心配の言葉が、相手を不安にさせるとき
人は、不安なときほど誰かに答えを求めます。
「これで大丈夫なのかな」
「何かできることはないかな」
そんな小さな迷いを抱えながら、勇気を出して言葉にします。
SNSに息子のことで投稿したことがあります。
毎日10時間ほど勉強していること。
最近、「疲れた」と口にすることが増えたこと。
親としてできることは、食事のバランスを考えること、勉強しやすい環境を整えること、そして話を聞くことくらいしかないこと。
もし、脳の疲れに良い食べ物や飲み物、経験から「これが良かった」というものがあれば教えてほしい。
そんな気持ちでの相談でした。
すると、あるカウンセラーの方からコメントをいただきました。
「とても危険な状態だと思われます」
「取り返しのつかないことになる前に改善をお勧めします」
そして、
「ご心配なら一度30分ほどお話しされてみませんか」
という内容でした。
きっと、その方は心配してくださったのだと思います。
長時間の勉強による疲労。
親子ともに抱えているプレッシャー。
無理をしている可能性。
専門的な視点から、早めに気づいてほしいという思いがあったのかもしれません。
でも、私はその言葉に少し心が止まりました。
なぜなら、私が求めていたのは「危険かどうかの判断」ではなく、「今できる小さなサポートのヒント」だったからです。
ここには、二つの異なる問いのすれ違いがあります。
私が投げかけたのは「How」の問いでした。
「どうすれば、今より良いサポートができるのか」
という問いです。
しかし返ってきたのは、
「What」の問いへの答えでした。
「これは何なのか」
「危険な状態なのか」
という判定です。
一見すると似ているようで、この二つは向いている方向が違います。
「How」の問いは、これからできることへ意識を向けます。
一方で「What」の判定は、今の状態を評価する方向へ意識を向けます。
相談した本人にとって、この違いは大きなものです。
前を向こうとしている人に、突然「あなたは危険な状態です」と言われると、その瞬間に足元が揺らいでしまうことがあります。
相談する人は、相談した時点ですでに自分なりに悩んでいます。
親であれば、
「もっと何かしてあげられるのではないか」
「自分の関わり方は間違っていないだろうか」
そんな葛藤を抱えています。
実は、ここが見落とされやすい部分です。
相談者の中には、すでに自分自身を評価する「内側の審査員」がいます。
「もっとできたのではないか」
「自分の判断は正しかったのか」
そんな問いを、何度も繰り返しています。
だから外から届く言葉は、何もない状態の心には届きません。
すでに揺れている自己評価の部分に入り込みます。
発した側にとっては、単なる状況説明のつもりでも、
「危険な状態です」
という言葉は、受け取る側の中では、
「あなたの対応が不十分だったのではないか」
という評価に変換されてしまうことがあります。
そこへ突然、
「危険です」
「取り返しがつかなくなります」
という言葉が届くと、心に生まれるものがあります。
安心ではなく、恐怖。
前向きな行動ではなく、罪悪感。
「私が気づくのが遅かったのではないか」
「もっと何かしなければいけないのではないか」
そんな不安です。
恐怖と罪悪感には、共通点があります。
どちらも、人を「考える状態」から「固まる状態」へ移してしまうことです。
冷静な判断は、安心できる土台があって初めて働きます。
強い警告は、相手を守ろうとする意図とは反対に、相手の思考を止めてしまうことがあります。
結果として、本当に必要な行動を起こしたい時に、動けなくなるという逆説が起こるのです。
もちろん、本当に危険な状態を見逃してはいけません。
専門家が警告することも、大切な役割です。
ただ、人を支える仕事をしている人ほど、最初の一言には慎重であってほしいと思います。
なぜなら、最初の一言は、その後のすべてのやり取りの土台になるからです。
最初に安心を受け取れば、その後の言葉は「一緒に考えるための材料」になります。
しかし最初に警告を受け取ると、その後の言葉まで「自分を責める材料」として受け取ってしまうことがあります。
同じ内容でも、入り口の言葉によって意味は変わるのです。
同じ心配でも、
「毎日10時間も頑張っているのですね」
「疲れのサインが出ているなら、睡眠や休息も大切ですね」
「今の様子をもう少し聞かせてもらえますか」
という言葉から始まれば、受け取る側の心の状態は変わります。
これらの言葉に共通しているのは、すぐに判断せず、まず相手の今を受け止めていることです。
人は、自分の状況を一度受け止めてもらえたと感じて初めて、次の言葉を防御ではなく情報として受け取ることができます。
伝える内容だけではなく、伝える順番も大切なのだと思います。
人は、正しい言葉だけで救われるわけではありません。
その言葉が、どんなタイミングで、どんな気持ちの相手に届くのか。
そこまで考えられて初めて、言葉は「支えるもの」になるのだと思います。
専門知識があることと、人の心に寄り添えることは、同じではありません。
専門性とは、何が正しいかを見抜く力です。
でも、その正しさを相手が受け取れる形に変換する力は、また別の技術です。
前者だけを持って発せられた言葉は、正確であっても、届く場所を間違えることがあります。
心配から出た言葉が、相手をさらに不安にしてしまうことがある。
今回の出来事から、私は改めて「言葉の重さ」について考えました。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!