夕焼けチャイムが連れてくる、小さかったあの頃の記憶
夕焼けチャイムを聞くたびに、思い出す風景があります。
子どもたちがまだ小さかった頃のことです。
あの頃は、学校が終わってもすぐ遊びに行くことはあまりなく、
習いごとで一日が埋まっていることがほとんどでした。
だからこそ、たまに何もない日があると、
「母さん、遊びに行っていい?」
と、少しうれしそうに聞いてきました。
「いいよ。鐘が鳴ったら帰ってくるんだよ」
「うん、わかった。鐘なったら帰ってくるね」
そう言って、公園へ走っていく後ろ姿を見送っていました。
低学年の頃は、心配で少し離れたところから様子を見ていたこともあります。
そして、夕焼けチャイムが鳴る頃。
外で待っていると、向こうから子どもたちが手を振りながら、
満面の笑みで走ってきます。
「楽しかった!」
「お腹すいた!夕飯なに?」
そんな声が、今でも耳に残っています。
「汗かいたから、夕飯の前にお風呂ね」
「はーい」
そう言いながら、家に入っていくあの時間。
なぜか、夕焼けチャイムを聞くたびに、
あの日々の光景がそのまま浮かんできます。
思わず、ふっと笑ってしまう。
あの音が鳴るたびに、時間がほんの少しだけ、
あの頃に戻るような感覚があります。
きっとあれは、私にとっても
かけがえのない幸せな時間だったのだと思います。
あの頃、子どもたちにはいろいろな習いごとをさせました。
将来、自分で選べるようにと考えてのことでした。
でも不思議なことに、習いごとがそのまま部活につながることはありませんでした。
二人とも9年近く続けたスイミングは得意でしたが、
中学には水泳部がなく、
それぞれ吹奏楽とテニスという、まったく新しい道を選びました。
少し意外でもありましたが、
後になって「スイミングやっててよかった」と言ってくれたときは、ほっとしました。
よく話を聞いてみると、
スイミングで身についた呼吸の長さが吹奏楽にはとても合っていたこと、
そして体力がついていたことで、テニスも無理なく上達できたこと。
形は変わっても、ちゃんとつながっていたのだと知りました。
目に見える形では続かなかったけれど、
体力や土台はちゃんと残っていたのだと思います。
あのとき選んだことが、別の形になって、
ちゃんと子どもたちの中に残っていた。
それを知ったときの安心感は、今もよく覚えています。
今、子どもたちはもう大人になりました。
それでも夕焼けチャイムを聞くと、
あの頃の小さな背中や、走ってくる笑顔が浮かびます。
そして、あの時間が確かにここにあったことを、
静かに思い出します。
あの音は、今もあの場所で、同じように鳴っています。
子どもたちのいない公園にも、
変わらずに、静かに響いています。
あの頃と同じように。
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