を解消して、郷関を出てしまう。「尼子の落人」同士の養子縁組だが、もともと養子になったのも本人の意志ではなく、親同士が勝手に決めたことだったらしい。
けっきょく、井上氏から勝治郎、大原氏から津弥が結婚して、夫婦養子となり、四男四女の子宝に恵まれた。八人の子供たちは、それぞれ村の良家との縁組が成立し、結果的には「終わりよければすべてよし」のかたちにはなっている。
「大同からの便り」(関連メール)を添付で送る。チェックした上で何か意見があれば、指摘してくれ。
返信:【Re_小糠三合あれば、養子にはいくな】
「小糠三合あれば、養子にはいくな」ーー昔の家督制度は、自分自身で決めることもできない人もいただろうけど、その都度、ファミリーヒストリーの未来の決断だね。長谷部家氏は信谷善右衛門・ふゆ夫妻の分家では成功したように見えるけど、松田伝蔵さんとの養子縁組では、うまくいかなかった。
昨日も、夜の19時から人間学を学んだ。やはり人格を育てるということ、徳を積むための意識と行動は、身近な生活に潜んでいて、とても簡単だけど、なかなかできない勇気の必要なことだと再認識することができた。
とくに「戒語を慎む」これが難しい。(悪口、告げ口、怒り、妬み、横柄、不快、イヤミ等)何も意識しないと自然に発言していて、自分や周りを蝕んでいく。意識と行動で修正していこうと強く思った。
振りかえってみると、創業当時は人間学で溢れそれを文化にして言葉化していた。それに乗じて、お世話になった先輩役員の器のデカさや「感謝」が身の回りにあたりまえのようにあった。
超がつくほどのブラック企業がここまで成長した根幹はここにあると思う。
何事も他責でなく自責として考え、自らの徳を積む行動が、働く環境に、あたり前のようにあった。そのおかげで自分もマネジメントできたのだと思う。こんなときこそ、原点回帰、まずは、自分から。小さくとも意識と行動で徳を積んでいくことにするよ。
大同からの便りについて、了解しました。あと、再校正の件、承知した。反映しておくよ。
